つれづれなるままに~子供たちに身に付けさせたいこと~

●フェイスブックに、知り合いのY先生(中学校の先生)が書かれていた。

★ ★ ★
 今日は,市内のA中学校で行われた研究発表大会に参加しました。研究主題は「主体的な活動から学力向上を目指す生徒の育成」でした。
主体的な活動の具体例や主体的に学ぶ生徒の具体的な姿が見られると期待して参加しました。

道徳授業は,「いのちの大切さ」を扱ったものでした。
①教科書を読み,
②主人公が「死」が無関係ではないと思った理由を問い,
③「いのち」からイメージするものを班で膨らまさせ,
④名前に込められた願いを考えさせ,
⑤将来の自分の子供にどんな名前をつけるか考えさせる。
という流れでした。

この流れがよくわかりませんでした。生徒の思考はスムーズに流れたのでしょうか。
これで,ねらいである「いのちの大切さを知り,前向きに生きていこうとする心情を深める」ことができたのでしょうか。

どの部分が,主体的な活動なのでしょうか。
主体的に学ぶような工夫がどこにあるのでしょうか。

2年間の研究での一応のゴールがこの授業なのでしょうか。

まずは,授業づくりの基礎基本をしっかりと身につけ,授業の基礎力を高める必要があるのではないかと思いました。
 ★ ★ ★
また、次の日に、以下のように書かれている。

 ★ ★ ★
 昨日の研究発表に参加して,普通の学校現場で2年間の研究を重ね,その成果を発表をすることは難しいことだと再認識しました。研究に多くの時間をとられてしまい,日常授業に支障が出てるのではないかと思います。研究主題にとらわれすぎて,日常授業に専念できない教師もいたことででしょう。
これでは,本末転倒です。日常授業がきちんとできる教師を育成していかなければ,学力向上も望めないと思うのです。
全員参加の授業ができない教師や指導技術もほとんど知らない教師に,生徒が主体的に学ぶような授業ができるわけがありません。もっと教師の基礎力を固める必要があります。
 ★ ★ ★
 
 うなずきながら、読ませてもらった。
 まさに、現実の学校の公開発表は、このようになっている。
 50年以上前から同じような発表形式である。

 終わった先生たちは、「ああっ、終わった!」という感激があっただろうし、一人ひとりの先生には学びもあったにちがいない。
 だが、明日からまた日頃の「日常授業」に戻っていく。研究授業とは関係ない授業である。
 ★
 研究授業について、私は今の現状を否定的に数多く書いてきている。
やられている研究授業と毎日やっている「日常授業」との関係がほとんどなく、ショー的に今の研究授業が展開されていることが問題である、と。

 要は、1つの公立学校で何かの研究をするというのが一番の問題である。
1回や2回の授業で仮説の検証などができるはずはない。

 しかし、私は研究授業そのものについて否定してきたことはない。
 若手の先生が、精一杯教材研究をして、その授業に取り組むことはおおいに力をつけることになる。
 
 でも、これから学校全体で、研究授業をする場合は、いかに「日常授業」を変えていくかという視点で取り組んでいくことである。
 こうしなければ、絶対に何も変わらない。
 そして、研究ではなく、研修をするのである。
 
 ★
 Y先生が重要な点を指摘されている。

「全員参加の授業ができない教師や指導技術もほとんど知らない教師に,生徒が主体的に学ぶような授業ができるわけがありません。」

 Y先生の学校では、今年度は、研究テーマが「全員参加の授業づくり」だったと聞いている。
 まさに、最適なテーマである。

 このY先生の記事のコメントで、他の先生が「その基礎力を、若手の先生たちは、どこで身に付けるのでしょうか?」と書かれていた。
 まさに、問題はここである。

 この基礎力がないままに、今求められている「話し合い」や「討論の授業」を行っている若手の先生の授業をよく見ることがある。
 まったく授業が成立していない。

 全員の子供たちをどのように授業に巻き込んでいくのかという試みがないままに、形だけを身に付けようとする。
 だから、無残な授業になる。
 ★
 私は、義務教育の段階では、子供たち一人ひとりに次のことを身に付けさせることがもっとも必要なことだと考えている。

 ①課題に対して自分の答えをもつ。
 ②自分の考えを言語化する。
 ③それを他者に伝えられる。

 これを一人ひとりに身に付けさせるのである。
 全員参加の授業と主張する理由がここにある。

 それから、この土台の上に、話し合いや討論の段階がくるはずである。
 ★
 ところが、これをやらないで、課題を与えて、「さあ、話し合いをしましょう!」とやっている授業があまりにも多すぎる。
 今求められているアクティブ・ラーニングを追究しているつもりである。

