つれづれなるままに②~おじいちゃんとは思えないぐらい元気でした~

●7月15日から北海道の網走へ行く。
 久しぶりの女満別空港である。
 
 16日に、網走小学校で授業をし、講座を持つことになっている。 
 
 網走小へ行って、すぐに図書委員会の全校集会を見せてもらう。
これがすごかった。
 こんな集会を初めて見る。
 
 図書委員会の子供たちの提案もすぐれたものであったが、それに呼応する全校の子供たちの反応がすごかった。
 驚くばかり。こんな子供たちの姿を初めて見る。
 
 その後、各先生たちの授業を見る。
 8年前に見た先生たちの授業と比べてみれば、変化がある。
 その変化の1つは、「おしゃべり授業」がほとんどなくなっていることである。
先生たちの授業力が上がっている。

そして、5時間目、わたしの国語の授業。いつもの谷川俊太郎さんの詩の授業をする。
 この授業が、「味噌汁・ご飯」授業として最適な提案ができるからである。

 50名ほどの先生たちが参加されていて、教室はぎっしり。
だが、4年2組の子供たちは、すばらしい反応を見せる。
 最後に、子供たちが書いてくれた感想である。
 
 ★ ★ ★
 ふつうの授業じゃなくて、みんなが参加できておもしろくて楽しくできた。野中先生の話し方が上手だった。
★ ★ ★
 「みんなが参加できて…」に反応している。
 全員参加の授業をしたのである。

 ★ ★ ★
 「野中先生の進めるテンポが早くてやりやすかった。
 ★ ★ ★
 「ゆっくり丁寧な」進め方ではない。
 テンポが速いことを受け入れている。
 「スピード・テンポが必要」と提案していることを、この子供は受け入れてくれている。

 そして、こんな感想も混じっていた。

 ★ ★ ★
 とても面白くておじいちゃんとは思えないくらい元気でした。
 いっしょにじゅぎょうができて、とてもうれしかったです。
 ★ ★ ★
 授業をしている私が、この子供から介護されている気分になる(笑)。

●17日は、北見市立緑小学校へ行く。
 道教委の学校力向上に関わる実践指定校である。
 この学校には、8年前に初めて訪問し、今度で3度目の訪問になった。
 ほとんどの先生たちも、異動されていて、新しく出会う先生たちになる。

 ここでも5年生のクラスで授業をし、「日常授業」で強調することを訴える。
 こんな感想を書いている子供がいた。
★ ★ ★
 とても楽しかったです。すごく分かりやすかったです。かんしゃしかないです。ありがとうございました。
 ★ ★ ★
 
 夜の懇親会では、この学校の研究部の3人の先生たちも出席されていて、これからの方向を熱く語る。
 がんばってほしいと願うばかりである。

●18日は、北見市立美山小学校へ行く。
 この学校にも二度目の訪問である。
 この学校も、学校力向上の実践指定校である。

授業を見せてもらいながら、すぐれた授業者が何人もおられることが分かる。
 また、若手の先生たちが元気である。
これからの、この学校の可能性を感じる。

 この学校でも、4年生のクラスで授業をし、講座をもつ。
 ここでも、こんな感想を書いている子供がいた。

 ★ ★ ★
 とてもなぞときみたいで楽しかったし、詩はこういうものだとわかりました。そうぞうするのも楽しかったです。またやりたいです。
 ★ ★ ★

 また、こんな注目する感想も入っていた。

 ★ ★ ★
 (わるぐちではありません)
 ・なんかうるさくなった。(いつもの5ばいぐらい)
 ・しずかにべんきょうしたい。
・書くのが速い。
 ・きりかえがすごい。はやい。
 ・○○にようしゃない。
 ・みんなだいばくしょうしていた。
 ・字が大きい。
 ★ ★ ★
 私の授業は、確かに笑いに包まれて、にぎやかになった。
 この子は、静かに勉強をしたいのである。
 もちろん、こんな子もいる。
 「わるぐちではありません」と断っているところなどは、私への配慮をしている。

 「○○にようしゃない」というのはわかりにくいであろう。
 実際には、○○には名前が書いてある。
 教室へ行き、「そうだろう、○○君」と言うと、「どうしてぼくの名前を知っているの?」「顔に書いてあるよ!」と言うと、盛んに顔をふく仕草をする。

 事前に先生から、やんちゃな○○君について教えてもらっていたのである。
 その○○君にたいして、「机の上の服をしまいなさい」と厳しく指摘したりしたのを「ようしゃない」と書いたのであろう。

 その○○君、授業が終わって帰っていると、追いかけてきて、「どうして僕のことを知っていたの?」とまとわりついてきた。
 授業には、とても集中して乗りまくったのである。
 なんともかわいい子供であった。
 
●女満別空港を19:00に出て、羽田へ20:50に着く。
 関東は相変わらず梅雨空で、雨模様。
さて、明日から7月の第4週になる。
 今週は、初任者指導の先生たちへの講座が2つ。

※講座で配付した「毎日の『日常授業』をどのように改善していくか?」という文書(最後に、詩の授業の詳しい展開案をつけている)16ページ がほしい方は、コメント欄に連絡してほしい(非公開)。パソコンの容量を確認してお願いします。

| | コメント (0)

