今日は、雪かき仕事である

  「野中信行のブログ教師塾」(学事出版)が、2版になった。

 みなさんのおかげです。周りの先生に勧めていただいているおかげです。

 ありがとうございました。

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 初任者指導をしている学校へ行く。音楽専科の先生の指導だが、この日は授業がなく、3,4時間目は、1年生の公園見学の付き添いを頼まれた。

 一緒に公園へ行き、子供達の遊んでいる様子を見ていると、男の子がベンチで一人で座っている。

「どうしたのだろう?遊ぶ友達がいないのだろうか?」と近づく。

 「君は、名前はなんて言うの?」

 「Y……」

 1年生と仲良しになるには、聞いた名前とは違う、へんてこりんな名前を言えばいい。そして、あだ名をつければいい。私が指導している今の1年生のクラスの子供達のほとんどは、あだなをつけて、そう呼んでいる。 

「えっ、○○○○なの?」(笑)「ちがう、ちがう、Yなの!」

「担任の先生の名前は?」「知らない」「えっ、まだ知らないの!それとも転校してきたばかりなのかな?」……

 結局、その男の子は、転校してきたばかりで、シンガポールに両親とも住んでいて、夏休みを利用して体験入学という形で、こちらの学校へきたばかりであることが分かる。

 1年生で、日本の学校に慣れていないのである。少し引っ込み思案のところがあるのだろうか、自分から仲間に入ることができないのである。

 こんな場合は、教師がその役割を果たさなくてはならない。

 今日は、この子への「雪かき仕事」をしよう。

 村上春樹が言うところの「雪かき仕事」である。誰も、求めない、求められない仕事であり、やったからといって、誰も何も感じない、感謝されることも何もない仕事である。

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 私は、本にも書いたことがあるが、小学2年生の時、隣の附属小学校で学校代表で歌のコンクールに出たことがある。

 朝の待ち時間に、やはり子供を連れてやってきたのだろう男の先生が、私たちが遊んでいるところへやってきて、

「私は、山の方の学校から子供を連れてきたのだけど、町の子供達がどんな遊びをしているか教えてくれないかな。一緒に遊びに入れてくれないかな!}

と切り出した。

 15分ぐらいの遊びだっただろうか。

 私は、その時の、その男の先生の印象がずっと心に残った。

 「なんと、柔らかく、優しい先生なんだろう!」と。

 今でも、その場面と、その先生の仕草を思い浮かべることができる。

 ずっと私の心に残り続けたのである。

 誰でもが、小さい頃のそのような思い出を抱え込んでいる。

 ある場合、その思い出が、その人を決定的に変えていく転機を与えることもあるのである。

 ★

 Y君を連れて、みんなが遊んでいる場所に行った。

 見ていると、すばしっこくて、運動能力抜群である。体を思いっきり動かしたいのである。

 そのうちに、Y君は笑顔が溢れ、元気になっていった。

 学校へ戻ってきて、「野中先生にお礼の挨拶をしましょう」という場面で、みんなの前に、Y君を連れて行って、紹介をした。

「夏休みまでしかY君はいないけど、みんな、Y君を見たら声をかけてあげてね」

 これで、今日の雪かき仕事は終わりである。

 夏休みまでには、もう1回しかその学校へ行かないので、再びY君に会うことはない。

 Y君、さようなら。シンガポールでの健闘を祈る。

 

 

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再び「健全な家庭人であれ」

   「健全な家庭人であれ」というブログを書いた。

 すぐさま、西川純先生からコメントをいただいた。ありがたいことだ。

 (いつもコメントをいただくことに返信していません。申し訳ありません)

 このブログへの反響は、大きかった。

 私の親しい若き友人は、涙したと伝えてきた。

 やはり、現場が忙しさに追われている状況を表している証なのであろう。

 そして、遅くまで仕事をしたり、寝食を忘れて仕事に没頭するのを美徳とする風潮が確かにあるのである。

 また、他の知り合いは、次のようなメールを送ってくれた。

 以前、ある授業力アップのセミナーに参加したときに、
同じように感じたことがありました。セミナーには、
授業力の非常に高い先生が、遠方から講師としておいでになっていました。
事実、その話しぶりなどから、生徒からの信頼は厚いだろうと想像できました。
ところが、お子様が生まれたばかりで、まだ顔も見ていない、
週末はこうして、あちこち講師として飛びまわっているというお話に
びっくりし、たいへん違和感を覚えました。
1時間でも早く、お子さんの顔を見にいってあげてください、
奥様にねぎらいの言葉をかけてあげてください、ついそんな気持ちになりました。