 一部の子供の話し合いや討論でしかない。
 ほとんどの子供が、自分の答えを持たないままに「さあ、話し合いましょう」とやるから、こういう無残な授業になる。
 
「見栄えの良さ」ばかりを追究するからである。
 ★
 だが、これが現実である。
 このことを克服して行くには、今までのやり方を変える以外にないのである。

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学級崩壊をどうするか(3)~学級崩壊は個人の責任か?~

 初任者指導の先生へ向けての本の原稿を書いた(小島康親先生と共著)。
 出版は、3月になる。

 最近は、都市部で大学出たての初任者が、クラス担任をもつのが困難になっている。
 学級崩壊してしまう。それで辞めていく。
 このような状況は数限りなくある。

 初任者指導の先生が、そのようにならないような手立てを打てない。
 反対に、指導の先生と初任者の「すれちがい」が起こり、その原因で辞めていく初任者もいる。困ったことである。

 その「すれちがい」の原因は、初任者指導の先生の指導にある、と私と小島先生は結論づける。
 2人とも、実際に初任者指導を3年間行い、今も初任者指導に関わり続けているのである。そこでの結論である。

 初任者指導のほとんどの先生は、最初から授業の指導をする。
 授業さえうまくいけば、クラスは安泰であると考えている。
 
 週に一度、初任者の教室へ通い、一日中授業を見ているのだから、自然とそうなる。私も、最初は同じように失敗した。
 
 初任者も、最初は、授業さえうまくいけば、クラスは何とかなると思っている。大学では、授業、授業の勉強をしてきたのであるから、自然とそう思うようになる。
 
 ところが、実際に教室へ入ると、授業どころではない。
 朝自習をどうするか、朝の会をどうするか、給食指導をどうするか、掃除をどうするか、……など「教室の一日」を成り立たせる方策が突きつけられる。
 
 初任者は、こんなことを学んできていない。
 あわてて、学年主任の先生に聞きに行く。ところが、学年主任の先生も自分のクラスのことで手一杯。簡単に要旨だけを伝えられる。
 それでは、具体的に対応できない。
 そこで、見よう見まねでやっていかざるをえない。
 クラスは最初から停滞するわけである。
 
 「学級づくり」の最初は、すうっ~~~とスムーズに進行しなければいけないのだが、もう最初からだらだらした進め方になる。
 
 ここは、初任者指導の先生が、きちんとした「学級づくり」を教えなければならないわけである。

 ところが、指導の先生は、最初から授業の指導ばかりする。
 「単元構成は?」「学習課題は?」「あの発問は?」……ということになる。
 ここですれちがう。

 今、一番初任者が困っていることに対応できない。
 ★
 初任者指導がうまくいくためには、どうするか。

 最初に土台になる「学級」をつくり、それから授業についての指導をする。

  「学級づくり」→「授業づくり」の方向

 もちろん、この2つは同時進行であるが、まず「学級づくり」が優先されなければならない。

 私は実際に指導をしてうまくいっている。
 また、小島先生も、そのような指導をして、うまくいかれている。

 大学出たての先生だって、このやり方でうまくいくのである。
 普通の先生たちが、きちんとこのやり方をやれば、うまくいかないはずはない。

 まず「学級」をつくるのである。
 ここをいい加減にしない。

 17年前に1冊目の本を出して、あれから17年後の今でも、この結論は、ますます確かになる。

 学級崩壊を避けるには、まず「学級づくり」を最優先にすることである。
 
 ★
 考えてみれば、この17年間は、「学級崩壊に対してどう対処するか」という1つのテーマを追い続けてきたのだ、と。
 
 ここで事態は、ワンランク上がる。

 学校が抱えている問題は、学級崩壊どころの問題ではない。
 学校そのものが、潰れていくのである。

 冒頭に上げた若手の先生は、そのパワーポイントのファイルの中で、次のように結論づけている。

 「学級崩壊は個人の責任」とする限り学校に未来無し。
                          (完)
 
                        
 

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学級崩壊をどうするか(2)~学級経営の必要がますます重要になっている~

 今から17年前に1冊の本を出した。初めての本。
 『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)である。

