なるようにしかならない。ほとんど時間が解決してくれる
夏休みが終わった。私は、初めてこのような余裕のある夏休みをおくった。
昨年までは、空き時間は、毎日学校へ行って陸上教室を開いていた。ゆっくり過ごす夏休みは、ずっとなかったと言っていい。
家の片付けをした。本をたくさん読むことができた。ブログを再開した。……
自分のこれからを考えることができた夏休みであった。
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夏休みの間、自分を最後のところで踏みとどまらせてくれるものは何だろうとずっと考えていた。
大学時代からずっと読み続けてきた吉本隆明を本格的にもう一度読み直してみたいと、読み始めている。
吉本の小林秀雄論の講演会での一幕である。
工業高校の先生より高校生に文学を教える意味を問われている。
吉本は、「知識は財産である。見えないが自分を最後の処で支え踏みとどまらせるのも知識である。文学を学ぶ意味もここにある」と答えている。
このように言う人って、もう珍しいのではないかと思った。
知識などというものに誰も信頼を置いていないし、知識そのものにも偏見を持っているはずである。
「ほうっ~~」という感じであった。
この問いかけに触発されて、考え始めたものである。
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大学の4年生の頃を思い出した。
学生運動の後遺症から、ずいぶんと大学内は荒廃していて、私もまた呆然として過ごす日々であった。卒業後のことを考えなければいけなかったが、乗り気でなかった。
教師の就職試験にも落ちてしまっていて、これからどうしようかと思っていた。
時間だけはある。もうほとんど単位も取れているし、(といっても最低限度だけであったが)日々を過ごすのが大変であった。
このときにふと思いついて、図書館へ通い出したのである。
日本文学や世界文学などを含めて、さまざまな本を読んだ。太宰も、漱石も、…さまざまに有名な文学をこの時初めて読破したということになる。
ほとんど暇つぶしの気持ちであった。
しかし、この時の読書は、教師になって以降さまざまに私を支えてくれたと思う。
吉本が言うのは、私の場合確かにそうなのだ。
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自分の人生の中で、誰でもが何度もの危機がある。進退窮まり、どうしていいか分からないという状況である。
私もまた、今までの中で、そういう危機を何度も迎えた。
今でも、そういう危機に直面している人は、たくさんいるに違いない。
大分の採用試験で、突然採用取り消しを通告された21人の先生たちも、このような危機に直面しているはずである。
辞職か、臨時講師か。考える時間は、わずかしかない。
教育委員会自体の大失態を私たちに転化しようという怒りがあるはずである。
もちろん、自分の親たちや親類が、口利きで働きかけている。しかし、この21人は、ほとんど知らなかったはずである。
教育委員会は、けじめをつけようとしている。
しかし、21人にとって、納得できるはずはないであろう。
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ある商屋の旦那が死ぬときに、「ここに遺言を書いておく。どうしても進退窮まったときに出して開くように」と言い伝えたと言う。
その商屋が、商売に行き詰まり、どうしようもなくなったとき、いよいよ遺言を開くときがきた。何か莫大な財産が残されていないか期待したのである。
その遺言には、つぎように書かれてあったと言う。
「なるようにしかならない。ほとんど時間が解決してくれる。」と。
このような内容であったと思う。
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同じような内容を、あの映画監督新藤兼人さんが語っていた。
「かつて私の郷里のお百姓は、焦らず、絶望せず今日一日を働けば、明日はまた明日の風向きがあるという諺を言い伝えていました。『ぼつぼついっても田は濁る』と。米作りでは田が濁るまで待っていないと苗を植えられないのですが、なあに、ぼつぼつ日を過ごせば、そのうち田は濁ってくる。つまり、苦しかったり、うまくいかなかったりしても、やがて目的に達することができるから絶望するな、希望はちゃんと先にあるということですね」
今日の私たちは、文明や社会に守られていて、スムーズに生きていけると錯覚している。
でも、そんなことはない。必ず進退窮まる時は来る。
そんなとき、焦らず、絶望せず、「なるようにしかならない。時間が解決してくれる」とその日その日をきちんと生き抜いていく、そんな日をもてるかどうか。
そういう自分を支えてくれるものとは何だろうか。
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