そのとき感じた違和感は、野中先生の「健全な家庭人」かどうかという
ところなのだと、腑に落ちました。

私は非常勤講師として勤めるようになって6年になります。
1年目は、正規の先生に劣らないようにと肩に力が入っていましたが、
2年目くらいから、講師は、外の風を学校に入れることのできる存在だと
思うようになりました。私は私らしい先生であればいいのだと。
自分の子どものこと、家族のこと、学校以外の生活のこと、
先生以外の仕事のこと、子どもたちにも同僚の先生方にも話します。
こんな先生もいるんだ、こんな生き方もあるんだという例として、
子どもたちに何かを伝わればいいなと思っています。

最近は「ワークライフバランス」という言葉もよく使われますが、
このような言葉が使われるようになる前から、このことは常に意識していました。
私にとっての心地よいバランスは「健全な家庭人である」ことが大前提、
その先に仕事がある、というバランスなのだと再確認しました。

ずっと小さくもやもやしていたことが、野中先生のブログで解消した気分です。
ありがとうございます。

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 「私にとっての心地よいバランスは『健全な家庭人である』ことが大前提、その先に仕事がある、というバランスなのだと再確認しました」という視点は、とても大事なことである。

 しかし、現場は、そのようになっていないかもしれない。

 特に、困難な問題を抱えている現場は、そのようにはいかないことを承知の上で、それでも「健全な家庭人であれ」と言っておきたい。

  

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健全な家庭人であれ

 「明日の教室」3巻を読む。「2 授業観のとらえ方」の西川 純先生に賛同する。

 学び合いを提唱されている上越教育大学の西川先生である。

 西川先生は、「健全な家庭人であれ」で、「残念ながら現在の社会は教師に聖職であることを望み、スーパーマンであることを期待している」と書き出されている。

 うん、うん、と頷く。

 そして、最後にこのように書かれてある。

「最後に。『ごく普通の自分が、自分の家庭を犠牲にせず、最後まで勤め上げられうる授業』が、教師が形成するべき授業観である」とまとめられている。

 その通りだ、と私も賛同する。

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 私は、「新卒教師時代を生き抜く心得術60」(明治図書)の中で、次のように書いたことがある。

「私たちが若い頃、仕事さえ片がつけば、早く学校から離れたいという思いが強かった。教師としての仕事から離れて、<自分の時間>を持つことを求めた。

 本を読むこと。友だちと会って話すこと。映画へ行くこと。音楽を聴くこと。妻と2人だけで出かけること。絵を見に行くこと。……

 一人の社会人としての生活を求めることを強く求めた。

 結婚すれば、夫婦として時間を大切にしなくてはならない。

 子供が生まれれば、父親、母親としての時間を大切にしなくてはならない。

 地域の中に住んで、その生活もあるはずである。

 こうした生活を、バランスよく自分の中で組み立てていく必要がある。

 考え違いをしてはだめである。

 教師だからという思い上がりで、その仕事だけに専念しておけば、事足りるという昔の聖職意識は、もう時代錯誤である。

 学校へ遅くまで残って仕事をしておけば、何か<いい先生>になったような感覚があるとするならば、思い上がりも甚だしい」

 おそらく、西川先生と私は、同じ地平から発言している。

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 授業では、飛び抜けた力を持っているある先生の本を読んでいた。

 その途中で、次のようなことが書かれてあって、愕然とした。

 その先生は、布団に休まれることがない。パソコンをうちながら、その場所にうつぶせになって眠られるという。そういう日常が綴られていた。

 普通こんなことはやっていても本に書くことはない。

 それを書かれたというのは、「私は、こんな努力をしているから、すぐれた授業技術を身につけたのだ」と言うつもり(?)だったのかもしれない。

 このような努力をして、私に続けと叱咤激励のつもりで書かれたのであろうか。

 寝食を忘れて、物事に突っ込んでいく志を説かれたのであろうか。

 私は、寒々とした気持ちになった。

 この先生は、考え違いをしていると思った。

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 ここから先は、その人の思想(価値観、倫理観など)や生きる哲学が問われるのであろうか。

 私はしばしばこのブログで書いてきたことがある。

 人は、24時間内の課題をきちんと消化した上で、はじめて25時間目の課題が出てくるはずだ、と。

 ほんとうなら25時間目などないのだ。人の生活は、24時間内で成り立っている。

 その24時間の中で、人は、さまざまな苦しみを克服しながら、幸せを求めて生きているのである。

 もしその24時間の中で、解決できない課題が出てきたとき、ある人は25時間目の課題を設定し、その追求をしていく。

 それは、24時間目の課題を克服するためにのみ設けられるはずである。

 そこには、その人の必然性が込められているはずである。

 人は、24時間の中で生きることがもっとも価値ある生き方である、と私は考えてきた。

 上にあげた授業上手の先生は、25時間目の課題を追究することが、もっとも価値ある生き方だと思っているようである。

 まさに、私と真反対の生き方だ。

 しかし、これだけははっきり言えるのだが、24時間内の課題を無視した思想が生き延びることはないという歴史的教訓である。

 