 学校現場に広がる学級崩壊に対して、教師は何ができるかと問いかけた本。
 その対処法として、学級経営がポイントになると提起したものである。

 この時代、ほとんど授業研究しかなされていなくて、その種の本しかなかったのである。
 今では、学級経営の本はあふるれぐらいに出されている。

 それでも、現場では、学級経営を真正面から取り上げることは主流ではない。相変わらず、授業、授業で進んでいる。
 ★
 あれから17年経った。
 何が変わったのか。

 学級崩壊が膨張した。それは間違いない。
 各教育委員会は、その実態を一切報告しないが、確実に広がっている。

 文科省が提起した校内暴力の実態報告が、その証拠を表している。
 小学校は平成27年度からうなぎ登りに膨れあがっている。
 それは、間違いなく学級崩壊の増加である。
 都市部から地方へ広がっていることも、間違いない。

 こんな状況に対して、学校は何ができるかと、前回のブログで問うた。

 ほとんで何もできない。対症療法しかできない。
 学校全体で、「ワンチーム」として学級崩壊に対処できる体力をもう亡くしていっているのではないか、と。
 
 その状況をはっきり示したのが、神戸市の東須磨小事件であった。
 これは氷山の一角。
 あの種のいじめ事件は、各学校で広がっている。
 私が耳にしただけでもかなりの数になる。

 学校が大変になる事態に対して、教職員がまとまるというのが、本来の在り方なのだが、実際はそうならない。
 職員室も、学級崩壊の相似形の形で崩壊していくのである。

 職員室は、パソコンにかじりつく先生ばかり。
 最近は、学年会さえも満足に開かれていないという声も聞く。

 限りなく職員室の「同僚性」が、この17年間で亡くなっていったのである。
 ★
 しかし、私は、17年前に提起した「学級経営」の必要というテーマは、現在でも生きていると考えている。
 いや、なお一層重要になっていると。
 そのことについて次回は書いていきたい。(つづく)
 


 

 

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学級崩壊をどうするか(1)~これからの学校崩壊現象にどう対処するか~

 知り合いの先生から、ある研究会で提案するパワーポイントのファイルを送ってもらった。

 学級崩壊を何とかしたいという思いがあり、校内研究を、そのための対応として考え直していくべきではないかという提案である。

 校内研究は、どこの学校でも、授業研究だと決まっている。
 もはやそういうことではない対処を考えるべきではないかということ。

 その先生は、「今の学校の危機的状況に対応したものに変えなければならない」という結論。

 その学校は、毎年平均2学級が学級崩壊になっている。
 発生率10%、直近2年間では、発生率20%。

 学級崩壊は、若手とベテランのクラスで起きやすい。
 これは、どこの学校でもこの傾向がある。

 その対処法として、空きの先生が入れ替わりにその教室に行ったりする措置が取られるが、ほとんど効果はない。
 結局、前の状態に戻ることはなく、担任が休職になり、担任交代という措置がとられる(その学校は、そうなっているかどうか分からないが)。
 どこの学校でも起こっている事態である。
 ★
 この状態を乗り越えた学校がある。

 私の地元の学校。
 Y市で単身の家庭向けに公営の住宅(マンション)が建てられた。
 そこから小中ともに引っ越してきた子供たちがこぞってその小中の学校へ入ってきたわけである。
 一気にその小中ともに学級が荒れ出し、大変な状態になっていった。
 
 その中学校は、私の娘が通っていた当時は、すばらしい学校であった。
 それが一気に崩壊状態になった。
 
その小学校では、一人の先生が提案した。
 「この状態で校内研究で研究授業をやっている段階ではなく、朝子供たちが来てから、帰るまで全学級で一緒に対処できる方法を校内研究で研究しましょう!」と。
 私は、その学校に初任者研修に行っている先生から、その話を聞いた。

 その研究の中から、保護者が学校へ来たら、一人の担任が対応するのではなく、学年全部の担任で対応するというようなことまで決められていったという。

 そういう研究を経て、その学校は落ち着いた状態を取り戻していったという。

 学校全体の先生たちが、こうして一つになって取り組んでいけば何とかなるという事例である。
 ★
 今、学校は、学級崩壊が日常的に起こっているはずである。
 今までは1クラスだったのが、2クラス、3クラスに膨れあがっている。
これから「学校崩壊現象」が起こってくる。

 それに対して、学校は何ができるか。
                  (つづく)
 

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つれづれなるままに~身の丈発言のこと~

●経営コンサルタントの神田昌典さんの「シゴトのヒント365」を毎日送ってもらっている。
 神田さんの本は、今まで必ず読んできたものである。

 https://www.kandamasanori.com/shigotonohinto365offer/
 

 この「しごとのヒント365」は、登録するだけで無料で送ってもらえるもの。
 たとえば、次のようなものが送られてくる。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「シゴトのヒント365」神田昌典 10月9日号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【今日のヒント】

目標は、それに至る習慣なしでは、達成できない。


【解説】

同じことを繰り返すことは、最もパワフルな
目標達成法。小さな習慣を繰り返すことで、
意志の力を使うことなく、大きな成功を
確実に手にいれることになる。


【質問】

あなたの目標に直結する
小さな習慣は、何ですか?