つれづれなるままに①~提案は、授業で行う~

●7月9日の神奈川県大和市での初任者研修を皮切りに、忙しい日々を送っている。
 7月に多くの講座が詰まってしまった。

 大和市の初任者研修は、3回目。
 この時期、3学期制の学校は、通信票の時期にもなる。

 まだ、通信票を書いていると言う初任の先生たちが数多くいた。
 「これは困った!」。

 彼らは初めて通信票を書いている。
 多分、満足に睡眠もとっていないであろう。
 初任者研修どころではないのではないか。

 それでも何とか90分の講座を終える。
 初任者も、がんばって聞いてくれたのである。

 すぐに夏休みが始まる。
 ほっと一息つけるはずである。
 2学期からの健闘を祈る思いである。

●7月12,13日と宮城県の仙台へ行く。
 仙台市立南中山小学校校長の千葉校長から呼ばれたのである。

 そこで、5年生に授業をし、そして先生たちに「なぜ、こんな授業をするのか」の話をする。
 テーマは、「日常授業」の改善についてになる。

 「味噌汁・ご飯」授業を提案してから、授業についての提案は、基本的に授業をすることにしている。

 もう口舌での提案は、現場の先生たちには入らない。
 どんなにすぐれた提案でも、もう口舌だけではだめだ。
 「このテーマを提案しています。それを授業で示してみます。うまく行くかどうかは結果ですが、『味噌汁・ご飯』授業は、70点でいいですので、それを提案して、何をテーマにしているか考えてほしい。」
という提案になる。

 「ごちそう授業」を提案するのではない。
 現役時代は凡庸な授業者だった私が、そんなことはできない(決して謙遜して言っているわけではない<笑>)。
 ★
 時代は大きく転換している。
 そのことをうまく言葉化することはできないが、もう民間のセミナーや講座では人が集まらなくなっている。
集まるのは、一部の熱心な先生たちだけ。

 多くの教師たちは、ぼろぼろに疲弊し、目の前のことだけを求めるだけ。
 自宅と学校を往復し、それだけで精一杯。
 仕事は、担任している学級を成立させるだけで精一杯。
 それ以上にセミナーなどに出かけ、勉強しようという気持ちは起きない。 だから、本も読まないし、読めない。

 このような先生たちが、現在日本の教師たちの多数派を占めている。
 リアルな現実である。

 このような先生たちに訴えることができることは、毎日の授業をどうするかである。
 しかも、「こんな授業です!」と提案する。
 ここでならば、揺り動かすことができる。

 私の親しい知り合いのO先生は、指導主事(教育次長)である。
 授業をして、現場を回っている。
私と志を共有している。

 授業をすれば、多くの先生たちが集まってくる、と。
 当たり前である。
 指導主事が、授業で示していくのであるから、そこに共鳴し、学ぼうとする先生たちは、必ずいる。
 
 山口県の福山憲市先生は、毎日授業をして、学校を回っている。
 この迫力は、大変なことではないだろうか(私でも、福山先生の授業をぜひとも見てみたいと願っているのであるから)。
 ★
 13日(土)午後は、南中山小学校で、「学級づくり」、「授業づくり」講座を設ける。3時間の講座。
 集まってこられた先生たちの手応えはすごいものがあった。

 終わってから、何人もの先生たちから相談を受けた。
 極めて具体的な相談である。
  (つづく)

 
 
 
 
  

| | コメント (1)

みごとな回答だった!

 相談者がいて、回答者がいる。
 たまたま覗いた回答欄だったが、みごとな回答だった。
 こんな回答を、今まで見たことがないほどのものだった。
 それを紹介しておきたい。

 朝日新聞の「be」(2019.7.6)の「悩みのるつぼ」に載っていたものである。

 相談者は、女性40代。回答は、評論家の岡田斗司夫さん。
 「少年野球の監督の指導がパワハラ」という相談

 ★ ★ ★
 40代の母親です。子どもの野球に悩まされています。
 小学校区には2つ野球チームがあり、うちの子は強い方に所属しています。本人の強い希望で入団しました。
 監督は、勝つことのみに重きを置き、罵声、パワハラがひどいです。お気に入りの子、試合で活躍した子以外には目もくれず、子どもたちはチームを勝たせるための駒のよう。週に5~6日、炎天下でも長時間の練習があります。
 指導されている内容も親もよく見聞きするよう言われ、練習を毎回見に行くのが当たり前になっています。私は仕事もあって、それをしないので、親子ともにハブられています。中には問題を感じている保護者もいますが、監督は王様状態で、子どもに返ってくるので誰も何も言えない状態です。
 うちの子は、野球や友だちが好きなので絶対にやめたくないし、他のチームに移るのも嫌だと言います。ですが、野球ばかりに時間と体力が取られ、子どもの他の可能性も潰されるのが気がかりです。家族との時間もありません。また、チームの人間関係を見ていると、私自身が厭世的になって、このチームの野球をやっているうちの子どもまで嫌になることがあります。
 子どものために自己犠牲を払えない自分がダメなのかと責めたりもします。どう乗り越えていけば良いのでしょうか?
 ★ ★ ★

