つれづれなるままに~どうして同じことを繰り返していくのか~

●方々の教育委員会で、悲鳴が上がっている。 
 宮城の小中学校での実態が河北新報で報じられていた。
 これは、決して宮城だけではなく、日本各地で起こっていることである。

「先生足りないSOS 欠員でも代替講師見つからず 宮城の小中学校、現場でカバー限界」

●学陽書房で出版した『教師1年目の教科書』が3版になる。
 うれしいことである。
 買っていただいて、ありがとうございます。
 初任の先生たちには、ぜひとも勧めてほしい1冊である。

●先日、NHKのプロフェショナルで、数学の先生が登場された。
 私もぜひとも見たいと思っていたが、急な学校訪問で見られなかった。

 見たという先生から話を聞いた。
 神奈川にある栄光学園の数学の教師。
 フェイスブックでも評判は上々である。

この栄光学園は、私が受け持った子供も進学したこともある、超エリート校である。
 東大へ上がる子供たちが数多いことで有名。

 見られた先生によれば、1問の問題を生徒たちは興味深く取り組んでいたという。
 ここの生徒たちは、超エリートたちであるので、それに合わせて思考力が試されるむずかしい問題が出されているのであろう。

話を聞きながら、この先生も確かにこれから求められるプロフェッショナルなのだろうと思えた。
 ただ、エリート教育なのである。

. ぜひとも、もう1つのプロフェッショナルも取り上げてほしいと思ったものである。
クラスに必ずいる数人の低学力児。
この子たちを、上位に引き上げていく力量を示していく。
普通の学校現場では、それが一番求められているのである。


●できるではないか。
 ぜひとも、日本全国でこういう動きをしてほしいと願っている。

2019/12/14(土) 20:11配信 ヤフーニュースより

 中学・高校の部活を地域クラブに移行検討へ 福井県が方針

 部活は、こうして地域クラブへ移行する。
 これをどうして福井県だけでなく、国をあげて推進しないのだろうか。

 先生たちは、授業と生徒指導に専念する。
 そうすれば、長時間労働は、一挙に少なくなるはずである。

●親しい知り合いの先生から、次のような手紙をもらった。
 「昨今の学校現場は、流行と変化のすさまじさに振り回されていると思いますし、この渦にのみこまれないようにするので精一杯のように感じます。」と。

 来年度から始まる新しい学習指導要領の実施で現場は、振り回されているのであろう。

 30年前に実施された新しい学習指導要領のときのことを思い出した。
 総合が入ってきたときである。
 この時も、今以上に流行と変化に振り回された。

 「新しい学力観」という名前で命名されていた。
 「旧来の学力観が知識や技能を中心にしていた」として、それに代えて学習過程や変化への対応力の育成などを重視しようと考える学力観である。  

. 私は、今回のアクティブ・ラーニングの1回戦と言っている。

 だが、みごとな惨敗。
 「ゆとり教育」として破綻していった。

 現場に残した破綻の爪痕は、大きかった。
 学力は低下する。低学力児は増える。……などなど。

 今も、その爪痕が残っている。
 
 また、同じような破綻をするのではないかと危惧している。

 なぜ、破綻するのか。
 その構造が明らかにされている。

 中央公論2月号に「教育改革神話を解体する」としてオックスフォード大学教授の苅谷剛彦さんが書かれている。
(苅谷さんには早く日本に戻ってきて、がんばってほしいと願っている一人なのである)
 苅谷さんは、冒頭で書いている。

「教育改革の瑕疵を生み出す構造的な問題は、現在でもほとんど変わっていない」
「どうして構造的にはほぼ同じことが繰り返されるのか。なぜ教育改革をめぐる神話は、解体されないのか。」
 その問題を「エセ演繹型」思考として問題視されている。
 ★ ★ ★
 演繹的思考は、日本における教育政策の立案・実施過程では、中途半端にわかったつもりで政策が作られる“エセ演繹型”へと容易に後退していった。徹底した演繹や、事実からの帰納的な思考で政策が作られるよりも、抽象的で流行の言葉を中途半端にわかったつもりになって政策を作り出すことが少なくなかっただからだ。
 
 日本で一層目立つのは、とくに1980年代以降の教育政策において、目標として掲げられる「資質・能力」(主体性、創造性、個性、問題解決能力、英語四技能など)が、日本では「欠如」してきたものと見なされたことによる。

 受験教育の強い影響を受けた暗記型の学習(あるいは画一的な教育)が主流だったから、その犠牲として、「主体的・対話的で深い学び」ができず、それゆえ「社会における様々な場面で活用できる知識」や能力を身につけることができなかった、とする論法である。
 ★ ★ ★