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「シゴトのヒント365」神田昌典 10月14日号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【今日のヒント】

あなたの「毎日の儀式」は、何か?


【解説】

想像もできなかったほどの変化を起こすためには
2つの重要なことがある。

1 センターピン
ボーリングのピン10本を倒すには、真ん中の1本を当てなければならない。
あなたが望む変化を達成するために、突破すべき重要な「ひとつ」は何か?

2 デイリーリチュアル(毎日の儀式)
センターピンを倒すために、毎日、少しずつ行うべき
小さな行動は?


【お薦め映画】

『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』
主演:マイケル・キートン


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「シゴトのヒント365」神田昌典 10月18日号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【今日のヒント】

大きな未来に向かっていくときには
「理由」を手放すことも必要。


【質問】

理由はわからないけれど、
「自分はここにいくべきだ」
「自分はこれをやるべきだ」と
思えることは、ありますか?


【ヒント】

スティーブ・ジョブズは、これを
「コネクティング・ドッツ」と表現しました。

今、見えている点と点は繋がらないけれど、
未来からみると、見事な線として繋がっているのです。

ですから今日は、理由を詰めて考えることなく、
行動してみましょう。

理由は、あとからついてきます。






 ビジネスに関してのヒントなのだが、実におもしろいヒントが毎日送られてくる。

●子供の頃から口内炎は持病だった。
 もうずっと最近まで悩まされてきた。
 もともと腸が弱いので、その原因で口内炎になるものだと思ってきた。
旅へ出ると、必ずと言っていいほど口内炎が出てきた。

 歯医者で健康診断を3ヶ月に一度しているのだが、歯科衛生士の方に、「舌磨きを使って舌を磨いてください。ちょっと白くなっています。」と注意された。

 テレビで、舌磨きは、味覚を傷つける恐れがあると報じていた。その替わりにガーゼで拭き取ればいい、朝一番は、口内菌が溜まっているので、その時にやればいいということ。
 試しにやってみるか、ということでカットされているガーゼを買い込んできた。

 もう4ヶ月も、口内炎が出ていない。
 正確には、ちょっとは出たのだが、ふいているうちにすぐになくなった。
 びっくりしている。
 郷里に帰っていたときも、出なかった。

 もうずっと死ぬまで口内炎とは付き合うのだと思っていたのが、これである。
 こんな簡単なことを、毎日続けることで克服できている。
 要するに、私の場合、口内菌が強くて、口内炎を起こしていたのである。
 ★
 口内炎に悩まされている人は多いと思われるので、やっていることを伝えておこう。

 起きがけに、水などを飲んだりしないで、すぐ行う。
 ①まず、カットされたガーゼの上の方で、舌の右端を拭き取る。
 ②次に、ガーゼの下の方で、舌の左端を拭き取る。
 ③ガーゼの真ん中で、舌の真ん中上下を拭き取る。
 ④裏返して、ガーゼの上で口の左側を拭き取る。次に、下で口の右側を拭  き取る。
 ⑤そして、最後にぶくぶくうがいを何回も行う。

 これだけである。特に、いつも口内炎になる箇所は集中的に行うことが必要。
 
 まったく自己流のやり方だが、これでもう4ヶ月も口内炎を防いでいる。
 

● 萩生田文科省大臣の「身の丈」発言から、急きょ延期された英語の民間試験の内実がいろいろと明らかにされている。
 この民間試験は、もともと問題だらけで、それでも何とか文科省は、実施することに拘っていたわけである。
 
 驚いたのは、北海道の稚内に住んでいる高校生が、札幌まで出て、民間試験を受けるためには、8万円近くのお金が必要になると報道されていたことである。
 これでは、まず受けることに躊躇するのは当たり前になる。
 この地域格差は、大変だったわけである。

 11月6日のNHKの放送によると、昨年の12月にから複数回非公開の有識者会議が行われていて、繰り返しこの問題が指摘されていたことが分かったと報じている。
 文科省は、課題や問題が多いことは分かっていたのである。