 

 

 

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日常を変えられるのは、非日常の言葉だけである

  初任者指導教員の仕事をするまで、ほんとうに分からないということがあった。

 それは、低学年(1年から3年生まで)を受け持つ若手の先生たちが、クラスにいる数人のやんちゃたちに引っかき回されて学級崩壊になっていく事態である。

 そのやんちゃの中に、発達障害のある子供がいたら、事態はかなり変わってくるのであるが、そうでもない。

 やんちゃ数人にいいようにかき回されて、ギブアップ状態になることが、私には理解できなかった。

 教師としての力量がない、として片付ければもはやそれまでである。

 具体的にどんな力量がないから崩壊状態になっていくのか、ということが明確にならなければ、具体的な手立てがはっきりしてこないわけである。

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 初任者指導の仕事をするようになって、その正体をつかまえたぞいう思いになっている。

 多分、現役の頃には、つかまえきれなかっただろうと、今でも思う。

 私は、今一日中一人の初任者(といっても臨任経験者であるが)の授業を見ているわけである。昨年も、そうであった。

 こんなことは、37年間の教師生活ではなかったことである。

 現役時代、他の先生の授業は、いくらでも見た。

 しかし、それはあくまでも研究授業という形の授業であった。ほとんどがそうであった。

 でも、今は、それこそまったく構えていない、そのままの授業を見ているのである。

 これは貴重な経験だ。

 今まで気付かなかった問題が、さまざまに見えてくる。

「ああ、そうだったのか!」「なんだ、問題はここにあったのか!」…というように分かってきたことがさまざまにある。(今までも、このブログでいくらかは書いてきたところである)

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 さて、低学年の学級崩壊についてである。

 私は、低学年の場合、(それは3年生までであるが)つぎの2つのことができていれば、数人のやんちゃたちにかき回されることはないと思ってきた。

 それはどんなことだろう?

 1つは、まず集団活動の基礎(集団行動や学習のしつけの習慣)を作ることである。

 例をあげれば次のようなことである。

 ①勉強の始め、終わりをきちんとし、時間を守っている。

 ②勉強時間での空白の時間(何をやっていいか分からないという状態、給食の待ち時間に当番以外の子供をうろうろさせないことなど)を作らないようにしている。

 ③さまざまなところへの集団行動(体育館への移動、保健室への移動など)の時、きちんと並べて行動している。特に、「整列させること」を重視している。

 ④教室は、きちんと整頓され、机の中、ロッカーの中などはいつも整頓するようにしつけている。

 そして、もう1つは、子供への「事実を誉めていく」働きかけである。

 ここまで書けば、1つ目は、「縦糸張り」だな、2つ目は、「横糸張り」だなと考えられるであろう。

 この2つを意識して、あとは授業をやっておけば、低学年は十分だと私は考えてきた。

 やんちゃたちは、いつのまにか、この渦の中に巻き込まれているはずだし、事実そうなるはずである。

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 若い先生達は、叱ること(あるいは怒ること)が苦手で、崩壊状態を作り上げるのではないかと思ってきた。

 しかし、そうでもないなというのが、初任者指導の指導をするようになってからの感想である。

 結構、叱っている。というより、小言をしょっちゅう連発している。現実的には、叱責ばかり、注意ばかりしているという状況がある。

「だって、先生。悪いことばかりするので、注意しておかなければ先に進まないのです」

ということ。

 でも、やんちゃたちにとっては、その叱責は屁でもない。(ごめんなさい、品がなくて)

 家庭では、もっとひどく連発して叱責させられているのだ。

 こんな日常を続けている。

 ここに、一つは大きな問題点があることに気づいた。

 やんちゃたちは、叱責や注意ばかりされて、ますます行動をエスカレートさせていく。

 学校では、叱責と注意だけだ。そんなの屁でもないのである。

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 この「日常」を変えられるのは、「非日常」の言葉だけである。

 この非日常の言葉とは、「事実を誉めていく」ことである。事実を認め、みんなの前で披露し、「すごい!」「えらい!」「素晴らしい!」「天才!」「高学年のようだ!」…と誉め称えていくことである。