 これらを読みながら、30年前の破綻が、何にもとづいていたものか、そのからくりが鮮明になる。
ぜひぜひ読まれた方がいい。

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学級崩壊の現在(4)~先生たちが遅れている~

 学級崩壊の最初は、「クラスにいる超やんちゃな子供に追われる」ことから始まっている、と書いた。

 そして、その子供たちを「叱りつけるだけ」を繰り返して、反発され、崩壊を招いている、と書いた。

 もはや、このレベルでは対応できなくなっている。
 ★
 1冊目の学級崩壊について書いた本を出した頃は、補助につく先生たちの余裕があったのである。

 私が所属していた学校では、崩壊したクラスに、専科をしていた先生をT・Tに付けて凌いだことがあった。
 
 そういうことができた。
 ところが、今では、その補助の先生がいなくなっている。
 どうしても担任一人で何とかしなくてはならない状況が広がっている。
 これで、崩壊を招いている事態がある。
 ★
 今、年若き友人と2人で「学級崩壊を追究しよう」と研究を始めている。
 学級崩壊の実態調査も、その一環である。

 その友人が、最近次のようなことがあったと報告してくれた。

 5年生のあるクラスに自習監督にいった時のこと。
 次のようなことを行ったという報告である。

 ①「テストの机の形にします。」
 ②「机の上が筆記用具だけになった列から配ります。」
  →5,6人の反発児が、指示に指示に反応しないので配らない。 
  →しかし、周りの子の声かけで、すぐ直す(1人以外)。
  →1人だけやめず、黙って折り紙を折る。

 *さて、こんなときに、どのような対処をされるだろうか?
 ほとんどが、その1人を叱りつける対応を取るのではないだろうか。

 ③「テストを始めてください。終わったら、テストを机にいったんしまって、読書をしてください。」

 *指示の鉄則は、「みんなを先、個々は後」である。
  だから、ここで、みんなに指示を出しているのは、鉄則通りなのである。

 ④折り紙児に声をかける。「テストやりますよ。」
  →いやだ。
  →でも、他の子のために、机だけはテストの形にします。
  →いやだ、めんどくさい。
  →そうですか。…(周りの子に)○○さんだけテストの形にしてないけど、カンニングではないから、許してあげてな。
→折り紙児のもとを離れる。
 ⑤すると、机を折り紙児自らテストの形にしたので、再度、テストを渡しにいく。
→無事、テスト実施できた。

 *叱りつけることをまったくやっていない。これは見事である。
  そして、テストは渡していないところも、見事。
  折り紙児に主導権を与えていない。
折り紙児が折れて、テストの形にしていくわけである。
  厳然と縦糸を張っている。しかし、それ以上に踏み込んでいない。

 友人は、次のように書いている。
「かつて私は、②から③にあっさり移行できませんでした。
 全体のテスト実施を遅らせて、折り紙児一人をしつこく指導したでしょう。 そして、折り紙児はここぞとばかり、反抗したでしょう。
 (愛着障害の傾向のある女の子です。その場で執着しているモノと切り離 すのは、とても難しいし、私への反発自体が注目行動と捉えることもでき そうです。)」

 そうなのである。
 崩壊をしていく先生たちは、②から③にあっさり移行できないのである。
 ここを乗り越えることが、大きなハードルになる。

 もう1つ、ここで「いやだ、めんどくさい」という答えに、「そうですか」と応えている。
 これも見事なことである。
だが、なかなかできない。
 
「めんどくさい」「うるさい」「きえろ」「死ね」などの言葉が、発せられる。
 それに対して、「そんなことを先生に言うことではないだろう!」と、その子供の土俵に乗っていく。

 これをやってはいけない。絶対に、その子の土俵に乗らない。

 こういうときには、「そ」の付く言葉で切り抜ける。
 「そうですか」「そうなんだ」「そう」「そう思ったんだ」……

 「そ」のつく言葉は、子供たちに「安心感」を与えるものらしい。
 ★
 この年若い友人は、このような対応をどこから学んでいったのか。
 
「超やんちゃへの対応として、ABA(応用行動分析)の視点はとても大事だなと、最近感じるようになりました。
 何より、ABAを活用した家庭育児書がかなり多く、出版され、売れているようです。言葉かけ、関係づくりについて、学校の先生は「下手だなぁ」「知らないなぁ」勉強熱心な保護者から思われているのかもしれません。教育専門職としての専門性を、私たちは今後どうやって確立していくべきか、考えさせられます。」 

 そして、友人は、次の本から学んだと教えてくれた。

 『魔法の言葉かけ』(講談社)
 『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる子育て法108』(ぽぷら社)

 先生たちの方が、現実的に必要な対応法が遅れている。
『魔法の言葉かけ』を読んでみて、しみじみそう感じた。

 この本を読んでみて、ABAという療育法は、発達障害の子供への対応法というより、むしろ教師の授業法の参考にした方が良いと、考える。                               (完)

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学級崩壊の現在(3)~もはや、叱りつけるだけでは対応できない~

 クラスが崩壊していく筋道にも、多くのクラスに共通する特徴がある。

 ①最初、クラスにいる超やんちゃな子供に追われる。

 ②その対応に追われて、他の子供たちの対応がお留守になる。
  空白の時間がしばしばできる。

 ③他の子供たちも、おしゃべり、立ち歩きをし始める。

 ④担任はしょっちゅう叱りっぱなしの状態になる。

 ⑤超やんちゃな子供と、同行動をとる子供たちが現れる。6月頃のこと。

 ⑥この時期には、クラスが騒々しくなり、騒然としてくる。
  授業の始まりが5分ぐらいかかり、まともな授業が成立しなくなる。
  学級崩壊の始まり。

 この筋道を見ていると、①と②がまずあり、その結果として③以降のことが出てくることが分かる。

 そうすると、①と②の対応がうまくできると学級崩壊は防げるということにならないだろうか。
 ★
 1つの集団には、組織の法則が存在する。
 この法則を知って実践できないと、集団を組織として構成できない事態になる。 
何度も書いてきたことであるが、もう一度書く。

