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それでも実学は必要である

   「時代に合わなくなっている教員養成のシステム」をブログに書いた。

 それに対して、北海道の堀裕嗣さんが、「実学志向は自殺行為である」と書かれて私を批判されている。堀さんは、私の年若き畏友である。私の短絡的な発想を戒めている。

 書かれていることへの反論を含めて、もう一度私の考えを明らかにしておきたい。皆さんは、堀さんのトラックバックの内容を読まれて、私の考えと比べてもらえればありがたい。

1,教員養成大学での「学級経営論」や「学級担任論」の必要さは、もともとから主張していたことである。医者の養成には、基礎医学と臨床医学があるように、教員の養成にも、教育学と臨床教育学(こんな学問はないが、堀さんが書いている実学を意味する)が必要であると考えていた。医者の養成には、基礎医学だけでは成り立たないように、教師も、教育学だけでは片手落ちであるとずっと思っていたのである。(教養課程はこの場合省いておく)

 もちろん、医者と教師を同列で考えることはできないが、考え方は同じである。

2,しかし、今までの教員養成システムは、教育学への偏重があり、臨床の教育学へは時間を割かないという現状だったのではないか。その結果、実際には、教師になったときには、最も関係がある「学級経営」や「学級担任」に対して、ほとんど対応できないできたのではないだろうか。

 堀さんは、「実学的講座を教員養成系大学のカリキュラムの<主流>にしていくことには断固反対である」と書かれている。

 私は、<主流>にするとは書いていないが、書いている内容は、そのように受け止められる内容である。

 必要なのは、教育学と臨床の教育学の両輪である。

 私がことさらに臨床の教育学の方を強調してきたのは、この軽視してきた部分が、いまとりわけ必要とされていると判断したためである。

3,それでも、70年代、80年代までは、小学校では、今までの内容で十分成り立っていた。私が受けた教員養成のカリキュラムは、ひどいものであったが、教員になって実際の現場で当事者性を発揮すれば、十分に実学は身についていったからである。

4,しかし、ここへきて、それはまったく機能しなくなってきたのである。

 <子どもたちの変貌>と<親たちの変貌>と<学校と地域・家庭との関係の変貌>が、若い教師達(とくに初任の先生)を襲っている。

 初任の先生は、1年目からベテランの先生と同列に勝負しなくてはならなくなっている。「初任は迷惑だ」という風潮が、親にあり、また、やんちゃな子供は、自分の思うようにならないならば、やりたい放題に振る舞うようになったのである。

「初任の先生を育てていく」という環境がなくなっている。

5,それに対して、初任の先生達は、現実とかけ離れた甘っちょろい夢を持って現場へやってくる。子供は、教室へ行くと机に座っていて、先生の話はきちんと耳を傾けて聞いてくれると思っている。

 しかし、現場へきて、現実のあり様に愕然としてどうしていいか分からないようになる。何の手立ても、方法も、ないからである。

6,だから、私は、「もっと初任者にきちんとした問題意識を持たせ、現状を知らせ、それに対する対処法を持たせなくてはならない」と主張する。

 しかし、この方法を持たせていけば、問題が解決するかと言えば、そうはいかないことは確かにあると思う。そんな簡単なことではない。「頭で実学を学ぶことと、現場で、その渦中にいる者として現状に対していくこととの間には、天と地ほどの違いがある」からである。

 だが、現実を知っているかどうか、それだけでもずいぶんと違うと思う。そして、クラスをどのように作っているのかという現場の教師達の<現実>を知っていることは、自分のクラスを作るときに何ほどかの手助けになるはずである。

 臨床医学で、医者の卵達が、その手立てを学んでいくように、教師を目指す学生が、さまざまな手立てを学ぶことは必要である。

7,堀さんは言う。

「実は、学校現場に限らず、『現場』とは、自分の生活の中心をそれにしなければ成り立たない。そういう場所である。何かトラブルが起こったときに、全人的にそのトラブルを解決しようと取り組むからこそ、現場は混乱することなく成立するのだ。そしてその全人的な取り組みがあるからこそ、トラブル解決の道筋を定め、トラブル解決のアイディアを思い浮かべ、トラブル解決の行動を起こせるのである。こうしてトラブルの多くは解決していくものだ。最近の若者にはその姿勢が欠けているのである」

 その通りであると私も思う。そのように私も過ごしてきたのである。

 しかし、ここから先が堀さんと私では違う。

「そんな若者たちに教育の<主流>として実学を施すことは、当の学生たちにとっては、彼らを受け入れる現場にとっても、結果的にはプラスにはならない」と、堀さんは言う。

 でも、実際には、現場では、そんな若者が入ってきて、マイナスになっているのである。

 もっとクラス作りの方法や子供への対処法などを知っていたなら、さまざまに動いていけるだろうにと思うことはしばしばである。

8,私は、きちんと学生達に、<実学>も提供していくべきだと思う。

 それは、これからの教育界を担っていく若者達への責務のように思えてくるのである。 

   

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コメント

初めてコメントを書かせて頂きます。
野中先生のブログは、以前のブログより愛読させて頂いています。新ブログの再開も心待ちにしていました。
「それでも実学は必要である」という野中先生の意見に私も賛成の立場です。理由は次の通りです。

私は九州のとある市町村で拠点校指導員という役を今年度仰せつかっています。私自身教員としてはまだまだ修行中の身なのですが、何とか初任者がこの1年間を乗り切ってほしいという思いで、これまでの自分の実践や学んできたことも織り交ぜながら初任者研修の指導にあたっています。(実は…4月に4名と出会った際には、野中先生の書かれた本もそれぞれに贈りました!)
私が勤務する県では1名の拠点校指導員に対し4名の初任者を受け持つことになっています。私は3校の小学校に在籍する4名の初任者を週に1回ずつ指導しています。私が担当している初任者は、数年間の臨採経験ありの者、1年間の非常勤経験ありの者、新卒で現場経験無しの者と様々です。経験もそれぞれに違いますので、できるだけ各々のニーズに合うような初任研を心がけています。
4月から半年が経った今、私が担当している初任者の学級経営の状態も、順調にいっている者、壁を乗り越えようと日々闘っている者とそれぞれです。
拠点校指導員として私が今痛感すること、それは「現在の教育現場において初任者が生き抜くためには、教育現場の現実を知っているかどうかが鍵である」ということです。
私自身も20年近く前に新卒後すぐに教員となり初任者研修の第2期生となりました。でも、その頃とは学校現場や家庭、地域、社会の状況が大きく違うのです。「初任の先生を育てていこう」という“余裕”が学校にも、また学校を取り巻く環境にも無くなってきているのですね。
だからこそ、教師として歩み出す前に、教師を志す若い人たちに「最小限の実学」でよいので与えておかねば!と痛感しています。

長々と自分の思いを書いてしまい申し訳ありません。(でも、本当はまだまだあるのですが…笑)
野中先生のブログ、これからも楽しみにしています! 
私たち現場で闘う者を勇気づけてください!

投稿: june | 2008年10月25日 (土) 02時34分

 JUNEさん、コメントありがとうございました。
 私と同じ仕事をされているのですね。その立場を踏まえての意見、ありがとうございました。
 まだまだ私ができる仕事があるのだと思い、心熱くなりました。
 4人の初任者を無事に1年間育ててくださいよ。
 がんばりましょう。

投稿: 野中信行 | 2008年10月27日 (月) 21時04分

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