 きわめて真っ当な相談である。
 この種の悩みは、よく聞いたことがある。

 回答者の岡田さんは、次のように回答する。

 ★ ★ ★
 最初にお断りしますが、私はスポーツ嫌いです。野球もサッカーも見ませんし、五輪も興味ゼロ。来年の今頃は退屈していると思います。たぶんあなと同様に「体育会的な指導が苦手」です。
 でも、そんな私から見てもパワハラ的な指導には一定の効果があると思います。
 パワハラとは、人間関係や仕事関係の上下差を利用して、相手をいじめることのようです。その意味で少年野球監督のやっていることは「パワハラ的」に見えるかも知れません。しかし息子が自分で選んだチームで、いまも「やめたくない」と言っているのなら、その監督の指導はパワハラそのもの、つまり「いじめが目的」ではないようです。
 「強いチーム」には、だいたいパワハラっぽい指導者がいます。いっけんお気に入りやエコヒイキに見えるのも、すべて「試合に勝つ」ための実力主義という場合もあります。
 最近の教育現場では「競争」よりも「仲良し」が強調されるそうです。チームスポーツのような実力主義は、その意味でタテマエの多い学校よりも早い段階で「大人の社会」を息子に体験させているのでしょう。
 と、ここまで書きましたが、「親も参加を強制」は別問題です。それは子供の弱みにつけ込んで、家庭まで操ろうとする、まさにパワハラだからです。あなたが、自分の好みを超えて、そこまで付き合う必要はありません。
 もし息子が「ママが来てくれないとレギュラーに選んでもらえない」と泣きついてきたら、こう返してください。
「それはあなたの実力が足りないから。同じ実力ならゴマすり親のいる子を優先するかもしれない。でもあなたの実力が抜きんでていれば、本当に勝ちたい監督ならば絶対にあなたを選ぶはず。親のチカラではなく、自分の実力で勝負しなさい」
 たぶん、同世代の子供の大部分は「実力主義」という恐ろしい荒波を経験せずに、いずれ社会に参加します。それに比べてスポーツを真剣にやる子供たちは、いやがおうでも早めに「大人の社会」を経験せざるを得ません。ひょっとしたら息子はこの後、うちひしがれて帰ってくるかも知れない。その時まで、あなたは「息子の趣味・生きがいに無関心なダメ母」を演じてみてはいかかがでしょうか?
 長いスパンで見れば、そういう無関心な態度のほうが「今は野球にすべてを賭けたい息子」のタメになる気がします。
 ★ ★ ★

 この回答に賛否はある。
 しかし、このような冷静な判断はなかなかできないであろう。
おそらく、この保護者も、こういう判断があったのかと違う目をもたらされたことであろう。
 

| | コメント (0)

今、日本全国で起こっていること

 私のところへさまざまな相談が寄せられる。
 この6,7月に数多くなる。

 ブログでコメントされた童神先生のクラスも大変である。
 また、ブログにコメントされた先生の学校でも、学級指導が一番うまい先生のクラスでも学級崩壊が起こっているということ。

 多分、日本全国のあらゆる学校の、いくつかのクラスが、こんな事態になっている恐れがある。

 一体、何が起こっているのか?

 私が見聞きしている事態は、クラスにいる発達障害、愛着障害の子供たち関係の事態である。
 
 崩壊していくパターンは、いつも決まっている。
 だいたい次のようなカタチをとる。

 ①最初、2,3人のやんちゃな子供が目立っている。
  この中に、発達障害児、愛着障害児がいる。
 
 ②そのやんちゃな子供たちが、だんだんルール破りや、もめごとを多く起こしていく。

 ③担任は、今までは優しく接していたが、だんだんしょっちゅう叱っている状態になる。

④2,3人のやんちゃは、反発する。
  「うるせ~」「死ね」「消えろ~」などと暴言を吐く。
  担任と険悪な関係になる。

 ⑤2,3人の子供たちと行動を共にする子供が出てきて、6月頃には7,8人になる。

⑥クラスが毎日騒がしくなり、あちこちでもめ事が頻発する。その収拾に追われる。
  保護者からも毎日苦情の電話が入る。

⑦もはや、授業がまともに行えなくなる。

 ★
 その原因は、はっきりしている。

 ア 「生徒できない」子供たちにクラスをかき乱される。
   ほとんどが発達障害、愛着障害の子供たちによる。

 イ 「生徒」しない子供たちにクラスを崩壊させられる。

 「生徒」できない、しないというのは、学習の姿勢を取れないことを言う。
 
 アの原因がほとんどである。
 童神先生のクラスも、アである。

 イの原因は、高学年に多い。
 担任が、自分に合わないと判断すれば、クラスを壊しにかかる。
 また、これには担任にも原因がある場合がある。
 あまりにも強権的に振る舞うことによって、子供たちの反発を招いている。
 
 ★
 もう担任の先生だけでは、限界がある。
 周りの子供たちの授業の邪魔をしている「生徒できない」子供たちの相手をしながら、他の子供たち向けに授業をするという二段構えが、どれほどの大変さがあるか、もうはっきりしている。