 「2:6:2の法則」である。
 
 クラス集団に当てはめると、最初の「2」割は、真面目派の子供たちで、先生の味方をしてくれる。
 「6」割は、中間派。最初は静かにしている。強い方になびいていく傾向がある(自分が殴られたり、いじめられたりされたくないため)。
 
 最後の「2」割が、やんちゃな子供たち。
 どちらかというと、前向きになれない傾向がある。
 その中の2,3人が、超やんちゃな子供たち。発達障害や愛着障害の子供が含まれることが多い。
 
 大旨、集団はこういうことになっている。
 だが、クラスによっては、「6:3:1」という好ましい傾向を示してくれることもあり、反対に「1:3:6」というように最初から荒れまくっているクラスもある。
 ★
この法則の決め手は、中間派の「6」割を真面目派に引き寄せて、「8」割を味方につけることができるかどうかである。

 ところが、「①最初、クラスにいる超やんちゃな子供に追われる。」ことを続けていると、「2」割の真面目派や「6」割の子供たちや「2」割のやんちゃたちをお留守にしてしまう。しばしば「空白の時間」をつくってしまう。
「②その対応に追われて、他の子供たちの対応がお留守になる。
  空白の時間がしばしばできる。」

 意図的にこうなるわけではなく、目の前の事態を何とかしようとして、自然にこうなってしまうわけである。

 そのうちに、次の事態が起こる。

ア 超やんちゃな子供は一向に収まらず、かえって担任に反発をし出す。
イ さらに、事態が混乱する。
ウ そして、それを見ていた「2」割のやんちゃが、同じように担任に
   反発をし出す。
エ そのやんちゃな子供たちに、教室の主導権を握られてしまう。
オ 強い方になびいていく「6」割の中間派が、やんちゃたちと同行動
   を取り出す。
カ クラスが騒然となって、学級崩壊が始まる

 

 ここで担任は何を間違ってしまったのだろうか。

 A 決定的な間違いは、法則の決め手である「6」割に目が向けられ
   ていないこと。静かに座っているからということで、お留守にし
   てしまっていること。
 B 2つ目の間違いは、集団は、絶対に「空白の時間」をつくっては
   いけないという鉄則を踏み外していること。

 C 超やんちゃな子供に対する対応の間違い。
   ほとんど叱りつけることだけで対応してしまっていること。

 A,Bは、自覚して、実践すればできるようになる。
 しかし、Cは、簡単なことではない。困難な課題である。発達障害、愛着障害の子供たちが含まれている可能性が多いので、さらに困難は増す。

 今、学級崩壊をする多くの先生、特にベテランの先生たちの、超やんちゃな子供に対する対応が、次のようなレベルに終始していることが、最大の問題である。

   しょっちゅう叱りつけていくだけ。

 もうこのレベルのことをやっているだけでは、学級崩壊を防ぐことはできない。
 ただ、子供たちの反発を招くだけである。
  (つづく)

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2日間の学級補助(2)~先生、これあげる!~

 翌日、4年のクラスへ行くと、「わあ~~」と大歓声が上がる。
期待していたのである。
待たれていると思うと、こちらもテンションがあがる(笑)。

 その日は6時間。
 基本的には、全部授業をする。
 さくさくと進める。70点の授業。

 この2日間の私のスタンスは、3つ。

 ①笑わせて、笑わせまくる。
 ②私も、笑って、笑って、…。
 ③そして、小さなことでも、ほめて、ほめて、ほめまくる。

 半分は演技なのである(笑)。
 これがすべて横糸を張ること。横糸だらけ。
 
 休み時間には、子供たちは、私のところへ押し寄せてくる。
 自分のことを語る。「先生、一緒に遊ぼう!」とも。
 サインをねだる子供もいる。
 スタンスがうまく行っているかどうかの手応えである。

 ただ、断っておかなくてはならないのは、このようなスタンスだけで、ずっと過ごせるかというと、そうはいかない。
 必ず縦糸が必要になる。
 
 「3・7・30の法則」の「3」の時間。
 次の「7」の時間は、きちんと締めるところは決めなくてはならない。
 そのように学級経営は進むのである。
 ★
 子供からの感想。
 ★ ★ ★
 二日間のみじかい間、勉強を教えてくれてありがとうございました。 
 さいしょの1時間目は「野中のば~~か」やいろいろな話をしてくれて、ありがとうございました。
 野中先生がいると明るく元気な4の2になりました。ありがとうございました。
 また、こんど4の2や5年生になってからもよろしくおねがいします。
 勉強はすごく分かりやすかったし、楽しかったです。
 2日間授業全体を教えてくれてありがとうございました。
 いろいろなことをおしえてくれてありがとうございました。
 おもしろい話、こわい話をはなしてくれてありがとうございました。 楽しかったです。
 ほかの学校へ行ってもがんばってください。
 2日間学校へ来てからずっとありがとうございました。
 ★ ★ ★
 