 そう言うと、やたらと誉めまくる先生がいる。

 そういう事実がないのに、ほとんど見ていないのに、「誉め言葉」だけを連発するというのは、もっとも虚しい行為である。

 子供達は、すぐにその空虚さに気づいていく。

 事実を見なければいけない。事実をつかまえること。その事実は、かすかにしか見えないのだから。

 「だって、先生。そんなことを言われても誉めるところなんて一つもないのです。悪いことばかり繰り返して、その注意だけで精一杯なんです」

と言われる。

 「だって、だって」の底なし沼に落ちこんでいる。

 狭い視野の中で、ただただ「やんちゃな子の悪たれ行動」だけが見えている。

 やんちゃな子供のそばで、きちんと教科書を出し、ノートに丁寧に書いている目立たない子供の姿は、もはや全然視野に入っていない。

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 一緒に初任者指導をしている先生から聞いた。

「野中先生、指導している先生で、叱るときにうまいなあと思ったことがありましたよ。その先生、いつもはそんなに叱ることがないのだが、叱るときには、その子供を呼んで、『なぜ、先生があなたを叱っているか、言ってみなさい』と、言わせているんだよね。感心したよ。叱られたことを子供の言葉で言わせているっていうのは、すごい力量だね」

 そうなのだ。ほとんど先生が叱っていることは、自分のまずさからそうなっているのだが、その先生は、自分の感情だけで叱ろうとはしていないところがいい。(私は、感情を思い切りぶつけて怒ることの必要性もあることを承知の上で、このように言っている)

 教師でいるということは、ある種の覚悟が必要だ。

 その覚悟とは、演技ができる、演じられる余裕とでも言えばいいのか。

 たとえば、廊下に並べるときに、わいわいおしゃべりをして並んだとき、「もう一度やり直し」のかけ声をかけるであろう。

 そして、もう一度の並び直しで、静かにきちんと並んだとき、どうするだろうか。

 大袈裟な演技が必要だ。

「すばらしい。さすがに3組の子供です。すぐにこのようにやり直しができるのです。私は、ますますこの3組が好きになりました!」

 こういう「誉め言葉」が必要だ。

 こういう「誉め言葉」を集団にも、個人にも、しばしば投げかけ続けることである。

 こういう言葉を出せるということが、ほんとうは「教師の力量」なのである。

 低学年で、学級崩壊をする先生には、この「誉め言葉」がない。

 思いつかない。使えない。誉めるべき事実が見えない。

 そういうことだ。

 そんなことが、見えてきたのである。

  

 

 

 

 

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いんこのぴーが亡くなりました

 私的なことを書いておこう。

 インコのぴーが亡くなった。22日(月)のことである。もう1週間になろうとしているが、心穏やかではない。

 落ちこんでいる。たかが、鳥であり、ペットにしか過ぎないが、家族同様に過ごしてきて、かけがえのない存在だったので、自分の身が削がれる思いになっている。

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 ぴーは、最初大池小の鳥小屋で飼われていた。しかし、いじめられて、一緒に飼えなくなり、職員室で一ぴきだけ飼うことになった。2年間職員室にいた。

 年齢も、男女も不詳である。たぶん、10年以上は生きていることは世話をしている先生達によって確認されていた。

 私によく慣れていた。

 ある年、世話を良くしている先生のお父さんが亡くなり、正月をどうしていこうかという話になった。

 私が、正月だけ家に連れて行き、飼うということに決まった。

 しかし、それ以降、ずっと私の家に住み着いたことになる。

 いつも私の帰りを待っていて、私が帰ると「ぴっ、ぴっ」と小屋から出せ、出せと要求した。

 私の左手の中に入ることが大好きだった。

 いつも、私がソファーで寝そべるとき、私の胸の上にいることを好み、二人(?)でウトウトとすることを日課としていた。

 ★

 先週の土曜日(20日)のこと。いつものように、私が左手に抱こうとしていると、突然右の羽の下から大出血をした。

 あわてて、血止めをして、近くの動物病院に運び込んだ。

 今までも何回か出血をすることがあったが、その都度自分でうまく回復させていた。

 しかし、今回の出血は、そういうものではなかった。

 輸血はできない。ただ、これ以上出血するのを防ぎ、血液ができるのを待つ以外にない。

 医者は、右の羽にテーピングをして固定した。動けない。

 そのまま家へ連れてきて、様子を見る以外になかった。

 3時間ぐらいぐったりと眠る以外になかったのだが、その日、夜中に元気になり、ばたばたと暴れることを繰り返した。

 翌日、このままでは餌も食べることもできないと思い、医者に連れて行き、テーピングを取ってもらうことにした。医者は反対だったが、今までもそのようにして回復してきたので、ぴーの生命力に期待することにした。

