今までの教師生活で、一人だけ「どう転んでも、この人の子供を惹きつける魅力にはかなわない」と思った同僚がいる。
20年ぶりになるのであろうか、その人に電車でばったりと出会った。
あのときの溌剌とした振る舞いが消え去っていて、どこかおどおどした様子であった。
彼は正直に「先生、クラスが思うようにいかなくなって、ちょっと鬱病で入院していたのですよ」と告げてくれた。
思わぬ告白に、びっくりしたものである。彼さえも、このような状況に追いやられるのかと……。ギター片手に、盛んに歌で盛り上がる彼の姿が浮かび上がった。
20年前、法則化運動がブームになっていた。
彼は、つまみ食い的に実践し、「うまくいきました」と何度も聞いたことがある。
それ以上には、彼は何も踏み込むことはなかった。彼の教師としての才能は、きらきらしていて、もうそれ以上に必要がないと思ったのだろうか。
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こんなことをふと思い出している。同時に、あの頃の法則化運動のことを考える。
今回、京都の「明日の教室」で私が提案したことは、「私のこれまでの試み」が一体何だったのだろうかという問いかけである。
私は、40代の10年間をフルマラソンを走ることに費やしてきた。
学校では、教務主任を務め、クラスを担任し、5時には帰宅し、夕食作りをし、その間にフルマラソンの練習をしていた。月に300キロ程度走るわけである。忙しい生活であったが、充実していた。クラスもうまく回っていたし、このまま定年を迎え、第二の人生を送ろうと考えていた。
しかし、学級崩壊は、私のそれまでの方向を大きく狂わすことになる。
これは、前代未聞のとんでもない事態なのだと思われたのである。
55歳から3冊の本を出した。
そこでの問題提起は、「自分の行ってきた実践を 分かりやすい言葉にまとめ、さらにそれを仕組み化することで、追試できる形にしてきた」というものであった。
しかも、名人教師の実践記録というものではなく、(そういう教師でなかったので)普通の教師が、ちょっと努力すればいつでも実践できますよという形であった。
伝える形にするために、実践に名前をつけた。
「3・7・30の法則」「その日暮らし学級経営」「自主管理の原則」「一人一役の原則」「目標達成法」「ちょこちょこ学級会」「包み込み法」「伝達法」……ということだ。
批判も多い。法則にも、原則にもなっていないものを安易に名付けていると…。
おそらく、私の提案は、法則化運動の延長上にあったのだと思う。
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私の最近の提案が、ハウツーに傾きすぎている。他の人もそう思われているだろうが、実は私もそう思っている。(笑)
最近では、北海道の堀裕嗣さんから「実学志向は自殺行為である」と批判されている。これも私のハウツー傾向への批判である。
堀さんの私への批判は、彼が主宰している「ブラッシュ・アップ」では普通のことで、手作りの彼らの雑誌では、当たり前に互いの批判は繰り返されている。
ほとんどの雑誌などが、互いに批判し合うという風土をなくしている中で、この雑誌だけが唯一この風土を堅持している。大変なことである。(私も、この雑誌に連載をしている)
この雑誌で、堀さんが、法則化運動を次のように書いている。
「子供を動かす法則と応用」(向山洋一 明治図書)を推薦するコメントして「いまとなっては、読み直すことなどほとんどないのだが、新卒からの数年間はこの本を繰り返し読んでいた記憶がある。調べてみると、いまは絶版だと言う。向山洋一についてあれこれ言う者はいるが、法則化運動もそろそろ歴史となりつつある現在、感情論を抜きに向山洋一を正当に評価すべきだ」
私は、堀さんよりもずっと法則化運動寄りで(組織に所属することはなかったが)さまざまな実践をしてきた。
向山洋一さんの実際の授業を3回も見ることができたし、大森修さんの授業も見てきた。それぞれに素晴らしい授業であった。
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法則化運動で、私が評価する一つは、授業を発問、指示、説明に区分けし、追試という形を作り上げたことである。
このことで、「マネをする」という風土をきちんと確立したのだと、私は思っている。
それまでは「理論を実践に」という言葉だけがあるという状況で、「理論や哲学なくして、実践なし」という状態だった。
そこに風穴を開けてくれた。
さまざまな優れた実践を追試しながら、「なるほど、このような形になるのか」と納得していくということは、大切なことだと思う。
最初は、誰でもが物まね、追試の形から入る。それでいいし、そこからしか始まらないと思う。
現場の教師の大変さは、常に「具体」を問われることである。
「あなたの言うことはもっともだし、理論的なこともよく分かる。それを授業で見せてほしい。学級経営で見せてほしい」と、常に問われるのである。
現場を生きるということは、そういうことである。
常に、「具体」がなければ、現場は生きていけない。
その具体は、さまざまにぶれるし、「理論を実践に」などという直線的なものではありえない。
「実践から実践へ」と始終繰り返しながら、そこから理論が組み立ててこられたら、それは唯一伝達可能な実践になる。
ささやかに、私はそんなことを考えてきたのだと思う。
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ビジネス界で、最近法則化運動のような展開をしているのは、勝間和代さんだ。いずれも、彼女の本は、ベストセラーになっている。
「『長期的な視点で投資をしよう』と口で言うのは簡単でも、具体的にはどうしたらいいのかは、わかりにくいかもしれません。
そこでこの本で私は『自分で行ってきた無意識での行動』(これを、専門用語では『暗黙知』と呼びます)を、わかりやすい言葉で説明し(これを『既知化』といいます)、さらにそれを『仕組み化』することで、誰でも同じことをできるようにしたいと考えています」(「年収10倍アップ時間投資法」ディスカヴァー)
私が使った「仕組み化」という言葉は、勝間さんからもらった言葉である。
ただし、これは危険な言葉でもある。
勝間さんは「誰でも同じことをできるようにしたい」と言っているが、これは個人的な努力で自分の時間管理を見直していく方法であり、子供たち(生徒)相手の私たちの教育的実践とは趣が違う。
しかし、方向は同じだと私は思う。
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さて、冒頭の彼のことである。
法則化運動のさまざまな実践をつまみ食いして、それだけで過ごしていた彼のそのときの方法は、現在の状態を予感させたのかもしれない。
ハウツーの方法には、いつもこのような毒がつきまとう。
方法は、方法にしか過ぎないということを自覚して使うことである。
かつて百ます計算を批判した一冊の分厚い本が出版されていた。
本屋で立ち読みしたのだが、笑ってしまった。
その百ます計算を実践して、いかにその方法がまずい方法であるかを批判されていた。ほとんどの実践家が、そのような批判をされていたのだ。
最初から批判するために、クラスの子供を使って実践し、「こりゃだめだ」という実践論文にするという手法である。
そりゃあないだろうと思った。
方法というものは、その先生がやってみたいという熱意によって、子供たちに受け入れられるかどうかが決まるものである。
最初から批判するためにだけ行った実践が、うまく子供たちに受け入れられることはない。
方法というものは、ベストなどなくてベターということしかない。教育実践などはそういうものであるはずだ。
「よし、この方法でやってみよう」という実践を行ってみて、さまざまな結果が出る。
問題は、その結果をどのように今後の自分の実践に活かしていけるか。
そのことだけが残された道である。
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