 感謝の言葉が何度も綴られている。
 
 家に帰ってきたら、声がかすれていた。
 ずいぶん張り切ったわけである。
 もはや、ずっと子供たちのエネルギーに合わせて、付き合うというのはできないなとしみじみと思う。  
2日間で精一杯(笑)。
 ★
 私が教師になろうとした原点には、小学校3年のときの体験がある。
 担任の先生が病気で休まれたときに、隣の先生が1時間だけ補助にきてくれた。話をしてくれたのである。

 その話の魅力は素晴らしく、引き込まれてわくわくした。
 その話は、教師になって『アリババと13人の盗賊』という本だったことが分かったのである。
 今でも、その先生の名前も覚えているほど。

 たった1時間の話なのである。
 それだけで、私の原点がつくられている。

 教師の仕事とは、こんなものである。
 子供の未来に賭ける仕事。
 ★
 2日間、子供たち相手に授業をしながら、一人の男の子に注目した。
 あだ名をつけた。「○○っち」。

 手を挙げて、さかんに発言する。
 でも、大半がしどろもどろで何を言っているかわからなくなる。

 しかし、みんなに同調しなくて、一人でも平気で手を挙げる。
 ここをうんとほめる。
 「○○っちは、みんなと同じじゃなくて、こうして一人でも手を挙げる。
  ここがすばらしいところだ!」と。

 6時間目が過ぎて、授業を終えて校長室へ帰ると、その「○○っち」が追いかけてきて、校長室へくる。
「先生、これあげる!」
 と、大切にしている自分のミサンガをさしだした。自分のネームが入っているミサンガ。

 今、このミサンガは私の机に飾ってある。
「○○っち」は、ひょっとしたら初めてほめられたのかもしれない。
 
 教師は本来魅力的な仕事なのである。
 どうだろうか。 (完)
 

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2日間の学級補助(1)~明日も野中先生お願いします~

 「助けてほしい!」と連絡が入る。8日の夜のこと。
 N小学校で、15人の先生がインフルエンザで休んでしまい、どうにもならなくなっている。とにかく、2日間でいいから、補助に入ってもらえないか、と。

 この小学校では、12年前に初任者指導で1年間お世話になっている。
何とかしなくてはと、でかけることにする。

 翌日の朝、8時には学校へ到着。歩いて12,3分のところにある学校。
 かけつけると実際には22人の先生が休んでおられる。
 これは緊急事態。

 かけつけた人は、3人。明日はもっとかけつけられる、と。
 もう現場から離れて、10年、20年以上離れている方ばかりなのである。
 ★
 今日はとりあえず4年生のクラスを見てもらえないかと言われる。
 結果的には、この日と次の日も、このクラスで過ごすことになる。

 1時間目にクラスに行くと、子供たちは静かに座っている。
 誰が来たのだろうという顔。

 1時間目は、自己紹介と、お話の時間。

 私の得意の自己紹介。
 飛び込み授業をするときには、いつも5分ぐらいをかけて行う紹介。
 子供たちは、笑って、笑って、…。

 そして、お話をしてあげようと次の紙を黒板に貼り出す。

  ①学校で起こったきょうふの一夜。
  ②学校で起こったきょうふのできごと。
  ③火の玉を見た!
  ④バスにあらわれたゆうれい。
  ⑤それはむふふふふ。
  ⑥野中先生の初恋。
  ⑦野中のば~~~か。
  ⑧へびとう○○。
  ⑨べんぴになったこえだめ事件。
  ⑩まきぐその3条件。
 
 どれも魅力的なテーマ(笑)。
 子供たちは目を輝かす。

 ⑥をやって、やってと言う。
 しかし、⑧の「きたない話」をして、笑わせ、①の「怖い話」をしてし~~~とさせる。
 どこのクラスでも、同じである。
 「3・7・30の法則」の「3」の時間にやること。
 

 とくに今回受けたのは、「野中のば~~~か」という話。
 小学校4年生の時、野バラというシューベルトの歌を歌ったときの思い出。この思い出を誇張して物語にしている。
 ある年配の人なら、誰でもが「ああ~~あの歌!」と思い出すはずである。

 この歌、「わらべはみ~た~り、のなかのば~~ら」という歌で始まる。
 このところを、やんちゃな子たちが、「のなかのば~~か」と替えて歌った音楽の授業の場面を再現している話である。

 子供たちは、笑って、笑って、笑い転げた。
 ★
 2時間目は、国語の授業。
 だが、時間割が違っていて、教科書、ノートをを持ってきていない、と。

 だから、急きょ、道徳の授業に振り替える。
 これもよく飛び込み授業でやるもの。
 「プラス思考」の授業。

 これは思っていたよりもずっと、子供たちに入っていく。

 翌日、一人の女の子が、「先生、昨日出せなかったプリントです!」と言ってもってきたことがあった。
 そのプリントの授業の感想には、次のように書いてあった。

 「私はふだんマイナス思考で考えていたとおもう。
  家でもお母さんに、はんぱつしていたと思う。
  私は私なんだからべつに他の人いっしょでなくてもいいし、自分らしさ  が自分にとっていいのだからべつにいいと思う。
自分のためにならないマイナスは考えないこと。自分でもふかく思った。  自分のおもったことと反対のことをよくいってしまう。だから、マイナ  スになってしまう。
自分の思ったことをやさしくいいながら、自分を新しい自分にいれかえ  たい。」