 それでも、日本国憲法や教育基本法の精神に反してでも、何としてもこの民間試験を実施していきたいという思いが、文科省にあったということである。

 それは、何なんだろうか。
 
 結局、来年度から始まる新学習指導要領のアクティブ・ラーニングにも繋がることである。
 経済界の強い要望がある。
 アクティブ・ラーニングは、エリート教育なのである。
 決してそういう言い方はしないで、「グローバルな存在を育てる教育」という言い方をする。
 民間試験も、そのエリート教育に繋がる試みであり、それが強く文科省に求められていたということであろう。

 「身の丈」発言は、その本音がぽろりと漏れたというわけであろう。

 さてさて、どうなるのだろうか。

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小学校で深刻な状況が広がっている~平成30年度の文科省の統計から~

 文科省から平成30年度の、校内暴力、いじめ、不登校などの統計結果が公表された。
 新聞では、いじめの増加を大々的に報道していた。

 私は、自分の目で統計を調べてみた。

 確かに、いじめの増加はある。
 しかし、一番注目したのは、小学校での「校内暴力」(学校管理下)の増加である。

 これは、平成27年度から増え続け、3年間ぐんぐんとのびている。
 昨年のブログでは、小学校に何かが起こっている、緊急事態であると書いている。
 

 今年はどうか。 
やはり、増えている。今回も、大幅に増えている。中高は、ほとんど変化がないのに、小学校だけがこのような変化を見せている。

 10609(平26)→15870(平27)→21605(平28)→26864(平29)→34867(平30)

もう間違いなく日本の小学校で何かが起こっている。
 そう考えていかなければならない。

 どこでこんなに増えているのか。
 
 都道府県別に見ていく。1000人当たりの発生件数が多い県。

  1位 青森県、島根県  13.6
  3位 神奈川県     11.5
  4位 岐阜県、高知県  10.5
  6位 沖縄県      10.0
  7位 新潟県       9.7
  8位 宮城県       8.5
  9位 京都府       8.3
  10位 静岡県       8.0

 ベスト10はこうなる。

 特徴的なことは、都市圏から離れたところで多くなっていることである。

 ★
 神奈川県は、つねに上位を占める。
 それは、指定都市の状況を見れば分かる。横浜市と相模原市の発生件数の多さがそれを示している。

  1位 横浜市      20.5
  2位 新潟市      15.0
  3位 相模原市     13.4
  
  4位 仙台市      12.8
  5位 広島市      10.3


 一方、いじめはどうか。

 ①いじめの増加も、ほとんど校内暴力と同じ伸び方をしている。
  この相関は何か。
  11537(平26)→12785(平27)→14334(平28)  →15791(平29)→17145(平30)
 
②いじめの学年別認知件数の順位は、次の通り。

  第1位 小2(82360)
  第2位 小3(80821)
  第3位 小1(76893)
  第4位 小4(73980)
  第5位 小5(63465)
  第6位 中1(50259)
  第7位 小6(48738)
  
いじめの低年齢化が進んでいる。
  数年前までは、中1がトップだったのが、小2、小1が多くなっている。

 これらの状況から予測されることは何か。

 ア 校内暴力の増加と、いじめの増加は、同じ相関をしていることから
   確実に、小学校では、学級崩壊が増えていると考えられる。
   学級崩壊が起こると、そのクラスでは、必ず深刻ないじめが起こるからである。

 イ しかも、それは、都市圏から地方へ広がっている(決して都市圏が少なくなっているということではない)。

 ウ このまま増えていくと、学級崩壊段階から学校崩壊段階へ進んで
   いく学校が増えていくと予想される。

 エ 10年以上前では、小学校は高学年が学級崩壊の中心であったが、
   今では低学年化している。


 こういう流れの中で、神戸の事件が起きている。
 神戸の東須磨小学校が、「職員室崩壊」を起こしていたことと、まさに相似形のような形で、校内暴力が増え続けている。
 
 何が問われるのか。
 恐らく、今までのやり方が、ほとんど通用しなくなっているということではないか。
 
 どんなことが、どのように通用しなくなっているのか。
 本腰になって、取り組んでいくことなのである。
 

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神戸市立東須磨小学校の事件を受けて(3)~同僚性の問題を突きつけた~

 37年間の教師生活で、最後の勤務校O小学校に赴任した。
 荒れまくった学校で、「3年学校」と呼ばれていた。先生たちが、3年間しか居着かない(居着けない)のである。

