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人は確かに自分のことを知ることができない

   ある雑誌に、ある先生のことを書いた。

 ある学校に赴任したとき、その先生との出会いがあった。家庭科専科であった。ベテランでもあった。

ところが、T・Tとしてついてくれと言う。仕事をしていていいから、とにかく授業についていてほしいと言う。

 高学年教師にとって、この専科の時間がどれほど貴重なものか、経験している方にはお分かりだと思う。

 何かあるなと思いつつ、情報収集をすると、その先生は、前年度クラスが崩壊状態になったという。

 それで心配なので、専科の授業もついてほしいという要望であった。

 授業に参加すると、確かに心配されることを納得することができた。

 その先生は、気さくで、人当たりが良くて、誰にでも親切に対応する人であった。

赴任してきて何も知らない私に、いろいろなことを教えてくれた。発言力もあり、さまざまな学校の仕事も、進んでやられていた。

 ただ、授業になると、おしゃべりがマイナスに働いた。

 子供の考える時間や作業する時間を待てないのである。次から次へ発問が飛び、次から次へ指示が飛んでくる。1時間が終わると、私までもがどっと疲れる状態であった。

 授業を進める基本の基本を踏み外していると、私は思った。

 ★

 その先生は、次の年に転任された。そして、次の学校でも学級崩壊になり、ついにやめてしまわれたと風の便りに聞こえてきた。悲しい思いであった。

 私は、思い切ってその先生に問題点を伝える勇気を持てなかった。その先生は、もちろん不安な面を見せるにしても、自信家であった。なかなか伝えても、聞いてもらえないのではないかと思えたものである。

 その先生は、結局なぜ自分のクラスが崩壊になるのか、分からないままにやめてしまわれたのではないかと推測してしまう。

 この先生のことを思いながら、人間の悲しさを考えてしまうのである。

 人は、自分のことは自分が一番分かっていると考えている。自惚れである。

 確かに人は、他人には分からない秘密や他人には示さない隠し事を持ってはいる。

 だが、その人の欠点は、他人が1ヶ月ぐらい一緒に過ごしてみれば簡単に分かってしまうものである。でも、その人には分からない。

 こんなことってあるのである。 職場や会社で一緒に過ごしている人のことを考えてみれば絶対にこれは言えるはずである。

 ★

 自信家であればあるほど、また、歳をとればとるほど、誰もその人の欠点や問題点を伝えなくなる。これは、とても悲しいことである。

 ある会合で、野口芳宏先生と同席していた。授業と講演が終わって、校長室でのことである。

 その場に、アンケートのコピーが、担当の先生より持ち込まれてきた。

「いやいや、早いね。この種のものは、私はあまり見ないんだよ」と、野口先生は、ぱらぱらとめくられていた。

 そして、一つのアンケートを示しながら、(それは、ちょっと批判的な意見があったのだと思う)「こういう意見には、耳を傾けておかなくてはならないんだね」と強く言われた。

 そのことがとても印象深く残っている。

 おそらく、野口先生のもとに届けられるアンケートは、ほとんどが賛同や賞賛のものであろう。

 私も、アンケートには、批判的な意見よりも、何を学んだかをよく書く。

 そういうものなのである。

 しかし、人は賞賛や賛同の繰り返しの中に身を置いていると、いつのまにか錯覚してしまう。

 野口先生は、確かにそのことを教えられたのだと思った。

 ★

 人は、自分のことは確かに知ることはできない。宿命的にそうであると思っている方がいい。

 だから、自分探しの旅などに出かける。でも、それで自分のことが分かるはずはないのである。

 だが、いくらかでも自分のことが分かっていく方法はあるはずである。

 私は、2つのことを考えている。

 1つは、野口先生が示しておられる。批判を避けるなということだ。

 人は、自分への批判や否定を避ける。人間として当然である。普通はそうである。しかし、必ずある。欠点がない人間などいないのと同じである。

 問題は、その批判や否定にどのように対処するかにかかっている。嫌な思いになったり、落ち込んだりすることは自由だ。でも、そんな時間は短時間がいい。

 その批判や否定は、唯一自分で自分が分かるチャンスであるから。その批判や否定は、一体自分の何の問題なのだ、あるいは軽く踏み越えていくものなのか、じっくりと考えるチャンスを与えてもらっているのである。

 2つめは、自分のことを思って、自分に批判を投げかけてくれる人を持っていることである。もっとも信頼できる人である。自分のつれ合いがそうであり、親友がそうあればいい。そのような人が、何人もいれば自分は幸せだと思わなくてはならない。

 

   

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コメント

同感です。元検事の堀田力さんによれば、「自分への評価は、他人へのそれに比べて、2割甘くなる」そうです。この「2割増」の中に、自分が見えなくなる原因が含まれていると感じます。
ありのままの自分を映す鏡(人間)を持つことが大切ですね。

投稿: J.SASE | 2008年8月26日 (火) 10時27分

野中先生、こんにちは。滋賀のうえじゅです。
(本名を縮めたハンドルネームです…)
先日は案内のメールをありがとうございました。

初任から3年を過ごした前任校のことを思い出します。
2年目の時に相学級であった先生は、
確かに大変力量があり、また自信家でもあり
怖くて、それが正しいことだと思えなくても
誰も何も言えなかったことを思い出します。

そして、2年ご一緒させて頂いた教頭先生は
校内で一番若くて未熟であった私に
「至らなさや改善点はどんどん言って欲しい。
 管理職になれば、誰も何も言ってくれなくなるから」
といつもおっしゃっていたことを思い出します。

今日、偶然前者の先生にお会いしたので、
2年目のときのことを学年の先生に話していたら
野中先生と同じ事をおっしゃっていました。
「言われるうちが華だ」と言われますが
私も謙虚な気持ちで受け止めていきたいなと思います。

投稿: Saki.U | 2008年8月26日 (火) 18時41分

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