 1時間の授業で、これだけの感想を引き出している。
 すばらしい授業ではないか(笑)。

 4年生の女の子たちは、もうこうして思春期を迎えているのである。
 ★
 3,4時間目は、支援級で補助をする。
 給食の時間は、また4年生のクラスへ戻り、給食指導をする。
 よく担任の先生に指導されていて、配膳の仕方などは手際が良い。
 ★
 5時間目は、算数の授業。
 学年主任の先生に、「私が授業をしていいですか?」とお願いして、「変わり方調べ」の授業をする。
 共同研究で2年間ずっと宿題や復習テストをつくってきたのである。
 今では、教科書さえあれば、すぐに授業ができる。70点の授業だが…。

感想の中に、「のなか先生のじゅぎょうはとても楽しくて、にがてな算数もはかどりました」と書いていた子供がいた。
 ★
 その日は5時間目で終わる。
 「野中先生、明日も来てください!」という声が連呼される。
 「明日はどうなるか分からないな。」と。

帰りに女の子たち数人が校長室にいき、「明日も野中先生をお願いします!」と直訴したらしい。
 校長からその話を聞く。 (つづく)

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学級崩壊の現在(2)~崩壊した先生の共通の特徴~

 崩壊をした多くの先生たちの共通の特徴がある。

  ①時間を守れない。
  ②整理整頓ができない。
  ③笑顔がない。
  ④認めない。ほめない。

 崩壊の結果として、こういう特徴が出てくるというのは、よく分かることだが、もともとの、その先生の要素でもある。

 これは何だろうか。
 
 (1)で書いたことだが、クラスの子供たちの多くが、担任に求めているのは、「安心感」なのである。

 よくみれば、この4つとも「安心感」を阻害し、「不安」を生み出すものである。
担任そのものが、「不安」な存在。
これでは、崩壊を招いていると思った方がいいのである。
 ★
 ①の時間のこと。
 学校は、そもそもが「時間」によって成り立っている。
 1時間目から6時間目の授業。基本的には、それによって構成されている。

 それをきちんと守れないというのは深刻である。
 
 授業の時間を守れない。いつも授業で「空白の時間」をつくる。会議や研究会には遅刻する。締めきりの文書を守れないなど、すべてにルーズ。

 子供たちは、ゲームで身に付けた「スピード・テンポ」が染みついている。
 時間のルーズさ(とくに、「空白の時間」の多さ)は、不快感を増す。

 時間をきちんと守り、スムーズに進行する。
 これは、子供たちに「安心感」を与える大切な要素。

 ②の整理整頓のこと。
 教室や職員室の自分の机の乱雑さに表れる。
 ひどいことになると、教室中にぞうきんやゴミが散乱する。
 子供たちは、自らごみを拾ったりしない。放置される。
 
 担任は、平気。その状況が見えない。
 その乱雑さは、子供たちの心を不安定にする。

 ③の笑顔のこと。
 無表情で、笑顔がない先生。
 最初は、穏やかな表情だったのが、崩壊しだしたら、怒りの顔になっていく。
 子供たちへの怒りや虚しさが顔に出てくる。

 しかし、笑顔でいるというのは、子供たちに大きな「安心感」を与える。
 
 楽しくもないのに笑えないと言う人もいる。確かにその通り。
 
 でも、教師としての役割を演じるには、必要な演技なのである。
 子供たちにとっては、最も大切な心得である。
 
 ④の認めない、ほめないということ。
 このことが、子供たちに「安心感」を与えるのだということが分かっていない。

 山口県に福山憲市先生という有名な実践家がいる。
 その福山先生が、学期最初の図書室指導で、「教室から図書室まで行くときに、10個の『ほめてん』を設けます!」と言われたことがある。

 「ほめてん」とは、ほめていく観点ということ。

 「えっ~~、そんな距離で、10個もあるの?」ということになる。 

 おそらく、普通の先生なら2,3個のほめてんは考え出せる。
 でも、そんなことはやっていない。

 このことが何を示しているのか、分かるだろうか。
 
 福山先生は、学期の最初からこのように徹底的に子供たちを認め、ほめていく。
 それで、子供たちの心に働きかけ、行動を変えていく。

 この「ほめてん」は、みごとに子供たちの「安心感」を醸成していくのである。  (つづく)
 
 

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学級崩壊の現在(1)~ベテランの先生のクラスの崩壊~

 新年明けましておめでとうございます。
 三が日は天候も良く、気持ちよく過ごせました。
 寒いのですが、それでもこの気候は、いつもの冬より暖かいのだということです。
早速ですが、新年から暗い話題に行きます。


