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2008年8月

1時間の授業が成り立つための必須条件

  初任研担当の仕事に再任用されて5ヶ月が過ぎた。

 週に2.5日の出勤である。半日は、教材研究や打ち合わせの日。あと2日を2人の先生に一日ずつ付き合う。2人の先生の授業をずっと一日中見て、指導していくのである。

 初めてこのように内側から初任の先生の授業を見ている。2人の先生とも、学ぶ姿勢があり、私は快く仕事をさせてもらっている。

 一人の先生は、クラスを担任せず、4,5年の算数の少人数学級担当である。

 単元により、T・Tで行ったり、クラスを2つに分けた少人数で行ったりしている。

 同じ授業を4年の複数のクラス(4組ある)で行うので、初任の先生が1時間目に1組で授業を行い、2時間目に、私が同じところを違うクラスで授業するということがある。しばしば行った。

 私の授業は、ほとんど教材研究もなし、場当たり的な授業である。それでも、初任の先生には、とても勉強になることである。

 ほとんど同じ流れで、授業するのであるから、違いがはっきりする。

「野中先生の授業と私の授業と、まったく同じところなのにどうしてこんなに違うのでしょうか?」

「どうしてだと思うの?」

「?」

と、いう会話によくなった。

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 初任者の授業を見ながら、ずっと私は、「授業が成立するための必須条件」を考えていた。

 うまい授業でなくていい。きちんと1時間を成立させていく授業である。そのための必須の条件とは何だろうか。

 今までもこのような条件を考えてきたことがあった。だが、それは自分の授業を反芻してのものであった。

 初任者の授業を見ながら、初任者がきちんとした授業を成立していくためにはどんな条件が必要なのだろうか、と考え続けたのである。

 4ヶ月の間に考えたことは、次の3条件である。

 1,教師の指導言が、発問なのか、指示なのか、説明なのかを意識したもの        にする。

 2,子供たちへ視線を向ける。

 3,一時に一事の指示をする。

 3つとも、きちんと実現しようとすると難しい。すぐにはできない。意識的な努力が必要である。

 しかし、この3条件を最低マスターできなくては、きちんと1時間を成立させていく授業にはならないのだと、私の今のところの結論である。

 ★

 少し説明が必要である。

 1については、もはや説明の要はない。1時間の中で、今発している言葉が、問いかけの発問の言葉なのか、作業などを指示する言葉か、事柄の内容や意味を説明する言葉なのかを常に意識して授業することである。

 2については、初任者はほとんどができない。1時間の授業を進めるだけで精一杯で、子供たちがどのような状況で学習しているかなど目が行き届かない。

 子供たちへ目を向けてはいる。ただ、向けているだけである。机間巡視(机間指導ではない)をすることはする。でも、ただ回るだけである。

 問題は、視線をどのように子供たちへ向けられるかである。子供たち一人一人が、今どのような学習状況にあるかを把握するための視線である。

 3については、初任者だけの問題ではない。ベテランの教師さえもが、「一時に一事の原則」という言葉を知らない。

 たとえば、図工の勉強で次のような指示を出している。

「今から図工の勉強で、『おもしろいおもちゃ作り』をします。机の上には、図工の本と糊とハサミを出します。そして、プリントを配りますから、名前を書いておきなさい」

 この指示には、次のような指示が含まれている。

 ア、図工の本を出しなさい。

 イ、13ページを開けます。

 ウ、「おもしろいおもちゃ作り」の説明をする。

 エ、図工の本をしまいます。

 オ、プリントを配りますから、すぐ名前を書きます。

 カ、糊とハサミを出します。

 このような6つの指示と説明が含まれている。ところが、これをいっぺんに話してしまうのである。

 もちろん、全体に徹底することはない。

 アで、すでに2人が出していない。イで、3人が開いていない。エで、4人がしまっていない。オで、半分ができていない。……というふうになっているのに、次から次へと進んで行ってしまう。