 管理職が、きちんと対応すべきである。
 
 ①空きの教師を教室にはりつかせて、その子供の相手をさせる必要がある。  あまりにもひどいと教室から引きはなさなくてはならない。
 ②保護者に伝え、授業の邪魔をする場合は、教室から引き離すことをきち  んと話し、これからの対応を話し合う。

 だが、こうしたことをきちんとできる心ある管理職ばかりではない。
 担任の先生たちの孤軍奮闘になっている。
 ★
 こういう事態に対して、今までの私の提案は、次のことになる。

  ①まず「学級づくり」を優先すべきである。最初に取り組むことは、
   学級づくりである。

  ②「学級づくり」は、1ヶ月が勝負になる。
   そのために、「「3・7・30の法則」で学級をつくっていく。

  ③1週間で学級の仕組みをつくり、早く子供たちが自分たちで学級
   を動かしていけるようにする。
  
④授業は、いかに「日常授業」の質を上げていくかの視点で取り
   組んでいく。

 ④は唐突に思えるかもしれない。
 しかし、「味噌汁・ご飯」授業の提起を知っている方は分かってもらえるはずである。

 高学年の子供の中で、「生徒しない」子供がいると指摘した。
 最近、びっくりする2,3の事例を耳にしている。

 学習塾では、とびきりに優秀な子供が、学級崩壊の中心にいるという事例である。
 
 学力上位層の子供たちが、「先生、授業がつまんないです。もう少し私たちが意欲的になるような授業をしてください!」という要求を礼儀正しく、正当に突きつけたら、どうするのだろうか。
 しかも、それを保護者が全面的にバックアップしたとしたら、それに対抗できる教師はどれくらいいるだろうか、ということになる。
 私の知り合いの教師の授業参観では、指導書を持ち込んで、それを見ながら参観をしていた保護者がいたということを聞いている。
 
 そういう現実が、少しずつ起こってきている。
 
 リアルな現実では、これが最も困難な事態になる。
 今、多くの先生たちが、授業準備ができないために、スカスカの授業をしている。
 それしかできないのである。

 だが、これらの事態を続けることはできない。
 このことは、深く認識すべきこと。
 これから、教師として続けていけるかどうかの問題として認識すべきである。 

この意味で、「日常授業」の質を上げていくという提案をしている。
 
 「働き方改革」のメインは、このテーマであることは明らかである。
 これから会議や研究会を少なくし、行事も精選していくという方向が出てくるし、現在でも取り組んでいるはずである。
 もちろん、必要なことである。

 だが、働き方改革は、それで済んでしまうことではない。
 大切なことは、学校を成り立たせている本務(「日常授業」)の質をどれだけ豊かにできるかどうかにかかっている。
 
 これから、これが問われてくる。

| | コメント (0)

パワーポイントを使うことの問題点

 今でも講演に呼んでもらえる。
 そのときに提案するのは、パワーポイントになる。

 ふとしたことで教えてもらって、見よう見まねで習い覚えたものである。 今では、ほとんどの人がパワポでの提案である。

 パワポを使い出して、強くこれは便利だなと思ったことがある(だが、この便利さには、落とし穴があるのだが)。
 
事前に訴えたいことをファイルに書いておくことができる。
 話だけで講演をしていたときには、何を話すかを何度も確認をしなければならなかった。
 だが、このパワポは、事前に話したいことを書いておかれる。
 忘れることがない。
だから、何でもかんでも詰め込んで書いておく。
そして、それを読み上げていくことが講演になる。

 どこででも行われているパワポの講演は、だいたいこうなっている。
 ファイルの効果などは工夫されているが、とにかくいろんなものを詰め込む。

 私は、最初から、その詰め込むということだけは止めていた。
 しかし、次のことはやっていて、他の人から注意されたことがある。

  箇条書きに読み上げていく箇条書きスタイル。

 これをやっていくと、次のような問題点が出てくる。

 ①ずばり結論が書かれていないので、何を言いたいのか分からない。
  前置きや背景説明などと言いたいことがごちゃごちゃになる。
 ②必然的に文字が小さくなる。
 ③プレゼンターが言っていることと、聞いている人の見ているところが
  一致しなくなる。
 ★
 パワポの使い方のスタンスを間違っていたことになる。
 
 第1の間違いは、プレゼンテーションの主役は、ファイルだと勘違いをしていたこと。

 主役は、プレゼンターなのである。
 逆に考えていたことになる。
 
 第2の間違いは、プレゼンテーションを情報伝達の目的として考えていたところがある。
だから、情報を詰め込んだのである。

 パワポは、1項目⑴ファイルにしなければ、聞き手の集中が途切れてしまう。
 
 3つ目の問題は、ファイルを配付資料として使っていたこと。
 もちろん、ダイジェスト版にしていたのであるが、確かにすべての講演の配付資料として使っていたことになる。
配付資料としてパワポのファイルを使うと、聞く人たちがファイルに目がいって、話を聞いてもらえなくなる。
 配付資料とパワポは別々にしなければならなかったのである。
 ★
 7月は数多く講座がある。
 その準備に今は追われている。