 高学年を受け持つ女性の先生は、子供たちから殴られるという事例はさまざまにあり、まともにクラスを維持していくのは大変なことである、と言われた学校である。

 赴任した最初の始業式で、居並ぶ子供たちのばらばら感には、びっくりしたものである。350人ぐらいの学校。

 さまざまな改革が行われた。
 2年間で、落ち着いた学校へ生まれ変わった。

 これをなしとげたのは、管理職を中心とした全職員の団結であった。
 「こんな学校だからこそ、先生たちがまとまらなければならない!」という思いが、それぞれの先生たちに強かったわけである。

 さまざまな改革が行われた中で、その1つが「職場づくり」であった。
 ★
 私が退職をするその年に、北海道から石川晋先生が、私のクラス訪問に見えた。
 石川先生は、朝早く来て、校長室から職員室をじろじろ眺めていた。
 「野中先生、この学校の先生たちは、朝から賑やかですね。職員室のあちこちで、うるさいほどにさまざまな会話がなされている。驚きました。」と。

 「これが学校では普通ではないんですか?」

 「いやいや、学校によっては、ほとんど会話がなく、職員室が凍り付くような感じの学校がありますよ。」と。
 
 O小学校では、朝の職員室で、にぎやかな会話がなされている。学年を越えて、さまざまな先生たちが交流していたわけである。

 ★
 これはO小学校での「職場づくり」が成功していたわけである。

 「職場づくり」とは、先生たちの中に「同僚性」をつくりあげること。
 基本は、学年の枠を越えて、さまざまな先生たちが、ぺちゃぺちゃとおしゃべりを交わし合う関係をつくりあげることなのである。
 ここから始まる。

 職員旅行を変えた。
 他の学校は、もう廃止したところが多かったが、これを変えた。
 日本全体のおもしろいところを訪問した。
 職員旅行を変えるための3条件。
 1つに「食べ物が美味しいところへ行くこと」、2つには、「みんなが行ったことがないところ」、3つには、「みやげものが良いところ」などである。

 長崎へ行った。大分の別府温泉へ行った。黒部ダムへ行った。
 ほとんどを飛行機で行った。
 毎月、積み立てをしたからである。
 回数を重ねるごとに参加する人たちが増えていった。

 この職員旅行は、学年を越えて「同僚性」を培う、もってこいのもの。
 ★
 「職員旅行の復活をすべし!」という提案をしているのではない。
 
 先生たちの他愛ない、おしゃべりが、学校の中で交わされる関係がつくられることが、同僚性の始まりであること。
 そこからなのである。

 もし、このような同僚性が、東須磨小学校に根付いていたならば、4人組が自由にやりたい放題をすることを防がれていたはずである。

 このような組織風土があったならば、このような事件は起きなかったはずである。
 この4人組の事件は、私たちに「同僚性」の問題を突きつけたのだと、私は考えている。(完)
 

 
 

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神戸市立東須磨小学校の事件を受けて(2)~その鏡に何が映っているか~

 今回の暴行事件で、大きく注目したのは、こういう無軌道な犯罪まがいの事件が、学校現場で公然と起こっていることについてである。
 
 これは、決して特異な事件として見てはならない。
 この事件は、多くの学校現場の状況を「鏡」として映し出しているのではないか。その「鏡」に、何が写っているのか、それが重要であると思われたからである。

 私が注目したのは、他の教職員の対応であると書いた。
 校長に告発してもダメだということは分かりきっていたが、教育委員会に告発してよかったはずである。
 もし、被害者の親が委員会に通告しなければ、事態はどうなっていたのだろうか。
 
 被害者は、学校へ行かないという選択をしたから良かった。もし、無理をしてこのまま続けていたら、自殺などの更に不幸な事態を招いていた恐れがある。
 ★
 他の教師たちに何が起こっていたのか。
 校長や4人組の強権的な独裁体制で、学校では、ほとんどが「沈黙」を強いられていたはずである。

 その沈黙が、あるべき、まともな支援を(密かに委員会に通告することなど)決定的になくさせていっている。
 ここまで来ると、おそらく学校現場に広がっている事態ではないか。どうだろうか。
 