 こんな授業を繰り返していくと、教師の指示にほとんど反応しない子供が出てきてしまう。

 それを避けるのは、どうしても一時に一事を指示し、きちんとできているかどうか確認して、次の指示に行くという手立てが必要である。    

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人は確かに自分のことを知ることができない

   ある雑誌に、ある先生のことを書いた。

 ある学校に赴任したとき、その先生との出会いがあった。家庭科専科であった。ベテランでもあった。

ところが、T・Tとしてついてくれと言う。仕事をしていていいから、とにかく授業についていてほしいと言う。

 高学年教師にとって、この専科の時間がどれほど貴重なものか、経験している方にはお分かりだと思う。

 何かあるなと思いつつ、情報収集をすると、その先生は、前年度クラスが崩壊状態になったという。

 それで心配なので、専科の授業もついてほしいという要望であった。

 授業に参加すると、確かに心配されることを納得することができた。

 その先生は、気さくで、人当たりが良くて、誰にでも親切に対応する人であった。

赴任してきて何も知らない私に、いろいろなことを教えてくれた。発言力もあり、さまざまな学校の仕事も、進んでやられていた。

 ただ、授業になると、おしゃべりがマイナスに働いた。

 子供の考える時間や作業する時間を待てないのである。次から次へ発問が飛び、次から次へ指示が飛んでくる。1時間が終わると、私までもがどっと疲れる状態であった。

 授業を進める基本の基本を踏み外していると、私は思った。

 ★

 その先生は、次の年に転任された。そして、次の学校でも学級崩壊になり、ついにやめてしまわれたと風の便りに聞こえてきた。悲しい思いであった。

 私は、思い切ってその先生に問題点を伝える勇気を持てなかった。その先生は、もちろん不安な面を見せるにしても、自信家であった。なかなか伝えても、聞いてもらえないのではないかと思えたものである。

 その先生は、結局なぜ自分のクラスが崩壊になるのか、分からないままにやめてしまわれたのではないかと推測してしまう。

 この先生のことを思いながら、人間の悲しさを考えてしまうのである。

 人は、自分のことは自分が一番分かっていると考えている。自惚れである。

 確かに人は、他人には分からない秘密や他人には示さない隠し事を持ってはいる。

 だが、その人の欠点は、他人が1ヶ月ぐらい一緒に過ごしてみれば簡単に分かってしまうものである。でも、その人には分からない。

 こんなことってあるのである。 職場や会社で一緒に過ごしている人のことを考えてみれば絶対にこれは言えるはずである。

 ★

 自信家であればあるほど、また、歳をとればとるほど、誰もその人の欠点や問題点を伝えなくなる。これは、とても悲しいことである。

 ある会合で、野口芳宏先生と同席していた。授業と講演が終わって、校長室でのことである。

 その場に、アンケートのコピーが、担当の先生より持ち込まれてきた。

「いやいや、早いね。この種のものは、私はあまり見ないんだよ」と、野口先生は、ぱらぱらとめくられていた。

 そして、一つのアンケートを示しながら、(それは、ちょっと批判的な意見があったのだと思う)「こういう意見には、耳を傾けておかなくてはならないんだね」と強く言われた。

 そのことがとても印象深く残っている。

 おそらく、野口先生のもとに届けられるアンケートは、ほとんどが賛同や賞賛のものであろう。

 私も、アンケートには、批判的な意見よりも、何を学んだかをよく書く。

 そういうものなのである。

 しかし、人は賞賛や賛同の繰り返しの中に身を置いていると、いつのまにか錯覚してしまう。

 野口先生は、確かにそのことを教えられたのだと思った。

 ★

 人は、自分のことは確かに知ることはできない。宿命的にそうであると思っている方がいい。

 だから、自分探しの旅などに出かける。でも、それで自分のことが分かるはずはないのである。

 だが、いくらかでも自分のことが分かっていく方法はあるはずである。

 私は、2つのことを考えている。

 1つは、野口先生が示しておられる。批判を避けるなということだ。

 人は、自分への批判や否定を避ける。人間として当然である。普通はそうである。しかし、必ずある。欠点がない人間などいないのと同じである。

 問題は、その批判や否定にどのように対処するかにかかっている。嫌な思いになったり、落ち込んだりすることは自由だ。でも、そんな時間は短時間がいい。

 その批判や否定は、唯一自分で自分が分かるチャンスであるから。その批判や否定は、一体自分の何の問題なのだ、あるいは軽く踏み越えていくものなのか、じっくりと考えるチャンスを与えてもらっているのである。

