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24時間の日常を大切に生きるということ

   湯河原に行った。温泉宿である。私は、今年になって、ここへ来るのは4回目。安くて、魚料理でもてなしてくれるのがいい。

 今回は、旅行仲間4人。私たちは、もう長いこと4人で旅行をしてきた。「普通のところではなく、できるだけ辺境の地にいこう」ということで、屋久島や沖縄などへ出かけた。

 4人は、67歳、66歳、61歳、59歳。職種もそれぞれ違う。しかし、妙に気があって、旅行を続けてきた。

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 3時頃に宿へ入り、それから焼酎、ビール、日本酒、ウィスキーとさまざまな飲み物で延々と話し続けた。その間に、屋上の露天風呂へ入り、またまた話し続ける。

 いつもは8時、9時に寝る人たちが、12時近くまで延々と話し込むのである。

 話題は多岐にわたる。それこそ世界状況から細々としたことまで。

 例えば、吉永小百合さんの話題である。いずれも私たちは、サユリストなのである。

 「いつもまでも小百合さんが美しいのはなぜなんだろうか」

 「大半の女の人は、ひどいもんだぜ。あんなに若い頃には美しかったのに、年取ったら……」

 「小百合さんは、どうしていつまでもあんなんだろう?」

 「そりゃあ、金に心配がないから、自分を磨くだけに専念すればいいからああだろうよ」

 みんな酔っているから、ひどいことを平気で言う。とりあえず、自分のことはさておいて語る。

 私は、「違う、違う」と思う。

 「小百合さんは、24時間の日常を大切に生きているからなんだ。テレビとかで見せてくれる姿は、25時間目の姿だよ。大半の人は、24時間の日常をそれなりに生きているから、みんな年相応の姿になっていく。でも、小百合さんは、24時間の日常をしっかり生きているから、いつまでも美しさを見せている」

 何か、いつも小百合さんのそばにいるような話ぶりである。酔ってはいても、真面目に答えているのである。

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 先日、清水真砂子さんの話を聞くことができた。

 勤務校での講演会である。清水さんと言えば、ゲド戦記の訳者で有名な人である。勤務校の保護者に清水さんと親しい人がいて、このような機会が持てたということであった。児童文学の世界で、清水さんが残してきた仕事は、大変なものであると私は評価する一人である。

 校長から清水さんを紹介していただき、「私は、『幸福に驚く力』を読んで感激しました」と伝えた。

 清水さんの話も、とてもよかったが、何よりも67歳と言われる清水さんの上品な美しさに惹かれた。

 このときも思った。

「24時間の日常を大切に生きておられるのだろうなあ。だからこそ25時間目の仕事があんなに輝いているのであろう」と。

 上越大学の赤坂真二さんが、ブログの中で、養老孟司さんが雑誌に書いていたことを紹介していた。

「日常がダメならば全てダメ」

という言葉である。厳しい言葉だが、その通りだと思う。

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 旅行仲間の旅行も、Sさんの退職記念の旅行を最後に一応の終わりである。

 区切りもきちんとしなくてはならない。

 どんな旅も、必ず終わりがくる。そして、24時間の日常へ戻っていく。

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