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離れてみて、意識すること

  離れてみて意識できることがある。渦中にいるときには、ほとんど意識できなかったことが、離れてみて、ふっと頭をもたげてくることがある。

 教室の現場から離れて5ヶ月が過ぎようとしている。(といっても、初任研担当として実際には、教室にいるにはいるのであるが…)

 先日、親たちの変貌ぶりについて語り合っている時、相手の方が「そういう親たちを教育してきたのも、私たち教師なんだということを忘れてはいけない」と主張されていた。この意見は、何度も聞いていたことで、特別に反応することではなかった。ところが、今回この意見は、とても気になってしまった。

 確かに、その通りである。現在の小学生や中学生の親たちを教育してきたのも私たち年配の教師たちである。その責任をきちんと引き受けなければいけないとその方は言われていたのだと思う。

 そのことを考えながら、ふっと思ったことがある。

 学校教育と家庭教育で、子育てはどのように違うのだろうか。学校は、どの程度子育てに関与し、家庭は、どのように子育てに関わっているのだろうか。このような基本的なことさえも、きちんと確立されていない、と考えるようになった。

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 70年代までは、よく言われていたことがある。

 「勉強は、学校で、しつけは、家庭で」

 もちろん、両者がきちんとそのように意識していたわけではなく、かなり曖昧になりながらも懇談会などでは、よくそんな話が懇談の話題を占めていた。

 しかし、もうこんなスローガンも死語になっているであろう。

 それよりも、「勉強は、塾で、しつけは、学校で」というスローガンが、現実的である。

 中学進学が多い小学校では、現実的にこのようになっている。ただ、「しつけ」という言葉もまた、ほとんど死語化しているので、「ルール」と言い換えたがいいのかもしれない。

 要するに、もはや子育てというのは、基本的な視点が曖昧模糊としながら、もうぐじゃぐじゃにねじ曲がっていると言った方がいいのかもしれない。

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 学校と家庭の子育ての違いすら、もはや明確でない。

 こんなことってあり得るのか。

 多忙な現場を離れてみて、ふいとこんな基本的なことが気になっている。

 

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