 2つめは、自分のことを思って、自分に批判を投げかけてくれる人を持っていることである。もっとも信頼できる人である。自分のつれ合いがそうであり、親友がそうあればいい。そのような人が、何人もいれば自分は幸せだと思わなくてはならない。

 

   

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したいことだけをして、すべきことをしていない

  朝起きがけに散歩する習慣ができた。30分ばかりの散歩である。

 自宅近くの帷子川の遊歩道を歩く。楽しみの一つが、毎朝咲き誇るアサガオを見ることである。

 帷子川を守る会の人たちが、帷子川のフェンスに沿って毎年植えてある。壮観である。

 いつもそのアサガオを管理している方がいる。毎日、暑い日には、水まきをされてきちんと管理されている。今日は思い切って声をかけた。

「いつもアサガオは素晴らしいですね。今年も楽しませてもらいました。ありがとうございます」

 ただそれだけの挨拶だったが、その方はうれしそうに返事を返された。

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 私は、横浜の教職員走友会に所属している。

 尊敬する方に、Yさんがおられる。もう75歳になられる。毎年、フルマラソンを4,5回走られる。それだけでも、驚異的である。

 副校長で退職され、教育委員会が運営する浜っこクラブ(学童クラブ)の仕事を6年ほどされて今は完全にフリーになられている。

 フルマラソンを走ることがライフワークである。この歳で元気に走られているのであるから、全国でも、有数のランナーの一人である。

 「Yさん、今はどうされているのですか?」と聞いた。

「今は、1週間に一回養護学校の生徒の世話をしています。それから、地下鉄の改札のボランティアをしています」という返事が返ってきた。

 完全なボランティアであるということだ。

 その話を聞きながら、ますますYさんの生き方に惹かれた。

 自分の楽しみだけでなく、ちゃんと社会に貢献される仕事を積み重ねられているのである。

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 以前ブログに書いたことがある。曾野綾子さんが書かれた、インドのガンジス河に面したバナラシに行った時の新聞記事である。

 そこでインド風の宿屋に長逗留している日本人の若者の話である。

 そこは一泊100円くらいで泊まれるので、中には4年間も暮らしている人がいるという。

 彼らは一日中何もしない。テラスに座って河を眺め、楽器をいじり、世界中からやってくる若者たちと喋ったり、ただぼんやりしている。

 同行していたインド人の神父に、曾野さんは、日本の若者の印象を聞くと、誰もが幸福そうに見えなかった、と言う。

 日本の若者たちは皆、自由、経済力、健康、知能、すべてをもっているのに、どうしてそう思われたのかと神父に問う。

「彼らは、自分がしたいことをしているだけで、人としてすべきことをしていないからだ」と明快に答えたと言う。

 そして、曾野さんは、書く。

「したいことだけをしようとするのは、つまり幼児性の表れである。大人だってほんとうはしたいことだけしていたいのだが、そうはいかない。やはりすべきことをしなければ、と思う。そして思いがけないことだが、したくないこともした時、初めて、人は自分が必要とされている存在であることを感じ、不思議なことに心が満たされるのである。」

「日本の間違いは、もう立派に大人の年でありながら、大人の行為をしようとしない『モラトリアムの子供』を多く育て、抱えるようになったことだろう」

「したいことだけをしているだけで、人としてすべきことをしていない」というのが、曾野さんが指摘する「子供」である。

 日本では、若者だけではない。数限りない人たちが、この中に含み込まれて行くであろう。

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 ある雑誌(もう廃刊になっているが)の企画で、「大人になること」とは何かというテーマのもとに次々に提案していくという記事があった。

 池田修さんの提案であった。その提案に、糸井登さんが答え、私も参加させてもらったことがある。

 あのときに何を言ったのか、もう覚えていない。

 しかし、「大人になること」とは何かというテーマは、ますます重要なテーマになっていることは確実である。 

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離れてみて、意識すること

  離れてみて意識できることがある。渦中にいるときには、ほとんど意識できなかったことが、離れてみて、ふっと頭をもたげてくることがある。

 教室の現場から離れて5ヶ月が過ぎようとしている。(といっても、初任研担当として実際には、教室にいるにはいるのであるが…)

