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したいことだけをして、すべきことをしていない

  朝起きがけに散歩する習慣ができた。30分ばかりの散歩である。

 自宅近くの帷子川の遊歩道を歩く。楽しみの一つが、毎朝咲き誇るアサガオを見ることである。

 帷子川を守る会の人たちが、帷子川のフェンスに沿って毎年植えてある。壮観である。

 いつもそのアサガオを管理している方がいる。毎日、暑い日には、水まきをされてきちんと管理されている。今日は思い切って声をかけた。

「いつもアサガオは素晴らしいですね。今年も楽しませてもらいました。ありがとうございます」

 ただそれだけの挨拶だったが、その方はうれしそうに返事を返された。

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 私は、横浜の教職員走友会に所属している。

 尊敬する方に、Yさんがおられる。もう75歳になられる。毎年、フルマラソンを4,5回走られる。それだけでも、驚異的である。

 副校長で退職され、教育委員会が運営する浜っこクラブ(学童クラブ)の仕事を6年ほどされて今は完全にフリーになられている。

 フルマラソンを走ることがライフワークである。この歳で元気に走られているのであるから、全国でも、有数のランナーの一人である。

 「Yさん、今はどうされているのですか?」と聞いた。

「今は、1週間に一回養護学校の生徒の世話をしています。それから、地下鉄の改札のボランティアをしています」という返事が返ってきた。

 完全なボランティアであるということだ。

 その話を聞きながら、ますますYさんの生き方に惹かれた。

 自分の楽しみだけでなく、ちゃんと社会に貢献される仕事を積み重ねられているのである。

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 以前ブログに書いたことがある。曾野綾子さんが書かれた、インドのガンジス河に面したバナラシに行った時の新聞記事である。

 そこでインド風の宿屋に長逗留している日本人の若者の話である。

 そこは一泊100円くらいで泊まれるので、中には4年間も暮らしている人がいるという。

 彼らは一日中何もしない。テラスに座って河を眺め、楽器をいじり、世界中からやってくる若者たちと喋ったり、ただぼんやりしている。

 同行していたインド人の神父に、曾野さんは、日本の若者の印象を聞くと、誰もが幸福そうに見えなかった、と言う。

 日本の若者たちは皆、自由、経済力、健康、知能、すべてをもっているのに、どうしてそう思われたのかと神父に問う。

「彼らは、自分がしたいことをしているだけで、人としてすべきことをしていないからだ」と明快に答えたと言う。

 そして、曾野さんは、書く。

「したいことだけをしようとするのは、つまり幼児性の表れである。大人だってほんとうはしたいことだけしていたいのだが、そうはいかない。やはりすべきことをしなければ、と思う。そして思いがけないことだが、したくないこともした時、初めて、人は自分が必要とされている存在であることを感じ、不思議なことに心が満たされるのである。」

「日本の間違いは、もう立派に大人の年でありながら、大人の行為をしようとしない『モラトリアムの子供』を多く育て、抱えるようになったことだろう」

「したいことだけをしているだけで、人としてすべきことをしていない」というのが、曾野さんが指摘する「子供」である。

 日本では、若者だけではない。数限りない人たちが、この中に含み込まれて行くであろう。

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 ある雑誌(もう廃刊になっているが)の企画で、「大人になること」とは何かというテーマのもとに次々に提案していくという記事があった。

 池田修さんの提案であった。その提案に、糸井登さんが答え、私も参加させてもらったことがある。

 あのときに何を言ったのか、もう覚えていない。

 しかし、「大人になること」とは何かというテーマは、ますます重要なテーマになっていることは確実である。 

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