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底の浅い愛で、子供をダメにしている

  「これは覚悟する以外にない」と……。

 そして、教務主任の先生にインターネットで教材を探してもらった。

 「うとてとこ」という詩教材。

 昨日、前任校の大池小学校に野口芳宏先生が見えられ、子どもたちへの授業と講演があることになっていた。

 私は、40分前に到着していた。そろそろ野口先生も見えられる。

 大池小学校では、もう3回目の授業である。

 しかし、30分、20分過ぎても見えない。

 副校長と「何か事故があったとしたら、野中先生が代わりに授業してもらえますか」という打ち合わせになった。

 他の学校からも先生達が大勢見えられている。

 とりやめるわけにもいかない。6時間目の授業は、14:10からである。

 子どもたちも待っている。

 教材は、「モチモチの木」である。

 この教材では、とてもできない。3年生は、もう10年以上受け持っていない。

 そしたら、野口先生の模擬授業で有名な「うとてとこ」しかないではないか。

 緊張は高まるばかり。それでも覚悟して、やる以外にない。

 と、そこへ正門から野口先生が入ってこられる。授業まで10分を切っていた。

「ああ、良かった。私は、名人の代わりに大それたことをしようとしていた」

 ★

 京都で、池田修さんから「野口先生は、もう教育界の人間国宝だから、絶対に授業は見ておかなくてはいけませんよ」と言われていた。

 いつもの野口節で、授業が始まった。

 ある学校は、野口先生の授業を見るために、ほとんどの教師を校長自ら引き連れられてこられていた。すごいことである。

 野口先生は、「立ち止まり通読法」と言われている手法を使って、自在に子供たちの中に入って行かれる。

 何気なく読んでいるところに、発問を突きつけられ、子供たちをはっとさせられる。そして、「ノートに○か×をつけなさい」と厳しく指示をされる。

 「まだ、つけていないものはいないか」「必ずどちらかをつける」「いつもなぜだろうと考えながら読んでいくのだ、なぜに強くなる」

 野口先生は、言われる。

 「発問をし、○か×をつけさせる。自分の立場を決めさせると、人のことが気になるものです。自分の立場を決めると、不安や期待が高まる。それがいい。そういうふうに、常に参加を強いていく」

 ★

 今回の授業で強く感じたのは、「授業の主体は、教師である」という野口先生の主張についてである。

 授業を進めて行かれるその姿、子供への発問、子供からの答えの引き出し方、…全てが、授業の主体は、教師なのであるということを印象づけられていた。

 多分、多くの教師達は、その進め方に強引さを感じてしまうのではないか。

 授業の進め方の見事さ、展開のうまさには惹きつけられながら、多くの教師達は、どうしても越えられない壁を感じてしまうのではないかと、私は思った。

 子供が、教師の発問に答えたとする。私たちなら、曖昧に、たどたどしく答えたならば、すぐわかりやすくまとめてやろうとする。しかし、野口先生は、安易にそうされない。

 そこが、すごいと思った。

 「底の浅い愛で、子どもたちをダメにしている」

と、強く主張されていた。否定することをおそれてはいけない。子供たちは、その否定の中から育っていく、と。

  

  

 

 

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