 先日、親たちの変貌ぶりについて語り合っている時、相手の方が「そういう親たちを教育してきたのも、私たち教師なんだということを忘れてはいけない」と主張されていた。この意見は、何度も聞いていたことで、特別に反応することではなかった。ところが、今回この意見は、とても気になってしまった。

 確かに、その通りである。現在の小学生や中学生の親たちを教育してきたのも私たち年配の教師たちである。その責任をきちんと引き受けなければいけないとその方は言われていたのだと思う。

 そのことを考えながら、ふっと思ったことがある。

 学校教育と家庭教育で、子育てはどのように違うのだろうか。学校は、どの程度子育てに関与し、家庭は、どのように子育てに関わっているのだろうか。このような基本的なことさえも、きちんと確立されていない、と考えるようになった。

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 70年代までは、よく言われていたことがある。

 「勉強は、学校で、しつけは、家庭で」

 もちろん、両者がきちんとそのように意識していたわけではなく、かなり曖昧になりながらも懇談会などでは、よくそんな話が懇談の話題を占めていた。

 しかし、もうこんなスローガンも死語になっているであろう。

 それよりも、「勉強は、塾で、しつけは、学校で」というスローガンが、現実的である。

 中学進学が多い小学校では、現実的にこのようになっている。ただ、「しつけ」という言葉もまた、ほとんど死語化しているので、「ルール」と言い換えたがいいのかもしれない。

 要するに、もはや子育てというのは、基本的な視点が曖昧模糊としながら、もうぐじゃぐじゃにねじ曲がっていると言った方がいいのかもしれない。

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 学校と家庭の子育ての違いすら、もはや明確でない。

 こんなことってあり得るのか。

 多忙な現場を離れてみて、ふいとこんな基本的なことが気になっている。

 

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ああ、高齢化社会

   郷里の佐賀へ帰り、しばし佐賀の中心街を歩き回った。

 中心街と言っても、かつてそうであったということに過ぎない。

 今は、もう寂れているという状況を通り越している。疲弊しているのである。

 アーケイド街は、ほとんどの店がシャッターを閉じ、暗闇のままにお化け屋敷かと思われるような情景である。

 そこに、かろうじて数人の人たちが、通り過ぎていく。

 私は、言葉もなく、ただ昔の賑わいを思い出していた。

 通り過ぎる人たちに溢れ、夏の夜には、銀天夜市で賑わった。あの人たちは、どこへ行ってしまったのだろうか。

 高齢社会になっていく現実をこのような形で目にしている。

 地方の農山村では、二十年、三十年前から高齢社会になっていた。だけど、どうして今まで大問題にならなかったか。日本全体が、まだ高齢化していなかったからである。

 いま、日本全体が高齢化し始め、いくつかの特徴が現れてきた。

 1つは、日本の農山村は、もう超高齢化社会であり、まもなく消滅していく地域が激増していくと言われている。(限界集落)そして、さらに、5万、10万規模の地方都市が、完全に空洞化していくであろう。佐賀の状況は、まさにその姿であろう。

 2つめは、東京、大阪の大都市圏の高齢化が著しくなっている現在、地方都市の空洞化がさらに大都市圏を覆っていくことになろう。

 3つめは、高齢社会の問題は、単に高齢者が増加するというということではないことである。労働人口、子供人口が減少する。つまり、高齢社会問題は、少子化問題であり、労働問題であり、経済問題であるということになる。

 日本は、これから初めて経験するこのような問題に対処していかなくてはならないのである。

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異端の21歳、勝ちに行った

12日から郷里の佐賀へ里帰りをしてきた。

 今回は、私の退職祝いを親戚たちで行ってくれるということである。

 市内から40分ぐらいのところにある古湯温泉へ行った。小説家の笹沢佐保さんが、この古湯が気に入って、ここに家を建てたところでもある。

 宿泊した古湯の大和屋という旅館は、私の高校の後輩が専務として仕切っている。

 ここに16人が集まり、にぎやかな会になった。旅館から、還暦祝いとして赤いちゃんちゃんこが提供され、みんなで写真撮影会になった。

 もう60歳の還暦で赤いちゃんちゃんこを着るなどという風習は、なくなっているのではないだろうか。突然のサプライズであった。

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 オリンピックである。旅館でも、郷里の家でも、自宅でも、久しぶりにテレビに見入っている。