 学級崩壊アンケート調査に協力してくださいとお願いしたところ、数多くのアンケートが集まった(まだ全部は集まっていないが)。

 その中で、注目されたのが次のこと。

 
  ベテランの先生のクラスの崩壊(特に50代の先生のクラス)。
 

 これにはちょっと驚くばかり。数多い。
50代でクラス担任をやられているのは、まだ元気で、今までがんばってこられた先生である。

 中には、今まで学級経営では評判を得てきた先生のクラスもある。
 今まで力量があると自他共に認めてきた先生。

 その先生たちが、学級崩壊の憂き目にあっている。

 何が起こっているのか。

  ①自分なりに進めてきた学級経営が、現在の子供たちに通じなく
   なっている。
  ②ずっと叱りっぱなしの指導が、子供たちから反発を招いている。
  ③「現在の子供たち」の子供理解がずれまくっている恐れがある。

 
 ②に注目する。
 最初から「叱る」ことばかりで指導をしている。
 また、崩壊の結果として「叱りっぱなし」になるという場合もある。

 だが、共通しているのは、「縦糸」の張りすぎであることははっきりしている(縦糸を張るのは、決して「叱る」ことではない)。
 もはや、縦糸を振り回す時代が終わったと言えるかもしれない。
 子供たちに通じなくなっている。

 それでいて、「横糸」ばかりでいいのかというと、そういうことにならないからむずかしい。
 
 初任の先生たちが陥っていくのは、「仲良し友だち先生」。
 横糸ばっかりで、子供たちと関係をつくろうとする。
 これも、学級崩壊になっていく。
 数限りない事例がある。

 ★
 今の子供たちの多くが、担任に求めているのは、「安心感」である。
 安心して教室に通っていける状態をつくってほしいと願っている。
 これは、決して声には出てこない。

 30年、40年前には、決して求めていなかったことである。
 安心できる状態は、すでに教室に保持されていた。
 子供たちは、教室では、すでに「仲間」の状態だったからである。
 
 ところが、現在は、いついじめなどに会うか分からない。
 机に座っていたら、いつ後ろから殴られたり、いじめられたりするか分からないと、いつも警戒をしなくてはならない。
 
 だから、担任には、教室を安心できる状態にしてくれることを願う。
 学級の8割の子供たちは、それを願っている。

 ここが昔なりの学級経営を変えなければならない1つのポイントになる。
 
 できるだけ早く教室の仕組みをつくり、しっかりした教室のルールをつくりあげなくてはならない。
 これが本来の縦糸を張ること。
 キーワードは、「安心感」なのである。

 朝教室にきて、どういうように動いていけばいいかが決められていて、しかも、その動きが、子供たち自らでできるように、仕組まれていなければならない。
 ここが勝負なのである。
1週間で、その仕組みがつくられ、定着するのに1ヶ月がかかる。
 
 おそらく、昔ながらの学級経営を続けている50代の先生たちは、ここの切り替えができていないのであろう。
  (つづく)
 
 

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つれづれなるままに~良いお年をお迎えください~

●目標を立てることがある。
 どのようにされているのか。
 神田昌典さんは、「しごとのヒント365」12/25に次のように書かれている。

 <実現しやすくなる目標の原則は、SMART >

  S 具体的
  M 計測できる
  A 達成できる
  R 価値観に沿った
  T 時間軸がある

 ★
 私が行っている算数の共同研究の目標は、次の通り。

 ①低学力児を引き上げる。
  テストで10,20,30点を60,70,80点に引き上げる。
 ②クラスのテストの平均点を90点以上に引き上げる。

 まず、①の目標達成があって、②を目指すことである。
もちろん、この目標を通して、目的を達成するためである。

 神田さんの「SMART」を実践していたことになる。
 ★
 学校で行われている重点研究の目標は、だいたいが次のようになる。

 目標テーマが、抽象的。
 目標へ向けての計測する視点もないし、達成状況も曖昧になる。
 要するに、研究授業が年中行事化しているのである。
 どうだろうか。

●6チャンネルのサンデーモーニングで、寺島実郎さんが言っていた。
 同世代の寺島さんの言うことには、耳を傾ける。

日本経済について
寺島実郎氏「株価は年初から2割上がったが、実態経済はGDP1%前後をさまよってる。株が上がってるのは公的資金をつっこんでるから。日銀が株式保有のトップ。GPIF(年金)と中央銀行が株を上げ、景気がいい様に見せかけてる。大事なのは国民が潤ってるかどうかだ」

 この寺島さんの主張されていることが、ほとんどの人は分からないのではないだろうか(実は私もである)。
 「日銀は、株なんか買えるの?」と女房は疑問を言う。
 急いでネットで調べる。

 日本経済新聞のマーケットニュースでは、「日銀、日本株の最大株式に 来年度末にも」とある。
 「日銀は、上場企業の5割で大株主となった!」という記事。
 おいおい、そうなのだ。
 株式市場に、年金をつぎ込み、それにこのように株を買い込んでいるのである。
 そこで、株が上がり、景気が良いように見せかけているのである。
 なるほど、そのからくりが分かる。 

● 「新しいこと」が出てきたときに、「くだらない!」とすぐに退ける。
  年寄りがよくやる。
 
  私は、新しいことに対して、この言葉を吐かないように気をつけてきた。
  もちろん、自分ではやらない、ちょっとついていけない、ということは ある。
 
 新しいことは、注目して見なければならない。
  パソコンが出てきたときも、携帯、スマホが出てきたときも、同じような状況が起きたはずである。
 もう昔に戻れない。
 どう付き合うかなのである。

