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木曜日の楽しみな一日

 英語活動について書いた。

 アメリカの友人、前川さんからコメントが入った。ありがたいことである。

 前川さんは、アメリカの西海岸で、日本人学校に勤務されている。こちらから行かれているのではなく、現地で採用され、勤務されている。

 その前川さんからのコメントであるから、かなり重たいものである。

「私がアメリカで教えていて常々感じるのは、言葉とは伝えたいことがあって初めて活かされるものだということです。言葉のきれいさ(発音など)も大切かもしれませんが、それがあまりにも先行してしまうと、英語は無機質なものになってしまいます。意欲の低下というのは、その無機質な部分に過敏になってしまっているからではないでしょうか」

 「ああ、なるほど、なるほど」という気持ちになった。

 「無機質なもの」とは、生活感がないものというように私は受け取った。

 先日、本校で英語活動の重点研があったとき、講師である先生(前に英語活動の研究協力校の校長先生)も、「確かに、高学年になると、英語に意欲をなくしていくということがありました」と認められていた。

 だから、高学年が英語活動の意欲をなくしていく現象は、かなり広がっているのではないかと、私は思っている。

 前川さんから指摘されたことは、「言葉は伝えたいことがあって活きるもの」ということ。

 きっと英語活動をしている学校は、このような考え方をしていない。

 とにかく英語に慣れさせようと必死であり、やれ挨拶だ、やれ歌だ、……(もちろん、最初は必要であろう)となっていることであろう。

 その領域から、高学年になっても抜け出せない。

 そこに、大きな問題があるのではないかと、私は推測する。

 また、中学校、高校と6年間も英語を勉強していて、会話の一つもまともに身につけない生徒が多いというのも、前川さんの指摘が、カリキュラムの中に活かされていないのではないかと、推測する。どうであろうか。

 ★

 1週間に一度だけ(木曜日)、1年3組の教室を訪問する。

 その日は、朝からずっとそのクラスの子供たちと生活するわけである。

 子供たちは、私のことを待っていてくれる。うれしいことである。

 今日は、6人の子供たちが、「野中先生、自由帳だよ」と持ってきてくれた。

 「そうか、そうか、じゃあ今日も作ってあげるね」と答える。

 その自由帳には、漫画、お人形、迷路、こわい話などが書かれている。

 そのページをコピーし、色用紙をつけて本みたいに閉じてあげるのである。

「おもしろい まんが 4号    まんがはかせ   ○○ ○○」

と書く。もうすでに、5号を発行している子供もいる。

 教室の前の本立てに、一冊ずつ収められている。もう全部で何冊になったのだろうか。

 担任の先生から宣伝が行き渡っているので、他の子供にも、どんどん広がりをみせている。

 この現象は、ちょっとおもしろいなと思う。

 たわいない漫画やたわいないお人形であるが、1年生の「表現」というのは、このようなちょっとしたことを刺激してあげることから始まるのではないかと思う。

 多分、今までこのように一冊の本みたいにしてもらったことはないであろう。

 それだけでも、うれしいにちがいない。

 こういう「表現」をどのように伸ばしていくか、が問われる。

 おじいさんが、孫に対してうれしそうに接しているその姿にだぶって、私も、木曜日の一日を楽しんでいる。

 

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