 テレビを見ながら、レースや試合にのぞんでいく選手の表情が、メダルにからんでいく決め手になっていることがよく分かってきた。

 日本選手の中で、ものすごい表情で、「よし、決めてやる!」と闘志満々だったのが北島選手だった。見事に、100mも、200mも金メダルを取った。

 だが、総じて、日本選手たちは、表情が不安そうである。そこがとても気になった。

 前にも、ブログで、日本選手たちに最近表れてきた言葉で気になることを書いた。

 「楽しく試合にのぞみたい」「この世界選手権を楽しみたい」…という言葉である。よくインタビューに、このように答えている。

 「楽しみ」病に罹っているのじゃないか。オリンピックなどという世界の大会では、そんな柔な精神では、絶対に目標の記録を出すことはできないし、メダルに絡むことなど不可能だと書いた覚えがある。

 案の定、結果は陸上の世界大会では、惨敗であった。

 試合を楽しむとか、楽しい練習をするというのは、市民大会などに参加する市民選手とか、小中の生徒たちの世界でのことである。

 日本のトップを張っている選手たちが、こんな言葉を言ってどうするのだと思ったものである。オリンピックに出場する他国の選手たちは、体力のぎりぎりまで使い、命がけの勝負をしかけてくるのである。

 今回も、100mの朝原が、「4回目だけどわくわくする。楽しみながら結果を出せたらと思う」と語っていた。これではもう無理だと私は思った。

 ハンマー投げの室伏も、今回予選通過を一回目に果たしたときのインタビューで、「オリンピックを楽しみたい…」という言葉をはいていた。(まだ、決勝は行われていない。あの言葉は、リップサービスだったことを願う)

 ★

 そこに突然すごい奴が現れた。柔道100キロ超級で金メダルを取った石井慧である。

 21歳である。試合前に並んでいるところからふてぶてしかった。徹底した勝利のこだわりを口にし、「柔道はルールのあるけんかだ」と言い放つのだと言う。

 試合を終えた石井は、言い放ったという。「自分はスポーツをやっていない。戦いだと思っている」

 不足続きの男子柔道陣にとって、まったくの異端児である。

 朝日新聞は、「異端の21歳『勝ちにいった』」という見出しである。

 何を言っているんだ。これこそが今日本の選手に必要なモットーではないかと思った。

 あのぎらぎらした目つきは、朝青龍の強いときの目つきであった。日本にも、こんな選手がいたのである。

 山下泰裕は、「石井が最重量を制して、日本柔道の伝統を守ってくれた。決勝を含め、攻めに徹していた。自分より大きい相手を動かし、十分な組み手にさせず、どんどん技をかけた。準決勝までの4試合も、最後まで攻め抜く姿勢が一本勝ちを生んだ。……略……健闘した女子に比べ、男子はかつてない厳しい結果だ。特に鈴木と泉はひどかった。私たちは2人の実力を見誤っていたと思う。……」と厳しく評価していた。

 まだまだオリンピックは続く。

 