 今回の極端な事例は、極端であるということで、強烈に現場に広がる「沈黙」の有り様を、「鏡」としてあぶり出した、と考えている。

ただでさえ「自閉」的である学校現場が、この「沈黙」でさらにさまざまな働きを削ぎ落としていっている。
 
たとえば、子供についてのちょっとした情報交換、職員同士の個人的なちょっとした情報交換、……さまざまなことが削ぎ落とされていく。
 
 それだけではない。大切な人間的同僚性(困っている周りの先生を助ける)もまた失っていっている。
 これが、ほんとうは一番深刻なことである。

 ★
 職員室へ行けば、誰もが無口で、ただただ黙々とパソコンに向き合っている。
 隣の先生とも、何のコミュニケーションもない。
 
 夕方、職員室を訪れた、ある新聞記者は、そこここにほたるが止まっているように見えたと語っていたことがある。

 仕事があるから仕方がない、ということになる。

 教師一人ひとりが孤立し、学年を越えて話をするということが限りなくなくなっている。ばらばらである。

 この状態を、4人組につけこまれている。
 というより、この学校の独裁体制が、結果的にこのばらばら体制をつくってきた、とも受け取れる。

 繰り返しになるが、今回の東須磨小事件は、現在の学校現場の有り様を、「鏡」の形で映し出したのではないか。
 私には、そのように思えてならない。

 神戸市の久本市長は、今回の事件を受けて、総合教育会議を17日に開くと発表している。
市長は、「教育現場や教育委員会の組織風土に大きな問題があると考えざるを得ない。組織風土改革に向けた取り組みをどのように行うのか、端緒となるような議論をしたい」と述べた、と(10/10神戸新聞)

 私は、なかなかの見識であると考えた。がんばってほしいものである。
                     (つづく)
 *10/16のNHK朝のニュースで、他の教師も被害を受けたことが報道されていた。やっと他の教師たちも被害を明らかにし始めている。

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神戸市立東須磨小学校の事件を受けて(1)~どこに一番注目したのか~

 神戸市東須磨小学校の教員間暴行・暴言問題は、大きな問題として広がっている。文科省も、この反響に驚いて、乗り出している。朝日新聞は、10/14の社説にこの問題を掲げている。
 この問題は、さらに大きな事件として広がり始めている。

 最初から、この問題について注目してきて、さまざまなニュースを目にしてきた。
 
 世間の人たち、あるいは多くの先生たちが、注目してきたのは、「なぜ、あんなひどいことをやったのだろうか、やれたのだろうか?」ということだったように思われる。
 学校の教職員は、まさかあんなひどいことをやらないだろうという不文律が共通理解として存在していたからである。

 今回の問題は、3つのことで起こっている。

 ①校長、教頭の管理職が、学校の管理体制を支えていない。
  
 ②学校の中心メンバーの4人組が、被害者の男性教員をターゲットに
  執拗ないじめを行っている。

 ③他の教職員が、これほどの暴行事件が行われているのに、誰も外へ
  通告をしていない。
 
①と②は絡み合っている。③は、4人組が、他にも被害を与えている教職員がいるということであるが、何も声が上がっていない。
 この3つが一つでも機能していれば、今回の事件は起きなかったはずである。

 ★
 ①の問題について、校長が、被害者の先生の訴えにきちんと対処しておけば、今回の問題は起こらなかったはずである。
 
 今回の問題は、人事の神戸方式が大きく影響を与えていると、神戸市の教育委員会は明らかにしている。
 ★ ★ ★
 神戸方式とは、教諭本人の異動希望に基づき、現在の勤務校と異動先の校長が人事の素案を作り、それを市教委が追認する独自の慣行。1960~70年ごろに始まったとされる。優秀な教員を招き入れようとする校長の意向が強く働いて人事の公平性が失われる上、招かれた教員が校内で強い力を持つこともあり、今回の問題でも温床の一つと指摘された。 
              (YAHOOニュース 10/11配信)
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 この神戸方式のようなことは、日本全国どこでも行われていることで、果たしてこれが原因をつくったのかは、疑わしい。
 
 ただ、前校長が、4人組と結託して、被害者の先生にまったく耳を貸さなかったというのが大きな問題である。
 
 ここには、本来行うべき管理職としての任務を放棄している前校長と現校長の存在がある。
 管理体制の崩壊である。
この問題がマスコミに大きく取り上げられて、校長は、早速4人組を子供たちから離し、自宅待機にさせている状況から、これが本来の管理者として
の任務だったわけである。
 これができるのである。
 この指導の気持ちで、事前に4人組に対していたら、事はこのようにマスコミで取り上げられることはなかったはずであるから。

 ②の問題について、ここにみんなの眼が向けられている。
 「どうしてあんなひどいことができたのか?」と。

 4人組は、中心が40代の女性教師と予想される。
 この女性教師が、他の3人を仕切っているように見える。
 
 本来ならば、学校の中心メンバーである、この4人組は、子供たちのためにいかに学校をまとめていくかということに腐心しなければならなかったはずである。
 それにもかかわらず、あろうことか、放課後、被害教師を呼びつけて、さまざまな暴行(いじめというより犯罪である)を繰り返している。