 その日は、夜に元気になり、えさ箱にかじりついて、必死に餌をついばもうとする仕草を繰り返した。

 ぴーにも、餌を食べることが生きながらえることなのだということが、本能で分かっていたのだと思える。

 しかし、やはりいつものように食べることができなかった。でも、1時間ぐらいえさ箱から離れず、必死に食べようとした。それは異常のように思えた。

 ★

 22日(月)の日。私は、勤務があったので、学校へ出かけた。

 その日、一日中ぴーは、女房の手で過ごし、べたべたと甘えたという。少しでも小屋へ入れると、すぐ「ぴっ、ぴっ」と呼んで、来てくれと催促して、買い物にもいけない状態だったらしい。電話をすると、「元気だよ」ということであった。

 夕方、私が帰ってくるのを必死で待っていたのだと思う。

 「ぴーただいま」と声をかけると、箱の中で、ぐったりと横たわっていた。

 「今まで元気だったのよ」と料理を作る女房の声だが、私に対する反応がない。これはおかしいと抱え上げると、ぐったりとしていた。

 それからである。

 私の手に包み込んで、湯たんぽで暖め、暖め、………。

 それでも、しばらくすると私の手をつつくぐらいの元気さを回復した。

 私と女房に、交互に抱かれながら、さかんに手をつつき、最後の元気さを振り絞っているように思えた。

 しかし、だんだんその元気さがなくなってきた。

 水で薄めたお湯を飲ませた。しばらく、おいしそうに飲み干し、何度も口をぱくぱくさせて、あたりをきょろきょろと見回し、……体が硬直していった。

 眠るように、満足した顔つきで静かに息をひきとった。大好きな私の左手に抱かれながら……。

 22日(土)の午後9時になっていた。

 3年と6ヶ月、私の家にいたことになる。

 ★

 それからもう1週間になろうとしている。

 私たち夫婦は、自然にぴーがいた鳥小屋に目が行き、ぴーの鳴き声に耳を傾ける。

 私たち夫婦の日々に、どっしりと腰を下ろして、彩りを添え続けた。

 私たちの言葉のいつくかにはきちんと反応し、小屋から出てきて、ちょこちょこ歩き、別の部屋にいる私たちを迎えにきて、こっちへ来いと呼びかけたのである。

 その姿をもう二度と見ることができない。

 ★

 ぴーは、玄関の扉のそばに埋められている。

 毎朝、女房は、そのお墓に大好きだったとうもろこしや小松菜をあげている。

 そして、さかんに、話しかけている。

 静まりかえった部屋で、ぴーとともに作り上げてきた日常を、また新しい日々に変えていかなくてはならない。

 ここ2,3日の暑さは、もう本格的な夏の到来を思わせる。

 しかし、ぴーがいない夏をどういうように過ごしていくのか、私はまだ想像できないでいる。 

 

 

 

 

 

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「明日の教室」3巻 発刊される

 「明日の教室」~学級経営の基礎の基礎~3巻「授業をつくる」が発刊された。

 「ぎょうせい」という出版社では、一番の売行きであると聞いた。

 今回の本も、そうそうたるメンバーでの執筆である。(私も一部参加させてもらっている)

 ぜひ買って読んでいただきたい。

 

 

  書籍『明日の教室』第三巻が出ました

  書籍『明日の教室』第三巻が出ました。
  第三巻は、「授業をつくる」です。

  さて、第三巻の表紙の色は何色でしょうか(^^)。

 ◆

 目次
 1 授業
  ・「授業をつくる」とは 
  ・授業観のとらえ方

 2 教師の立ち位置・子どもへの指示 
  ・声の出し方 
  ・指示の出し方・話し方(話術)
  ・チョークの使い方・板書 
  ・発問のつくり方

 3 ICTの活用・授業で使える小物 
  ・ICTの活用・デジカメ編 
  ・ICTの活用・プロジェクタ編 
  ・授業で使える小物

 4 机間指導・ノート指導  
  ・机間指導 
  ・ノート指導

 5 教材研究 
  ・教材研究・理論編 
  ・教材研究・外部との連携で授業をつくる 
  ・教材研究・子どもの実態や教師の願いに基づくもの

 6 授業の構成・指導案・テスト 
  ・授業の構成 
  ・授業スタイルの大きな分類 
  ・指導案の書き方 
  ・テストのつくり方・採点の仕方

 7 修養・学び合い 
  ・修養 
  ・学び合い

  代表編者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)
  池田修…いけだ・おさむ/京都橘大学准教授
  糸井登…いとい・すすむ/京都府宇治市立菟道第二小学校教諭