 今回の7月からパワポの使い方を改めたい。
 と言っても、たいしたことはないのであるが(笑)……。

 今回、このパワポについて教えてもらったのは、以下の本である。
 これからパワポで提案をされる方は、ぜひとも読んでおかなくてはならない本である。

 『東大式 伝わるパワーポイントスライドの作り方』(西川 元一著 秀和システム)
  

 
 
 
  

| | コメント (0)

つれづれなるままに~夫婦円満になる極意~

●作家の田辺聖子さんが亡くなった。91歳。
 もう十分に生き抜いて、亡くなられたのだと思われる。

 朝日の天声人語の中で、次のことが書かれている。
 ★ ★ ★
 夫を見送った翌年に刊行した随想集『人生は、だましだまし』にこんな一節がある。
「夫婦円満に至る究極の言葉はただ一つ、『そやな』である。夫からでも妻からでもよい。これで按配よく回る」
★ ★ ★

 私が言っている「夫婦長続きする3条件」の1つでもあるので、ちょっと印象的であった。
 ★
 相手の言葉に「そうだね!」という一言がなかなか言えない。
 反対に、否定言葉を投げかけることがよくある。

 ある夫婦は、このことで何度も離婚の危機に陥る。
 
 「今日は寒かったね!」という妻の一言に、「寒いのは当たり前だろ~。冬なんだから!」と返してしまう。
 一言「そうだね!」と言えばいいものを。

●知り合いの先生から、「先日、文科省のIさんから聞いた話です」と。
 Iさんというのは、今般の学習指導要領作成を中心になってまとめた人だと聞いている。
 その話というのは、以下のこと。

「企業をはじめあらゆる人手不足に陥っているところが
 教育学部の学生を青田買いに走っているのだと。
 だから教員採用試験の倍率が下がるのだそう。
 試験前に早めに内定をだすのだ、と。」

 新潟や北海道が、採用率が1.2。
 東京は、1.8.。……。

 軒並みに、このような状態になっているのは、その原因に青田買いがあるのだ、と。

 長時間労働、ブラック学校、学級崩壊、…。
 暗い話題ばかりをばらまいているところへ進んでいく学生は、確かにいないだろうなと推測できる。
 
 だが、このことは深刻な状況を招いていくのだと考えなければならない。
 安閑としてはならない。
 文科省は、深刻に受け止めているとIさんは語っていた、と。
 
 当たり前である。
 教師になる学生がいなくなる。現場の先生たちは、これから鬱病や病気でばたばた倒れていく。
 
 学校から先生たちがいなくなる。不足してくるのは目に見えている。
 学校の存立そのものが危うくなる事態なのである。

●佐伯泰英の時代小説を読む。
 吉原裏同心抄(六)。
 
 佐伯さんの時代小説を読み出してから、どのくらい経っただろうか。
 読み繋いできたのは、『居眠り磐音』シリーズ、『酔いどれ小籐次』シリーズ、『鎌倉河岸捕物控』シリーズ、そして今回の『吉原裏同心抄』シリーズである。

 佐伯さんも、76歳になられたのだろうか。
 とにかく、付き合って読んでいこうと思っている。

●定年を迎え、あれほど忙しい生活をしていた人たちが、ぽっかりとした時間を迎える。

 私もまた、定年後、もう11年目を迎えている。
 講演の仕事はまだまだあるのだが、家にいる時間が長くなっている。

 「家にいるとき、一日、何をしているんですか?」
と聞かれた。
 
 反対に相手に、「今どうしているのですか?」と聞くと、
「私なんかずっと暇で、テレビに漬かっているか、ついついパチンコに行ったりするんですよ。」と。
 あれほど忙しい生活をしていた人も、仕事がなくなると、こうなるのだと改めて思ってしまう。何か全て終わってしまっている感じである。

 人生の午前中が終わって、もうとっくに人生の午後しかも夜を迎えているのに、安逸な生活をされているのだと、ちょっと残念な気持ちになる。 
 でも、どんな人生もあるのだから、批評することはない。
 
 私の場合はどうだろう。
 果たせなかった課題が残っている。それにケリをつけねばならぬ。
 片付けねばならぬ本、書類、家具などうずたかく積もっている。
 支えてくれた女房への感謝を形にする時間が必要。
 もし女房が先に行ったならば、私は一人で自活せねばならぬ。その準備をきちんとしておかねば……。
 やることは山ほどにある。暇な時間などない。

 人生は一度限りだというのを忘れないように。
 もう二度とこの時間はないのだから。

●高齢ドライバーの問題がマスコミで盛んに取り上げられている。
 何とかしなければならないのは、当然のことである。

 しかし、高齢ドライバーだけが事故を起こしているわけではない。
 これは、マスコミが騒いでいるから、そう感じるだけである。

 75歳以上の高齢ドライバーの運転免許保有比率は、6.8%。
 これだけなのである。

 事故も、75歳以上の事故と、25~29歳の事故と変わらない。
 高齢ドライバーだけが事故を起こしているようなマスコミ報道を、そのまま信じてはいけないわけである。
 
 だが、高齢ドライバー問題はそのままでいいというわけではないが、きちんと現実は知っておかなくてはならない。
(ちなみに、私は免許は持っていない<笑>)

