1時間の授業が成り立つための必須条件
初任研担当の仕事に再任用されて5ヶ月が過ぎた。
週に2.5日の出勤である。半日は、教材研究や打ち合わせの日。あと2日を2人の先生に一日ずつ付き合う。2人の先生の授業をずっと一日中見て、指導していくのである。
初めてこのように内側から初任の先生の授業を見ている。2人の先生とも、学ぶ姿勢があり、私は快く仕事をさせてもらっている。
一人の先生は、クラスを担任せず、4,5年の算数の少人数学級担当である。
単元により、T・Tで行ったり、クラスを2つに分けた少人数で行ったりしている。
同じ授業を4年の複数のクラス(4組ある)で行うので、初任の先生が1時間目に1組で授業を行い、2時間目に、私が同じところを違うクラスで授業するということがある。しばしば行った。
私の授業は、ほとんど教材研究もなし、場当たり的な授業である。それでも、初任の先生には、とても勉強になることである。
ほとんど同じ流れで、授業するのであるから、違いがはっきりする。
「野中先生の授業と私の授業と、まったく同じところなのにどうしてこんなに違うのでしょうか?」
「どうしてだと思うの?」
「?」
と、いう会話によくなった。
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初任者の授業を見ながら、ずっと私は、「授業が成立するための必須条件」を考えていた。
うまい授業でなくていい。きちんと1時間を成立させていく授業である。そのための必須の条件とは何だろうか。
今までもこのような条件を考えてきたことがあった。だが、それは自分の授業を反芻してのものであった。
初任者の授業を見ながら、初任者がきちんとした授業を成立していくためにはどんな条件が必要なのだろうか、と考え続けたのである。
4ヶ月の間に考えたことは、次の3条件である。
1,教師の指導言が、発問なのか、指示なのか、説明なのかを意識したもの にする。
2,子供たちへ視線を向ける。
3,一時に一事の指示をする。
3つとも、きちんと実現しようとすると難しい。すぐにはできない。意識的な努力が必要である。
しかし、この3条件を最低マスターできなくては、きちんと1時間を成立させていく授業にはならないのだと、私の今のところの結論である。
★
少し説明が必要である。
1については、もはや説明の要はない。1時間の中で、今発している言葉が、問いかけの発問の言葉なのか、作業などを指示する言葉か、事柄の内容や意味を説明する言葉なのかを常に意識して授業することである。
2については、初任者はほとんどができない。1時間の授業を進めるだけで精一杯で、子供たちがどのような状況で学習しているかなど目が行き届かない。
子供たちへ目を向けてはいる。ただ、向けているだけである。机間巡視(机間指導ではない)をすることはする。でも、ただ回るだけである。
問題は、視線をどのように子供たちへ向けられるかである。子供たち一人一人が、今どのような学習状況にあるかを把握するための視線である。
3については、初任者だけの問題ではない。ベテランの教師さえもが、「一時に一事の原則」という言葉を知らない。
たとえば、図工の勉強で次のような指示を出している。
「今から図工の勉強で、『おもしろいおもちゃ作り』をします。机の上には、図工の本と糊とハサミを出します。そして、プリントを配りますから、名前を書いておきなさい」
この指示には、次のような指示が含まれている。
ア、図工の本を出しなさい。
イ、13ページを開けます。
ウ、「おもしろいおもちゃ作り」の説明をする。
エ、図工の本をしまいます。
オ、プリントを配りますから、すぐ名前を書きます。
カ、糊とハサミを出します。
このような6つの指示と説明が含まれている。ところが、これをいっぺんに話してしまうのである。
もちろん、全体に徹底することはない。
アで、すでに2人が出していない。イで、3人が開いていない。エで、4人がしまっていない。オで、半分ができていない。……というふうになっているのに、次から次へと進んで行ってしまう。
こんな授業を繰り返していくと、教師の指示にほとんど反応しない子供が出てきてしまう。
それを避けるのは、どうしても一時に一事を指示し、きちんとできているかどうか確認して、次の指示に行くという手立てが必要である。
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