  第3巻執筆者紹介
 阿部隆幸…あべ・たかゆき/福島県本宮市立糠沢小学校教諭
 梅本裕…うめもと・ゆたか/京都橘学園理事長
 佐藤正寿…さとう・まさとし/岩手県軽米町立笹渡小学校副校長
 杉浦元一…すぎうら・げんいち/東京都杉並区立和田中学校主任教諭
 土作彰…つちさく・あきら/奈良県広陵町立広陵西小学校教諭
 仲里靖雄…なかざと・やすお/立命館小学校教諭
 西川純…にしかわ・じゅん/上越教育大学教授
 野口芳宏…のぐち・よしひろ/植草学園大学教授
 野中信行…のなか・のぶゆき/横浜市立子安小学校教諭
 堀裕嗣…ほり・ひろつぐ/札幌市立北白石中学校教諭

 ◆

 インターネットでのお申し込みは、
http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-003
へどうぞ。

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Y先生は、実は横藤先生だったのです

 先日の「挙手発言 名前カードのこと」についてのブログを書いた。

 知り合いの合田先生(中学校の先生)が、次のようなコメントをつけられている。

  私も最近野中先生と同じことを「ようやく」考えていました。
  発問なしの授業は成立しうるか?
  先日、ちょっと意識してやってみたのです。
  でも、難しい。
  つい確認したくなってしまうのです。
  中学校教師の性でしょうか?
  「定期テストの範囲」とか
  「入試対策になっているか」とか
  考えてしまうのです。
  でも、挙手発言のない授業は、考えてみる価値がありそうです。
  Y先生はどんな授業をイメージされているんでしょうねえ。

 実を言えば、Y先生とは、札幌の横藤先生なんだが、(名前を出してもらってよかったのにと言われた)私のブログにコメントをつけてもらえるように確認を取った。

 そのブログで、野口芳宏先生の「授業で鍛える」(明治図書新書)を紹介しておいたが、この本は、ぜひとも読んでおかなくてはならないものである。

 「挙手発言をさせない」とするなら、どうするのだろうか。

 野口先生は、引用した部分のあとに、次のように書かれてある。

「教育学の泰斗デューイは『なすことによって学ぶ』と言った。この言い方に倣えば『発表することによって発表技術が身につく』ということになる。まず、何はともあれ、すべての子どもを発言させなければいけない立場に立たせてみることが大切である。

 そのための方法には、たとえば『列指名』という方式がある。前から順に、ひとりずつ、その列の全員に発言させる方法である。これならば、その列の全員に発言するチャンスが与えられる。

 また、ある意見に対して、賛成か反対かをノートに書かせ、賛成派、または反対派に順次発言させていく方法もある。これを仮に、「同類指名」とでも名づけたらよいであろう」

 先日の示範授業の時は、私は、ほとんど「列指名」と付け加えに「挙手発言」を使った。

 全員、発言をするということになった。

 さて、横藤先生は、どんなことを期待されていたのだろうか。

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内田 樹さんの結婚

  内田 樹さんが結婚した。「誰、それ?」と思っている人は、本を読んでいない人であろう。

 最近では、「街場の教育論」(ミシマ社)を出されている。

 池田修先生が、大学の講座で扱われている本である。

 59歳である。

 内田先生のブログを見ながら、その中で結婚を発表されていたので、びっくりしたものである。

 同じようにびっくりされた方があったのだろう。私が見たときには、カウントが、16000に跳ね上がっていた。

 友人の平川克美さんのブログも見ていたら、友人代表として祝辞を述べられていて、その祝辞が書かれてあった。(最近「経済成長という病」講談社現代新書という素晴らしい本を出されている。)

 とても心温かくなり、最近にないできばえである。

 私のブログを読んでいる皆さんにお裾分けをしようと思う。

結婚式も、宴会も、これぞオーソドックスというスタイルのものであった。

俺は友人代表ということで、「ひとこと」を述べる段取りになっていた。

結婚式は随分出席しているが、

ほとんどは、主賓であったり、会社上司という役回りなので

友人代表というのは、この年にしてはじめての経験であった。

オーソドックスな結婚式で、友人と云うのはどのような挨拶をするのであろうか。

おそらく、こういう場合友人は「お手紙」を読むものであると思い至り前日の晩に、ちょっとした作文をつくっておいたのである。

ぼくが内田くんと出会ったのは小学校五年生の二学期でした。かれは、転校生としてぼくの通う東京の南の外れにある場末の小学校にやってきました。大田区立東調布第三小学校です。