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いつも、誰でも、そこから始まる

  北海道を旅した。娘の休みに合わせての家族旅行である。

 帯広から富良野、美瑛へ行った。ラベンダーは、もう終わりになっていた。

 それでも美瑛での前田真三という風景写真家との出会いは、貴重なものであった。

 といっても、前田真三は、もう10年前に亡くなっている。

 出会ったのは、彼が撮った美瑛の写真である。美瑛に設けられた拓真館での出会いであった。

 今まで写真の世界には、まったく興味がなく、前田真三という写真家もまったく知らなかった。

 だが、拓真館に入り、彼の写真を見たとき、その鮮烈さに驚いた。

 絵はがき風の風景ではない。説明風的に見るものに問いかけてくるという風景でもない。

 それは、今まで見たこともない風景写真であった。

 この写真を見ながら、「この前田真三さんが、この美瑛を有名にしたのだ」と思った。

 前田真三は、美瑛に出会ったときのことを次のように書いている。

「…先程から私はあまりにも大きく美しい眼前の風景に心奪われていた。かつてこれだけおおらかで、心にふれる風景に出合ったことがあったであろうか。そして、ふと我に返って何気なく足元から西側を振り返った時、馬の背のようななだらかな丘の上に整然と並んだ一条のカラ松林を見た。それはあたりの風景と実にうまく調和しているというよりも、この丘のカラ松のために丘を取りまく大風景が存在している、という感じであった。私は電気に打たれたように呆然と立ちつくしていた。“これこそ新しい日本の風景だ!”思わず心のうちで大きく叫んだ。急いでカメラを取り出すとカラ松の丘に向かって走った。この丘との出合である」(前田真三集 ブティック社)

 鮮烈な出合いは、いつもこのように訪れる。

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 没10年を記念して、東京の渋谷東急百貨店で「前田真三写真展」が開かれていると言う。

 私も急ぎ出かけていった。多くの人たちで、いっぱいであった。

 今まで私が知らなかっただけで、この風景写真家は、もう有名な写真家であった。

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 3日目は、あの有名な旭山動物園へ行った。

 暑い日であった。それでも人で溢れていた。

 小さな動物園。どこにでもいる動物たち。つぶれかかっていたというのは、まさにその通りであろうと思われた。

 私は、横浜ズーラシア動物園のそばにある小学校に通っていたので、その規模の大きさなどは問題にならないのである。

 この動物園は、何を変えたのか。

 動物の見方を変えた。今まで、物珍しい動物や物珍しい仕草で話題を作り、そこで人を集めることで成り立っていた動物園の手法を、画期的に変えた。

 動物をどのように見ていけばいいか、その見方を変えたのである。

 さまざまな工夫がなされていた。

 ペンギン館、シロクマ館、アザラシ館に人だかりがしていて、入館するには大変であった。

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 風景写真家前田真三も、旭山動物園の人たちも、あちら側(風景、動物たち)が問題ではなく、こちら側の問題であるととらえたところから始めている。

 いつも、誰でも、そこから始まるのである。  

  

 

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ブログ再開します

  B(客)久しぶりですね。また、ブログを再開すると聞いたので、どういう心境か訪ねてきたんですがね。

 A(主)4ヶ月しか経っていないんだけどね。いろいろな方からブログ再開の要を受けたのだが、自分の生活をきちんとするのが先でね。

 B(客)この間に、さまざまなことがあったね。一言言いたくて、うずうずしていんじゃないかな。そうそう、この前の7/26(土)の読売新聞では、大分問題について語っていたじゃないか。和田中だった藤原さん、ヤンキ先生、それからあんたの順番だったから現場教師の代表みたいな形での発だったじゃないかな。

 A(主)そうだね。限られたスペースだから、言いたいことはそんなに言えないよ。でも、今回の大分問題は、教育界に与えた影響は大きかったね。口利きなんかはどこでもやっていたことだろうし、教育界の積もり積もった悪弊がどっと出てきた感じだった。

 B(客)矢野容疑者の子供さんが辞職されて、それを聞いた彼が、子供の将来をつぶしてしまったとうなだれていたというニュースが書かれていたけど、悲しいことだったね。

 A(主)今回逮捕された人たちは、多分教師をしているときは、有能な人たちだったと思うよ。浅利校長の子供さんは、保護者会で、「母にあこがれて教師になった」と言ったということだから…。

 B(客)ほとんどの子供が、金を使ったということを知らなかっただろうから、悲しいことだよ。今回の問題の本質的なことは何だろうか。

 A(主)そこだね。マスコミを賑わした偽装問題と同じことが教育界でも起こったわけだ。でも、この偽装問題は、突然に起こったことではなくて、今まで積もり積もって起こったわけだ。江戸川区の食肉販売会社「山形屋」奥山社長が、マスコミに本音を吐いていたね。

 B(客)それはどんなことだ。

 A(主)だれでもやっていることだ(自分一人がやったことではない)、たまたま今回刺された(運が悪かった)、甘ちょろい正義感では商売なんかやっていけない、と堂々とまくし立てていたよ。本音を引き出せば、みんなこれに尽きると思う。