●教科担任制が始まる。
 上越教育大学の西川純先生は、フェイスブックで次のように書かれている。

 ★ ★ ★
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53336090T11C19A2CR8000/?fbclid=IwAR2bJKG-eMClguDdWzAMX9ri0p00u1-eGCUYMIAjF5uyfkYF_FBLTxOMz24

 小学校高学年の教科担任制が打ち出されることになりました。これを実現するには膨大な教員と免許制度の改定が必要です。まあ、中学校のような教科担任制を文部科学省が考えているとしたら頓挫するでしょう。お金がかかるから。
 しかし、学校統合と緩い教科担任制で実現するかもしれません。つまり、学年2クラス以上になれば、高学年の担任は4人になります。それらの人が、文系、理系、実技系ぐらいの多くくりの担任制にするのです。その教科は小学校の科目なのですから、現行の小学校免許の範囲内で担当できます。
 もしくは、地域の小学校、中学校を一つにまとめて義務教育学校にします。そして、小学校高学年は中学校の教師が担当するのです。
 私だったら、そうします。
 学級担任制は教師との相性によって地獄の1年になる可能性があります。複数担任制度の方がいいと思っています。
 ★ ★ ★

 私も、教科担任制には賛成の立場である。
 それでも、横浜市で実際に試行しているところでは、うまくいっていない学校もある。

 これだけ教師たちが疲弊している状況で、こんな方法だけでうまく回っていくはずはない。
 もっと教師たちを増やしていく体制ができなければ、根本にある問題はなくならない。そんな小手先の方法だけをいじっても、どうすることもできない。当たり前ではないか。

●NHKの井上陽水「名曲選1969~2019」を見た(12/27 10:00~)。
 良かった。ちょっと感激した。
 陽水は、50年も歌い続けている。
 私より1つ下の団塊の世代なのである。もう70歳を過ぎている。

 ところが、あの澄んだ声とメリハリのある歌声は、まだ健在。
 衰えてないのだと、驚いた。
 50年も歌い続けられるというのは、大変なこと。
 周りはもうボロボロになっているのに、よく持ちこたえている。
節制と努力を続けているのだろうなあ。

●今年も、こうして暮れていく。
 最近、1年以上続けているけん玉の飛行機(5級)やふりけん(4級)が少しできるようになっている。
 
 飛行機は3回に1回ぐらいはできる。ふりけんは5回に1回ぐらいはできるようになっている。遅々とした歩み。
 
 毎日思いついたときに少しずつ。
 もともと認知症予防のためと思って始めたものである。
 続けるのは得意なので、まだ続いている。
 
 来年は、もっと精度をあげよう。
 次の日本一周(3級)や世界一周(2級)に行けるようになりたいものである。
 
 今年もブログを読んでいただいてありがとうございました。
 良いお年をお迎えください。

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つれづれなるままに~始めがあれば終わりがある~

●退職して、12年目になった。
 講演などで呼ばれる時以外は、家にいる。
 当然のことだが、そういう生活にもずいぶん慣れてきた。
 
 家にいて、私の家庭での役割は、ゴミ出し当番、買い物当番など。
 この役割をするようになって、ゴミ出しや買い物が、日常生活にとってどれほど重い役目を持っているのかに気づかされた。

 ほとんど毎日、午前11時から買い物に行く。自転車で。
 買い物の種類によって、行くスーパーを決める。

 最初は、小さい1円玉や5円玉の小銭を出すことさえ躊躇した。
 最近は慣れてきている。

 買い物をするときの、品物を選ぶときも大変である。
 ブロッコリーやかぼちゃの見分け方、魚や肉の鮮度の見分け方など、よく失敗した。
 どういうところに注目しなければならないかになる。
 これも最近は格段にうまくなっている。

 来年度からは、食事づくりにも挑戦する。
 最後は、必ず1人になる。
 女房が先に行って、私が残された場合、私が食事づくりをしなければならなくなる。その準備をする必要がある。

 現役の頃、女房の帰りが遅くなって、夕食づくりを数年やった経験があるので、食事づくりへの転換は、そんなにむずかしくない。

 土井善晴さんが『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)を出されている。
 これは、私が提案した「日常授業」とまったく同じテーマで書かれた料理の「日常授業」なのである。
 これを実践したいと思っている。
 ★
 今日ふと詩人の石垣りんさんの詩が浮かび上がってきた。
 「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」という詩。
(『石垣りん詩集』角川春樹事務所 ハルキ文庫)
 ………(略)……
 炊事が奇しくも分けられた
 女の役目であったのは
 不幸なこととは思われない、
 そのために知識や、世間での地位が
 たちおくれたとしても
 おそくはない
 私たちの前にあるものは
 鍋とお釜と、燃える火と