1961年、オリンピックの三年前の出来事でした。」

それから、何を書くべきか。こういう場合はエピソードをいれることになっている(はずである)ので、小学校時代のエピソードをひとくだり入れたのである。

そしてエンディング。

「はじめての出会いから数えると五十年近い付き合いということになります。自分の子供や、女房よりも長い付き合いです。こんなことがあるのだろうかとときどき考えることがあります。運命とか、友情なんていうことばは、ぼくたちには似合いません。悩みを打ち明けたり、喜びを分かち合ったりするような友人でもありません。

おそらくはお互いに、理想化された他者というものの重要性を感じており、それを丁寧に育ててきたということではないかと思っています。ときどき、ぼくは自分が内田くんの言葉で考えていることに気付いて驚くことがあります。いまでも、「内田くんならどう考えるだろうか」と良く思います。若い頃は複雑な気持もありましたが、いまではこのような友人がいるということを誇りに思い、僥倖だと思わずにはおれなくなりました。

うちだくん。ご結婚おめでとうございます。

ぼくたちは本当に運がいいと思います。」

結婚式というものは、ちょっとした批評の対象でもある。

しかし、この度の結婚式は俺が思い描く限りの理想的な、すがすがしくもおおらかなものであった。その証拠に、会がお開きになっても、多くの参列者が「まだ帰りたくないね。

もっと話をしていたいね」という顔で会場に残っていた。

結びの辞を述べられた鷲田清一阪大総長の、「ずっと居たい感じやね」という声が俺の耳に届いてきた。

ここぞと云うときはいつも正攻法。正面突破。これが、俺たちのやり方だったように思う。

内田くん、おめでとう。

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挙手発言、名前カードのこと

  先日、Y先生と品川で会った。

 他の用事で東京に来られていて、そのついでに会いましょうということで、4人で飲み会を設けた。

 Y先生と会うときは、いつも刺激的な話を準備をしておられて、私はそれに耳を傾けることになる。

 今回もとても刺激的な話を聞いた。

 2つあった。管理職として、先生達に2つのことをお願いしたという話である。

 1つは、挙手発言をさせないで、他の方法で授業を構成していくこと。

 2つ目は、名前カード(磁石)を活用した授業の工夫。

 ★

 私も、初任者指導を担当しながら、とても気になっていたことであったので、話の内容がとてもよく胸に響いた。

 まだ先生達が行っている授業の現状は、挙手発言に乗っかっている授業が大半であるということだ。

 それも、5,6人の挙手で、授業が進んでいく。後の子たちは、ただただその子達の発言を聞いているだけの授業である。

 少なくとも私の教師生活は、全員参加の授業をどのように実現していくかが大きな課題であり、そのためにどのような手立てを打っていくかを工夫しなければいけなかった。

 こんな課題が、多くの教師達の課題にならなかったというのは、何なんだろうか。

 これは深く検討する必要がある。

 私の37年間の教師生活の間で、先生達の授業はほとんど向上していないと言い切っておきたい。

 それは、何故なんだろうか。

 Y先生は、「挙手発言をさせない」という形で、教師達に考えさせようとされた。

 唸るほどのいい手である。

 ★

 そうすると、先生達はどうするのだろうか。

 多分、呆然となるに違いない。発言は、挙手以外に考えていないからである。

 野口芳宏先生は、「授業で鍛える」(明治教育新書)の中で、次のように書いておられる。

「挙手した子どもの誰かを指名しながら授業を進行していく方式が、一般に広く普及している。この方式を疑ってかかる人も少ない。

 しかし、『挙手ー指名』という方式では子どもの学力は十分に伸ばせない。とりわけ、発表技術は伸ばせない。仮に伸ばせても、それは、挙手して指名された子どもだけである。挙手しない子は、指名されないのだから、発表の機会を与えられない。この方式を疑い、この方式から抜け出さなければ子どもの発表技術は鍛えられていかない」

 1986年(今から23年前)に、このような提言を野口先生はしておられる。

 しかし、この提言が、多くの教師達の教育実践には、まったく生かされなかったということである。

 ★

 もうひとつY先生は、名前カードを問題にされていた。

 名前カードを使い、子供達の考えたこと(ノートに書いたことなど)を黒板に書かせていくのである。

 私も、授業で存分にこの名前カードを使い、子供達に意見を黒板に書かせることをした。

 名前カードは、最低2つを準備しておいた。

 どうしてこの名前カードをもっと授業に活用しないのだろうというのが、私の疑問であった。  

 私は、ほとんど子供の発言は、子供達自ら黒板に書かせるような授業構成にしていた。

 子供達の発言を教師がまとめて板書していく方式は、ほとんどとらなかった。

 そのために、黒板と子供達の間に教卓を置くなどというのは、もう20年以上前にやめていた。

 ところが、今でも黒板の前に教卓があるクラスは数多くある。

 授業で、黒板を子供達に開放していないのである。

 Y先生は、「名前カードを作り、黒板にカードをいつも貼っておくようになるのに半年かかりました」と言われていた。

 机にカードを貼っておくクラスがある。これでは意味がない。

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 「新しい学力観」が出されて、ゆとり教育が始まった。もう20年前になろうか。

