「金だけ、自分だけ」の価値観
汚染米の問題が、マスコミを賑わしている。
大阪の三笠フーズから京都の介護施設の給食までたどり着くには、間に11の業者が介在していたという。1キロあたりの単価が、約9円から370年にはねあがっていた。やく40倍のはねあがりである。
要するに、もう行き着くところまで行っている。
偽造問題から始まり、汚染米までよくぞ毎回性懲りもなく問題が続くものだと呆れかえる日々である。
そして、テレビをつけるといつもいつも向こう側で何人も並んで、「申し訳ありませんでした」と頭を下げている。これも見慣れた風景になった。
テレビのこちら側では、私たちは怒っている。
「我々に、こんな汚染米を食べさせようという気持ちが分からない」
「自分のもうけのためには、どういうことでもやろうとする業者にはあきれかえる」
★
これだけ問題にされているのに、次から次へと問題が起こってくるというのはどういうことであろうか。
普通の常識があれば、どこかが摘発されれば、「これはやばい、すぐ我々はやめていこう」となるはずである。
ところが、ならない。どこでも、ほとんどがこのような偽造まがいのことをやっているからなのか。問題が発覚しているのは、たまたま内部告発により、運が悪かったところだけだからだろうか。
「みんなやっているんだから、うちだけやめる必要なんかないんだよ」
ということなのだろう。
★
昔、材木屋をやっていた、ある親しい知り合いから、最近聞いたことがあった。
「最近、近くの材木屋が2軒つぶれたんだよ。2軒ともとても人が良い社長さんだったんだよ。今人が良い社長の会社は、だいたい潰れるね。残っているのは、人が悪い社長の会社が多いんだよ」
つまり、ちゃんとした商売をしていたら、現在では生き残れない。さまざまにあくどい商売をしていかないと残りにくいということだったと思う。
この話を聞きながら、「ああ、そうなんだなあ」と思ったものである。
★
なぜこのような偽造問題や汚染米問題が、延々とエンドレスに起こってくるのか。
多くの企業や会社が、このようなあくどい商売をしているからであるというのは簡単である。
それらが順番にマスコミのターゲットになっていると私たちは思っている。
私たちは怒り、その責任を追及している。
しかし、このようなことでは、この問題の本質は見えてこないと、私は思う。
そうではなく、これらの問題は、あくまでも氷山の一角である。この問題を支えている裾野が大きく存在するはずである。
きっとそれは私たちの普通の生活や意識の中に存在しているはずだ。
そのように問題を立て直さなければ、これらの問題は分からないと思う。
それは何なのだろう。
★
偽造問題、汚染米問題を支えていたのは、「金儲け」である。
金を儲けるためには、どんなことでもやる。たとえ、倫理的に問題があろうが、
「みんながやっているんだ」から、自分もやっていくんだという意識である。
「金だけ、自分だけ」という価値観に染め上げられている。
それを批判しようものなら、「会社が潰れないためには、きれい事、正義感をならべても仕方ない」と切り返すであろう。
このように考えていけば、氷山の一角ではなくなる。
私たちの周りにも、さまざまにこのような生活や意識は転がっている。
これが大きな裾野である。
私たちは、おそらく「金だけ、自分だけ」という価値観と無縁であることはできないであろう。
だが、ほんとうに偽造問題、汚染米問題をなくしていくには、これらの問題を追及していくだけはどうにもならない。トカゲのしっぽ切りと同じである。
私たちの価値観の中に染め上げられている「金だけ、自分だけ」の意識を対象化し、ふるいにかけ、放逐していけなければ、おそらくいつまでもこれらの問題は延々と続くことになるであろう。
★
問題は、いつも自分と離れたところにあるのではない。
あの問題は、私の中のどこかと地続きになっているのではないか、と考えるところから始まるのだと思っている。
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