晩年の人生との取り組み方
古くからの友人の合唱祭に出かけた。
退職して、友人は、地元の男性合唱団に入部し、1年5ヶ月ぐらいの練習を経て、今日の28周年記念演奏会に登壇している。
私は、友人夫婦と一緒に勇んで出かけた。晴れ舞台である。
2時間びっしり。第4部構成である。
60代の人たちが中心なのだろうか。70歳代の人もいそうな感じである。
合唱の途中で、誰か倒れないのだろうかと少し心配するほどに熱気が感じられた。
白熱した合唱は、なんと言っても最後の第4部「尾崎喜八の詩から」という組曲であった。
尾崎喜八という詩人の詩を組曲にしていて、それを歌い上げるのである。
6つの詩なのだ。覚えるだけでも大変だっただろうに、見事にそれに取り組んでいた。
聴いているこちら側の観客(1000人近く入っていた)も、同じような年代なのだ。
圧倒されたのではないだろうか。
帰りに玄関先で、友人に会った。「よかったよ。感激した」と伝えた。
おそらく、友人は、第二の人生の一歩をこのようにして歩み始めたのであろう。
まずは乾杯。
★
森信三先生は言われた。(一語千鈞)
「人間は、退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、晩年の人生と真剣に取り組まねばならぬ」
友人から聞いた話である。
1年先輩の校長さん(1回だけ話したことがある)が、昨年退職された。
教育界からすっぱり足を洗われた。
何をされているのか。
朝5時起きで、毎日、近くの遊歩道路のゴミ拾いをされる。
拾ってきたゴミを乾かし、選別し、集配のゴミに出す。
それから地域の自治会に参加され、自治会の役員になり、自治会改革に取り組みたいらしい。
「自治会を変えていきたい」
校長時代に比べても、余計に忙しい生活をされているということである。
すごい人がいるなと思った。
森信三先生は、別のところで言われている。
「往相はやがて還相に転ぜねばならぬ。そして還相の極は、施であり奉仕である」
私は、往相を往路、還相を帰路として考えてきた。
1年先輩の校長さんは、もうすでに還相の極を歩いておられるのである。
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