 この20年間の間に、基本的な授業技量は、ほとんど向上しなかった。

 それは何なんだろうか。

 改めて、その問いかけが私たちに突きつけられている。

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24時間目の課題と25時間目の課題

  北海道の石川晋先生からメールが来て、私が出している「3・7・30の法則」関係の資料を講座で公開したいがいいかという連絡であった。

 すぐ自由に使ってくださいという旨のメールを送った。

 私は、今までさまざまな資料を添付資料で送りますという形で公開してきた。

 この公開をしているときには、もうすでに著作権を主張するつもりはまったくなかった。

 どのような使われ方をしようと自由。極端に言えば、自分の主張として使われても何ら問題はないと、考えてきた。もちろん、責任は自分で取ってほしい。(笑)

 原典・出典を明らかにするということは大事なことであろうが、私の場合は、まったくそんなことは問題視していない。

 このブログを読まれているみなさん、もし私の資料を使われるとき、私への連絡は必要ありません。どうぞ自由に使ってください。

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 先日、このブログでもお知らせしておいたが、京都「明日の教室」で、「縦糸・横糸」論の基調提案をした。そのDVDも発売されている。

 そこには、たくさんのパネラーの方が参集していただいた。

 その中の土作先生が次のような発言をされていた。

「縦糸・横糸について、私もこの言葉を使っていますが、今日の野中先生の話を聞いて、原典・出典があるので簡単に使うなということであろうと、今日は謝罪会見(笑)をいたします。これから表現を変えなければいけないと思っています」

というような発言をされた。

 確かに、土作先生は、講演でも、雑誌原稿でも、この「縦糸・横糸」の言葉を使っておられる。

 それは私も知っていた。使い方が同じではない。それも確認していた。

 土作先生は、縦糸を「授業を中心にして知的権威を確立すること」、横糸を「学び合い」というように提起されていた。

 私は、「原典・出典があるので簡単に使うな」というような形で、基調提案をしたわけではない。

 「縦糸・横糸」を教育モデルとして提起されたのは、北海道の横藤雅人先生である。

 理論という形で主張したのは、私である。

 そこで横藤先生と私の間にも、いくらかの違いがある。

 しかし、私の場合、その理論をセクト的に主張する気持ちはまったくない。

 インターネットで「縦糸・横糸」で引いてみてほしい。さまざまな考えが主張されている。その題名ずばりの本も出ている。

 その題名の優位性を主張するなんて、もはや意味がない。

 そんなことより何より大切なのは、「縦糸・横糸」論が、学級づくり、授業づくりにとって有効性があるかどうかなのである。

 だから、論として主張するためには、まず概念規定をはっきりしたいというつもりで基調提案をしたのである。

 土作先生の「縦糸・横糸」も、主張ははっきりしている。ぜひ使い続けてほしいところである。

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 私は、このブログでも言ってきたことであるが、55歳の時に初めての本を出した。学級崩壊への処方箋という形での本であった。

 それから共著を含めて五冊の本を出した。

 現場教師をしているときには、多くの葛藤があった。

 現場教師として、本を出したり、講演に行ったりすることは、<やくざなこと>だからである。

 現場教師としての日常は、目の前にいる子供(生徒)にいかに必要、適切な教育行為をしていくかどうかが求められている。それが第一の課題である。(その他にも、学校の課題などをこなしていくことも、もちろんある)

 私は、現場教師としての<24時間目の課題>として考えていた。

 もし<24時間目の課題>がクリアできると考えられたとき、そこに<25時間目の課題>が浮かび上がってくる。

 本を出したり、講演をしたりすることなどは、<25時間目の課題>である。

 ほんとうなら、現場教師としては、<25時間目>なんてないのだ。

 しかし、それをしていく切実性、必然性が<25時間目>を作り上げていく。

 私は、どうしても学級崩壊を何とかしたいという課題を訴えたいという切実性を持っていた。

 そのために、<25時間目>を設定した。

 「24時間目の課題は大丈夫だったのか?」と言われれば、あまり自信がないのである。

 私が、「3・7・30の法則」や「縦糸・横糸」論を主張しているのは、「25時間目の課題」である。

 しかし、この課題が、多くの先生達の「24時間目」を豊かに、有効にしていくことだと思っているからである。

 そのように強く願っている。

 

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