 なぜ、あの教師がターゲットになったのか。
 
 被害にあった教師は、3年目の先生。4年生から担任をしている子供の一部を受け持ち、そのまま5,6年と持ち上がっている。現在は、6年生担任。子供たちからも、保護者からも評判がよく、子供思いの良い教師だったというニュースが流れている。

 4人組にとっては、真っ当に教師をしている被害教師が目障りだったのではないか!
 「あいつ、むかつく。ちょっとかわいがってやろうや!」と。

 自分たちの思い通りにならない教師が、こうしてターゲットになった恐れがある。

 校長からの全面的な支援を受けて、4人組は、やりたい放題であったことが伺える。

 問題は、なぜこれほどの理不尽な暴力を3年目の先生にできたのかということである。
 ここは闇である。
 この4人組は、熱心な教師たちで、子供たちにも人気者であったという報道はなされている。
「いやがっているとは思わなかった!」と頓珍漢な反応をしているらしい。
 これが、本当の思いなのか、不思議な感じである。

 ただ、この中心メンバーというのは、危険である。
 ましてや、ほとんど校長の管理が効いていないと、ここまで暴走する。
 
 はっきりしているのは、ここまでひどくないにしても、「ああっ、うちの学校にもある!」という先生は多かったのだろうと思える。
 いじめにあっている教師はざらにいる。
 ただ、表面化しないだけである。

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 私が、今回の問題を受けて、一番注目したのは、実は③の問題である。
 これほどの暴行事件が、他の教職員に知られず、密やかに行われていたとはとても思えない。
 知っていたわけである。
 しかし、ほとんど沈黙していた。
 
 学校長に通告することは、ダメだと分かっていても、教育委員会に通告することはできたはずである。
 
 実際に、被害者の先生の親が、委員会に通告して、今回の問題が明らかになっているわけであるから。
 
 しかし、他の教職員は動いていない。
 これはどういうことだろうと、私は強くひっかかったわけである。
                           (つづく)

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つれづれなるままに~最大のスーパー台風が近づく~

●季節外れの暑さが続いている。
 今日は、10月5日(土)。天気予報では、今日も32℃の暑さになると報じていた。
「こんな暑さはいつまで続くんだ!」と、暑さに弱い私は、ぶつぶつと不満を感じる。
 そんな朝。ふと玄関を開けて、空を見上げると、何とも言えぬ空の青さ。
「ああっ、秋の空だ!」
と、しばし眺める。何か幸せ感がいっぱいに広がる。

 101歳で亡くなった家事評論家吉沢久子さんは、その著『すっきり生きる言葉』(主婦の友社)の中で、次のように書かれている。

 「美しいものは、どんな小さなものでも見逃すな」

 吉沢さんは、次のように言う。

「文芸評論家の夫が、生前しばしば言っていたこの言葉が大好きだという。
 『美しいものというのは人の心でもあります』。美しいものを見つけて、心を瑞々しくさせ、幸せを膨らませること。これは、よりよく生きるための技術だと思います。」と。
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 何でもない「日常」を生きていて、そこでぶつかる「美しさ」に眼を留める。その幸せ感に浸る。

 こんな簡単な所作が、自分の「日常」を豊かにする。
 吉沢さんは、「よりよく生きるための技術」だと言っている。
 
 歳を取ると、こんな感覚が失われていく。自分でもよく分かる。
 
 今日は、この青空を何度も見つめて、幸せ感を感じることにしよう。
 暑さへの不満をそばへおいて……。
 
●9月最後の日。
 近くのスーパーへ行くと、すごいお客さん。
 大量のトイレットペーパーを買い漁る主婦。100均の店も、長蛇の列。
 明日から消費税が導入されるので、すこしでも安いうちに大量に買い込んでおこうとする庶民の気持ちである。よく分かる。

 でも、400円のトイレットペーパー1年分12パックを買ったとしても、96円分程度。100均で100個買い占めても200円程度。
 そのくらいの利益にしかならない。
 虚しいことだと思いつつ、私もついついトイレットペーパーとティシュペーパーを買ってしまう(笑)。

●今回の19号の台風について、アメリカNASAは、地球史上最大の台風だと言っているらしい。
 おい、おい、大丈夫かなと思ってしまう。
 横浜にはまともに来てしまう。
 午前中から小屋を紐でくくって留めたり、植木鉢をしまったりの片付けはしているのだが、あとは、どうしていいものか困惑している。停電を考えなければならないので、2,3日分の食料がいるなと思い、買い出しに行く。
 逸れてほしいと願うばかりだ。

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