 
 
 
 
 

| | コメント (2)

童神先生のコメントに付け加えて~担任は解決できない~

 童神先生のことについて、親しい校長先生から以下のような内容のメールをいただきました。

★ ★ ★
 ブログの童神先生の事例、同様なケースで苦しんでいる先生が多いです。
 大抵、担任がもたなくなり、学級崩壊です。病休にという感じです。酷いときは退職。

 私も2回、この類いの子どもを担任しました。
 
一人は、保護者と何度も話をしました。父親ともさしで。でも、医療に繋がりませんでした。
 
翌年からずっと学級は大変でした。私の後を担任した先生は、一年どうにか耐えて、転勤していきました。
 私は、授業の邪魔をするし、友だちに手を出したり勝手なことをするので、引っ張り出していました。
 ただ、その子との関係性を作ってからでないと強制的なことはできません。
 難しいですね。

 校長の立場で言わせてもらえば、こういう事例は、担任には解決できません。
 小学校は、校長がリーダーシップをとって、保護者対応をし、他の子どもの学習を第一に進められる環境を作る必要があります。

 ただし、多分そういう保護者は一筋縄ではいかないですから、専門の先生、教育委員会、福祉関係の機関、地域の民生委員、学校運営協議員他あらゆるところと連携して対応しかないです。

 以前つかえたN校長は、他の子に手を出したり邪魔をするなら教室から出すこと、けがをさせたら警察を呼ぶこと、を保護者に伝えるというスタンスで望まれました。
 勿論、そうならないためにも子どものことを考え医療にかかるように、専門機関にかかるように、保護者に話をされていました。

 全校体制で校長を中心に児童のアセスと同時に保護者のアセスをし、早急に対応が必要ですね。
 ただ、ケースによっては難しいというのが正直なところです。

 問題は、保護者です。
 そこが大きな壁になるのです。この手の事例が、教育現場の大きな課題です。深刻な課題です。これを解決しないと学級経営も学校経営も何もできません。

 アメリカのようにゼロトレランス?のような仕組みを導入すべきだと思います。
 多分、学校、校長でもどうにもならないケースがあると思います。
★ ★ ★

 かなり厳しい内容が書かれています。
 今のところ、ゼロ・トレランス的な対応を教育委員会が行っているところは、大阪市だと聞いています。
 実状は分かりません。

 とにかく、このままでいいわけはないのです。
 具体的に動いていく以外にありません。

| | コメント (0)

今日一日の区切りで生きよう!

 ブログには、さまざまな相談が寄せられる。
 もちろん、ほとんどは公開はしない。

 相談をされる方は、ほとんどが子供たちとの関係や、他の先生たちとの人間関係の悩みである。

その相談に、時として「この本を読んでほしい!」と薦める本がある。

 私の生涯の書物として、常に傍らに置いている本である。

 『道は開ける』『人を動かす』(創元社 カーネギー著 文庫本)

 この2つの中で、とりあえず『道は開ける』を薦める。

 ★
 世界的な名著である。
 だから、読んだことがある人もいると思われる。

 私は何回も読んでいる。
 この本は、1948年にアメリカで出版されている。私が生まれてから1年後の本。
 もう70年以上前の本。

 内容は、まったく古くさくなっていない。
 何度読んでも新鮮である。

 それだけ人は進歩していないとも言えるかもしれない。
 ★
 本を読まない人は多い。
 だが、この本だけは読んだ方がいい。

 『道は開ける』という本は、悩みに関することが書いてある。

 その第1章「悩みに関する基本事項」の第1は、「今日、一日の区切りで生きよ」で始まる。
 要するに、カーネギーは、悩みを解決するには、まずここから始めなければならないと考えているのである。

 サー・ウィリアム・オスラー博士が、エール大学で学生たちに語ったことが紹介されている。

 ★ ★ ★
 君たち一人一人は、この豪華客船よりもはるかに素晴らしい有機体であり、ずっと長い航海をするはずです。考えていただきたいのは、この航海を安全確実なものにするために、『一日の区切りで』生きることによって自分自身を調節することを学べということです。ブリッジに立って、とにかく大きな防水壁が作動している状態を見るといい。ボタンを押してみなさい。そうすれば、諸君の生活のあらゆる部分で鉄の扉が過去ー息絶えた昨日ーを閉め出していく音が聞こえるでしょう。またもう一つのボタンを押して鉄のカーテンを動かし、未来ーまだ生まれていない明日ーを閉め出すのです。そうしてこそ、諸君は今日一日安泰です。過去と縁を切ることです。息絶えた過去など、死者の手に委ねましょう……愚か者たちを不名誉な死へと導いた昨日など閉め出すべきです……明日の重荷に昨日の重荷を加えて、それを今日背負うとしたら、どんな強い人でもつまずいてしまうでしょう。過去と同様、未来もきっぱりと閉め出しなさい。未来とは今日のことです……明日など存在しないのです……人が救われるのは今日という日なのです。エネルギーの消耗、心痛、神経衰弱は、未来のことを気遣う人に歩調を合わせて、つきまといます……そこで、前と後ろの大防水壁をぴたりと閉ざし、『今日一日の区切りで生きる』習慣を身につけるように心がけるべきでしょう。
 ★ ★ ★