 それらなつかしい器物の前で
 お芋や、肉を料理するように
 深い思いをこめて
 政治や経済や文学を勉強しよう、

 それはおごりや栄達のためでなく
 全部が
 人間のために供せられるように
 全部が愛情の対象あって励むように。
 
●3月刊の本の校正原稿ができあがってきている。
 書名は、『新任教師を失敗させない初任者指導の教科書』~勝負の4月を乗り切る1ヶ月のシナリオつき~。明治図書。

 今年の2月にも、初任者向けに『教師1年目の教科書』(学陽書房)を出している。

 今度は、初任者指導の先生向けの教科書になる。

 初任者と初任者指導の先生との「すれちがい」が数多く起こっている。
 その原因は何かということを指摘し、それを克服する手立てを提案している本である。

●テレビで、イチローが「イチロー杯」を終了することを伝えていた。
 現役引退で、今まで子供たちに行ってきた「イチロー杯」を終了することになった、と。
 
 愛知県豊山町の社会教育センターで行われたイチロー杯争奪学童軟式野球大会で閉会式が行われた。
★ ★ ★
 イチロー杯の大会会長としての最後のメッセージ。少年少女へ身振り手振りを交えて話す姿は、“イチロー先生”だった。テーマは2つ。1つ目は自分自身を律し成長へつなげることだ。

「教えてくれる人たち、先生たちは、なかなか(厳しく言うのが)難しいらしい。先生よりも生徒の方が力加減でいうと強くなってしまっているような状況があるみたい。このことを僕は今、心配している。『どうやって教育するんだろう』とよく考えることがあります」

「みんな小学生だけど、高校、大学、社会人になる前に経験する時間、そこで自分自身を自分で切り開いてほしいと思います。厳しく教えるのが難しい時代、自分で自分のことを教育しないといけない時代に入ってきた。自分は小、中、高となかなかそうは思えなかった。自分には厳しい先生がいた。今を生きているみんなには、それが大切なことと覚えておいていってほしい」

インターネット社会の現代へ「外に出て分かることがたくさんある」

 2つ目は自ら体験することだ。インターネットなどが発展した現代社会について、「いろんなことが情報として、すぐ頭に入れられる時代。いろんなことが分かる。すぐに携帯、スマホで調べられる」と表現。だからこそ、積極的に外に出て学ぶことが重要と説いた。

「僕が27、28歳に大リーグに挑戦したわけだけど、外に出て分かること、行ってみて初めて分かることがたくさんあった。野球の世界は狭い世界だった。外に出て、気が付くことがあるし、勉強不足もいっぱいあった。それを知識として持っているじゃなく、体験して感じてほしい」

「日本は素晴らしい、と外で感じました。そういう経験を将来して欲しいなと思います。今まであった当たり前のことは決して当たり前ではない。価値観が変わるような出来事を体感して欲しいなと思います」

 1996年にスタートした同大会は今大会が最後。この日の閉会式には300人を超えるファンが集結し、イチロー氏のメッセージに耳を傾けた。この日の熱弁について、イチロー氏は「日本で9年間、アメリカで19年間、プロ野球選手として過ごしてきて、何かみんなに伝えられないかと」、「28年の現役を終えて、みんなに覚えておいて欲しいこと」と話した。故郷の野球少年少女への“ラストメッセージ”に満員の会場から温かい拍手が送られた。
★ ★ ★

 イチローは、引き際も見事だなあと思う。
 人は、始めるのはたやすいが、終わるのは大変なことだから。
多くの人が、その引き際で失敗している。

 しかし、始めがあれば、終わりがある。
 それは、世の真理。
 
 国民栄誉賞を4度も断ったと聞いて、自分を律して生きるイチローは、すごいなあと思ったものである。

 
 

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「学級崩壊」の定義を考える

 学級崩壊アンケート調査へのお願いを前回のブログで行った。
 協力いただける方が、何人も申し込まれている。
 こちらがびっくりしている状態である。

 やはり、現場は深刻である。
 その中で、学級崩壊の定義をすべきであるという申し出があった。
 その通りである。

 定義をきちんとしなければ、なかなか協力もできないはずである。
 私は、「学級崩壊」を、「授業が成立しない状況」「学級がうまくいかない状況」と考えていたわけである。
 
 しかし、授業はなんとか成立しているが、とにかくずっと教室がざわざわしていて、落ち着かない。また、しょっちゅうもめ事もある、という教室がある。
 これは、学級崩壊と言えるのか、ということになる。

 私は、これを、学級崩壊予備軍と名付けている。
 こんな教室は数多くあるはずである。
 そんなクラスが、増えていることを危惧している。

 でも、何とか担任が凌いでいる、という状態だろうか。

 「学級崩壊」をきちんと定義しようということで、フリー百科事典「ウィキペディア」を参考にしたい。
 
そこには、次のような記述がある。
 ★ ★ ★
 学級崩壊(がっきゅうほうかい)とは、学級が集団教育の機能を果たせない状況が継続し、通常の手法では問題解決が図れない状態に陥った状況を指す。日本の初中等教育(特に小学校)に関して1990年代後半に新聞[1][2]やテレビ[3]などのマスコミが使うようになって広まった表現とされている[4]。 ★ ★ ★

「 学級崩壊とは、学級が集団教育の機能を果たせない状況が継続し、通常の手法では問題解決が図れない状態に陥った状況を差す。」という定義になる。
これでどうだろうか。
 
 ぜひ多くの先生に協力をいただいて、まとめてみたいという思いがある。
 よろしくお願いします。

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