 B(客)「金だけがすべて」という世界だね。大分問題も、まさにこの世界だったわけだ。そこで、今回の問題の本質とは何なんだ。

 A(主)考え違いをしていると思う。管理職などの職へ出世していくことの意味を考え違いしているね。そこで本質的な問題が問われたと思う。

 B(客)どういうことだ。今はずいぶん管理職へなろうという人が少なくなっていると聞いているし、あんただってずっと37年間平教師だったじゃないか。

 A(主)管理職を否定しているわけじゃないよ。私はそんな仕事は向いていないと思っただけだよ。教育の仕事でもっとも大事なことは、教室の現場で、教師と生徒が豊かな教育関係を展開することなんだよ。そのために、管理職があり、教育委員会があり、文科省があり、……ということになるはずだ。上に行けば行くほど、その現場を変えていく大きな力を発揮できるのだよ。

 B(客)ほう、そういう風には考えないな。人が出世するのは、自分のビジョンや自分の名誉心のためじゃないのかな。それがえらくなるということだろう。

 A(主)私のような考えは、もう風化してしまって教育界に跡形もないようになっている。でも、70年代までは生きていたことなんだ。「戦後精神」としてね。「世間に後ろ指をさされないような生き方をする」という形でね。私たち教師の世間というのは、「子供たち」なんだよ。その子供たちに後ろ指指されない生き方をするというのは、教師の生き方として残っていた。しかし、「戦後」という言葉が死語化していくことによって今回のような事件が浮き出てくるんだね。

 B(客)そうすると、管理職や教育職に上り詰めていくのは、今問題になっている教育の現場を変えていくためにあるというのが、あんたの考えなのだ。

 A(主)そう、それを忘れている。管理職や指導主事などになっていくことが、さも自分がえらくなっていく錯覚にとらわれている。えらくなるという往路だけが見えているんだよ。

 B(客)出たね、往路という言葉。そうすると、えらくなるという往路の次に出てくるのは、現実を変えていくという帰路の生き方ということかな。

 A(主)そうだね。往路だけの生き方だと、どんなに優秀で有能でも、いつのまにか今回のような出世主義者の網の中に巻き込まれていくよ。ただ、えらくなることだけが目標になるという虚しさ。もちろん、本人たちは虚しいとは考えないけどね。

 B(客)でも、あんたみたいに考えている人は、ほんの少数だと思うよ。遠吠えみたいに思えるけど…。

 A(主)そんなことはないよ。私の知り合いの管理職や教育長で、きちんと帰路としての仕事をやっている人は知っているよ。確かに少数ではあるが、ほんとうの言葉は、きちんと伝わっていくさ。そんなことに疲れてはいけないよ。

 B(客)わかった、わかった。今回ブログを再開していく志も、きちんと表明されているね。ところで、4ヶ月間何をしていたんだね。

 A(主)6月までは講演などの仕事で忙しくて、7,8月になってやっとこれからのことをきちんと考えられるようになったよ。今は、今までのブログを一冊の本にしようと原稿化しているところだ。本になんかできるかどうか、ちょっと心配だけど…。

 B(客)仕事の方はどうだよ。

 A(主)初任研担当として再任用されて、2人の新卒教師の指導に関わっているよ。週に2,5日の出勤だから、ずいぶんと楽になったけどね。

 B(客)どんなことをやっているんだい。

 A(主)2人の初任者の授業に1日ずっと付き合って、いろいろ助言をすることだ。というよりしょっちゅう示範授業という形で授業をしているけど…。授業をすると、なんか生き生きしてきて、やはり教師だなと思う瞬間だね。

 B(客)これからのブログも期待しているよ。どんなブログになるんだい。

 A(主)今度は何に向けて書いていけばいいかなとずいぶん考えたけど、余計なことだね。思ったこと、考えたことなどをどんどん書いていくことだ。少し現場を突き放してみることもできるし、教育の仕事に関わっている限りのブログだね。

 B(客)「風にふかれて」という題名というのは、ずっと前の学級通信の名前だね。

 A(主)そうそう、この学級通信の最後の言葉が「風にふかれて、ふらふらと…」と終わっていたと思うけど、このブログも最後は、この言葉で終わろうと思っているよ。(笑)最初に終わりのことを話題にするというのもおかしいけど…。

 B(客)いよいよ再開だね。

 

               

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