 カーネギーは、このオスラー博士の言葉から、この項を次のようにまとめている。
「では、悩みについて胆に銘じておくべき第一点を述べよう。あなたが自分の生活から悩みを閉め出してしまいたいのなら、サー・ウィリアム・オスラーを見習うことだ。」と。


 過去と未来を鉄の扉で閉ざせ、今日一日の区切りで生きよう。

 
 

| | コメント (2)

童神先生からの相談事~学級をかき乱して困っています~

 童神先生から次のような相談事が入りました。
これは、あらゆるクラスで、今問題になっていることでもあるのです。
 
★ ★ ★
 野中先生、ブログに取り上げていただきありがとうございます。実は今、以前ほどじゃありませんが、かなり参ってきています。前回も少し書いたのですが、どう見ても特別支援対象の男子児童がおり(保護者が病院受診自体を拒否しているようです)、その子が他の子にちょっかいを出すなど、学級をかき乱して困っています。注意されると逆切れする、放っておけば好き勝手なことをする。また被害妄想が強く、自分の行動は棚に上げ「誰々が俺の悪口を言っている」などと私に訴えてくることもあり、言動がちょっと普通ではありません。管理職には既に報告しており、校内体制を作ろうという話にはなったのですが、そうこうしているうちに、この子一人に学級の秩序が破壊されてしまいそうです。こういう子をヘルパーも付けずに普通学級に置くこと自体、間違っていると思うのですが、親の理解が得られないままでも、何らかの手立てを講じることはできないものでしょうか。
 ★ ★ ★

 この子供については、すぐにでも対応を取らなければなりません。
 管理職に相談しているということですが、すぐに動いてもらえるようにしなくてはなりません。
 これは、すでに担任ができる域を越えています。

いつまでもこのままにしていると、学級自体が不穏な状態になっていく恐れがあります。
 また、このままにしておくと、被害にあった児童の保護者から連絡があるはずです。

 だから、校長に「この子が他の子供の学習の邪魔をして、クラス全体の学習が思うようにできません。何とか対応をお願いします。」と強く言うことです。
 
 この子供は、発達障害か愛着障害である可能性があります。
 ★
 ただ、クラスにいるわけですから、その対応はきちんと考えていかねばなりません。
 どうしていくのかです。
私はこのことについては、専門ではありません。
 私が知り得た範囲で伝えます。
 
 この領域については、現場の教師たちは、きちんと研修がなされていません。そのために、間違った対応をしています。


(1)まず厳しく叱ることをやめること
 広汎性発達障害(PDD)傾向にある子供は、常に不安感があり、そのために他への攻撃をしたりします。
 叱責や注意などに対しては、反発や攻撃を返してきます。
 童神先生のクラスの子供が逆ギレしたり、被害妄想が強いというのはまさにこの状態です。

 その子に対して厳しく注意したり、叱ったりすると逆効果になります。
 止めなくてはいけません。

(2)安心感をもたせる
 それでは、ほっておけばいいかというとそれでは事態は改善しませんね。
 その子は、そこで動き回ってしまうわけですから、それに対処しなければいけないわけです。
 その子が何とかクラスの中で落ち着いて行動できるように導いていかねばなりません。
 
 そのためのキーワードは、「安心感」。
 この安心感を持てるようにすることです。

 脳科学者の平山諭先生は、ここで「セロトニン」という脳内で情報を伝えるホルモンの仲間を紹介されています(『満足脳にしてあげればだれでもが育つ』ほうずき書籍)。
 このセロトニンは、優しくされると分泌されるもの。
 安心感をもたらすものです。

 このセロトニンを分泌させるためには、何をするか。
 平山先生は、5つのスキルがあると言われています。

 ①見つめる
 ②ほほ笑む
 ③話しかける
 ④ほめる
 ⑤触る

①見つめる
 やさしく見つめると安心感を与えることができる。

②ほほ笑む
 ほほ笑むことが上手な人は攻撃されない。口をできるだけ横に開き、歯が少し見えるぐらいがいい。笑うとは異なる。笑うと人に警戒心をもつ子供はバカにされたと思い、対抗して攻撃の姿勢を取る。

③話しかける
 相手の言葉を待つだけでなく、こちらから相手に話しかけることが大事。 名前を呼んだり、質問をしたり、言動に対して、「そうだね」「わかるよ」「大丈夫だよ」「それでいいんだよ」「そうそう」など安心感をもたらす言葉が効果的である。

④ほめる
 ほめることに関しては、平山先生は以下のように記されている。 

★ ★ ★
 否定や言い返しもできるだけ避けたい。それぞれの人の脳には歴史があるので、その歴史(事実)を尊重するところから始めたい。臨床的な教育が事実から出発するのはそのためだ。《そ》が付く言葉は有効である。「そーなの」「そうなんだ」「そうか」「そうだよね」などは、相手の心を傷つけない。事実を認める言葉だからだ。《ど》が付く言葉もいい。導入段階で使える。「どうですか」「どうしたの」「どれどれ」(はなしてごらん)「どうぞ」「どういたしまして」などだ。
 ほめることは『成功体験』の積み重ねにつながる。ほめられたことは一般に繰り返そうとするからだ。ほめ方には5種類ある。

 1 短いフレーズで元気よくほめる。
  「すてき」「ばっちり」「すごい」など。
 2 名前を付けて特定化してあげる。
  「すてきですね、菜々子さん」「ばっちりだよ、一郎君」など。
 3 成長や達成を実感できるようにほめる。
  「できるようになってきたね」「やったじゃない」など。
 4 にっこりほほ笑んで事実を話題にする。
  「(ノートに)書いてる、書いてる」「(ノートに)消してる、消してる」「いい顔、いい顔」など。かまっている感じが出て満足度は高まる。2回繰り返すとリズミカル(音楽)になるので脳は喜び効果的だ。
5 期待効果を狙ってほめる。
  「(集団から離脱している場合)中に入ってくれたらうれしいな」「(教  科書を出していない場合)出してくれたら、先生、チョーうれしい」など。
  ★ ★ ★

⑤触る
 手をつないで口を閉じる人はそうはいない。握手が基本。握手だけでなく、肩を軽くタップする。ハイタッチをするなど。


(3)まず、ここから始めよう
 「セロトニン」に注目したいのです。
 その子に安心感をもたせるためです。
 
 そこで、まず、ここから始めましょう。

 ①いけない行動を取っていたら、「それは止めなさい」と指摘して、
  こうしようと行動をうながす。強い言葉で叱らない。

 ②「うるさい!」「消えろ!」「ウゼェ~」などと応えてきたら、
  「そう!」「そうなんだ」「そうか!」などの「そ」の付く言葉で
  返す。ほほ笑むことができたら尚良い。
  まともに叱り言葉で返さない。

 ③ちょっとでもまともな行動を取っていたら、褒め言葉で返す。
  
 
 童神先生、どうでしょうか。できるところからがんばってください。
 とにかく管理職に早く対応をお願いすることが先です。

| | コメント (0)

ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力~

 担任をずっと続けているうちに、必ず2,3度はクラスが荒れる経験をする。
 私も37年間の教師生活(担任)の中で、1、2度クラスが荒れる経験をしたことがある。
 
 学級崩壊という事態までは免れたが、もう1つでも悪い事態が入り込めば、きっとそうなっていたであろうと思ったことがある(でも、この経験がなかったら、本を書くということはなかったであろう)。

 こんな時には、ただただ「凌いでいく」以外にない。
 さまざまな手をうとうとするが、うまくいかない。
 かえって事態を悪くする場合がある。

 

 私の場合は、「凌いだ」のである。
 ★
 この「凌ぐ」ということが、書物になっていることを最近知った。
 違う言葉で表現されているのだが、…。

 

 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生<ははきぎほうせい>著 朝日新聞出版)。

 

 帚木蓬生は、団塊世代の小説家。しかも精神科医でもある。
 その人が、まったく別領域の本を書いている。

 

このネガティブ・ケイパビリティは、元は英国の詩人ジョン・キーツがシェイクスピアの文学的特質として発明した言葉らしい。

 

 「シェイクスピアが桁外れに有していたものーそれがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。」

 

 なんだか分かったような、分からないような、「能力」。
 帚木さんも、そのあたりは分かっていて、このように書いている。

 

「私たちは『能力』といえば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。/ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。」

 

「私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。むしろそのほうが、わかりやすかったり処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。/だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作行為も、随分楽になりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています。」

 

 考えてみれば、多くの人たちが、何かに耐えたり、我慢したり、そういう経験をあまりしたことがないのではないだろうか。
 だから、その「ふんばる力」や「我慢する力」が分からない。
 
 でも、私たちの人生では、決定不能な、解決できそうでない、宙ぶらりんの事態に遭遇したとき、焦らずあわてず、その状態にじっと耐え抜いていく、そんなことがきっと必要になる。
 ★
 ただ帚木さんは、次のようにいって、注意を促している。

 

「<問題>を性急に措定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻をあわせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえるのがネガティブ・ケイパビリティだとしても、実践するのは容易ではありません。」
と書いて、
「なぜなら、人間の脳には「『分かろう』とする生物としての方向性が備わっているからです。」と。

 

 確かに、目の前に、わけのわからない、不可思議な、嫌なものが放置されていると、脳は落ち着かず、当面している事態に、とりあえず意味づけをし、何とか「分かろう」とする。それが自然だからである。

 

 だが、ネガティブ・ケイパビリティは、それを拒否する「ふんばり力」なのである。
 ★
 この力を身に付けることは、簡単なことではない。
 
 まず、このような力があることを知ること。
 そして、人生のどこかで必ずこのような解決できそうでない事態が来るので、そこで試してみるのである。凌ぐのである。

 

 一度凌いだ経験をもてば、二度目ははるかにふんばれるようになる。

 

 必ず何とかなる。
 自分が解決できない課題は、ぜったいに自分に降りかかってくることはないからである。

| | コメント (1)

«童神先生からの久しぶりのコメントです!