今日一日の区切りで生きよう!

 ブログには、さまざまな相談が寄せられる。
 もちろん、ほとんどは公開はしない。

 相談をされる方は、ほとんどが子供たちとの関係や、他の先生たちとの人間関係の悩みである。

その相談に、時として「この本を読んでほしい!」と薦める本がある。

 私の生涯の書物として、常に傍らに置いている本である。

 『道は開ける』『人を動かす』(創元社 カーネギー著 文庫本)

 この2つの中で、とりあえず『道は開ける』を薦める。

 ★
 世界的な名著である。
 だから、読んだことがある人もいると思われる。

 私は何回も読んでいる。
 この本は、1948年にアメリカで出版されている。私が生まれてから1年後の本。
 もう70年以上前の本。

 内容は、まったく古くさくなっていない。
 何度読んでも新鮮である。

 それだけ人は進歩していないとも言えるかもしれない。
 ★
 本を読まない人は多い。
 だが、この本だけは読んだ方がいい。

 『道は開ける』という本は、悩みに関することが書いてある。

 その第1章「悩みに関する基本事項」の第1は、「今日、一日の区切りで生きよ」で始まる。
 要するに、カーネギーは、悩みを解決するには、まずここから始めなければならないと考えているのである。

 サー・ウィリアム・オスラー博士が、エール大学で学生たちに語ったことが紹介されている。

 ★ ★ ★
 君たち一人一人は、この豪華客船よりもはるかに素晴らしい有機体であり、ずっと長い航海をするはずです。考えていただきたいのは、この航海を安全確実なものにするために、『一日の区切りで』生きることによって自分自身を調節することを学べということです。ブリッジに立って、とにかく大きな防水壁が作動している状態を見るといい。ボタンを押してみなさい。そうすれば、諸君の生活のあらゆる部分で鉄の扉が過去ー息絶えた昨日ーを閉め出していく音が聞こえるでしょう。またもう一つのボタンを押して鉄のカーテンを動かし、未来ーまだ生まれていない明日ーを閉め出すのです。そうしてこそ、諸君は今日一日安泰です。過去と縁を切ることです。息絶えた過去など、死者の手に委ねましょう……愚か者たちを不名誉な死へと導いた昨日など閉め出すべきです……明日の重荷に昨日の重荷を加えて、それを今日背負うとしたら、どんな強い人でもつまずいてしまうでしょう。過去と同様、未来もきっぱりと閉め出しなさい。未来とは今日のことです……明日など存在しないのです……人が救われるのは今日という日なのです。エネルギーの消耗、心痛、神経衰弱は、未来のことを気遣う人に歩調を合わせて、つきまといます……そこで、前と後ろの大防水壁をぴたりと閉ざし、『今日一日の区切りで生きる』習慣を身につけるように心がけるべきでしょう。
 ★ ★ ★

 カーネギーは、このオスラー博士の言葉から、この項を次のようにまとめている。
「では、悩みについて胆に銘じておくべき第一点を述べよう。あなたが自分の生活から悩みを閉め出してしまいたいのなら、サー・ウィリアム・オスラーを見習うことだ。」と。


 過去と未来を鉄の扉で閉ざせ、今日一日の区切りで生きよう。

 
 

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童神先生からの相談事~学級をかき乱して困っています~

 童神先生から次のような相談事が入りました。
これは、あらゆるクラスで、今問題になっていることでもあるのです。
 
★ ★ ★
 野中先生、ブログに取り上げていただきありがとうございます。実は今、以前ほどじゃありませんが、かなり参ってきています。前回も少し書いたのですが、どう見ても特別支援対象の男子児童がおり(保護者が病院受診自体を拒否しているようです)、その子が他の子にちょっかいを出すなど、学級をかき乱して困っています。注意されると逆切れする、放っておけば好き勝手なことをする。また被害妄想が強く、自分の行動は棚に上げ「誰々が俺の悪口を言っている」などと私に訴えてくることもあり、言動がちょっと普通ではありません。管理職には既に報告しており、校内体制を作ろうという話にはなったのですが、そうこうしているうちに、この子一人に学級の秩序が破壊されてしまいそうです。こういう子をヘルパーも付けずに普通学級に置くこと自体、間違っていると思うのですが、親の理解が得られないままでも、何らかの手立てを講じることはできないものでしょうか。
 ★ ★ ★

 この子供については、すぐにでも対応を取らなければなりません。
 管理職に相談しているということですが、すぐに動いてもらえるようにしなくてはなりません。
 これは、すでに担任ができる域を越えています。

いつまでもこのままにしていると、学級自体が不穏な状態になっていく恐れがあります。
 また、このままにしておくと、被害にあった児童の保護者から連絡があるはずです。

 だから、校長に「この子が他の子供の学習の邪魔をして、クラス全体の学習が思うようにできません。何とか対応をお願いします。」と強く言うことです。
 
 この子供は、発達障害か愛着障害である可能性があります。
 ★
 ただ、クラスにいるわけですから、その対応はきちんと考えていかねばなりません。
 どうしていくのかです。
私はこのことについては、専門ではありません。
 私が知り得た範囲で伝えます。
 
 この領域については、現場の教師たちは、きちんと研修がなされていません。そのために、間違った対応をしています。


(1)まず厳しく叱ることをやめること
 広汎性発達障害(PDD)傾向にある子供は、常に不安感があり、そのために他への攻撃をしたりします。
 叱責や注意などに対しては、反発や攻撃を返してきます。
 童神先生のクラスの子供が逆ギレしたり、被害妄想が強いというのはまさにこの状態です。

 その子に対して厳しく注意したり、叱ったりすると逆効果になります。
 止めなくてはいけません。

(2)安心感をもたせる
 それでは、ほっておけばいいかというとそれでは事態は改善しませんね。
 その子は、そこで動き回ってしまうわけですから、それに対処しなければいけないわけです。
 その子が何とかクラスの中で落ち着いて行動できるように導いていかねばなりません。
 
 そのためのキーワードは、「安心感」。
 この安心感を持てるようにすることです。

 脳科学者の平山諭先生は、ここで「セロトニン」という脳内で情報を伝えるホルモンの仲間を紹介されています(『満足脳にしてあげればだれでもが育つ』ほうずき書籍)。
 このセロトニンは、優しくされると分泌されるもの。
 安心感をもたらすものです。

 このセロトニンを分泌させるためには、何をするか。
 平山先生は、5つのスキルがあると言われています。

 ①見つめる
 ②ほほ笑む
 ③話しかける
 ④ほめる
 ⑤触る

①見つめる
 やさしく見つめると安心感を与えることができる。

②ほほ笑む
 ほほ笑むことが上手な人は攻撃されない。口をできるだけ横に開き、歯が少し見えるぐらいがいい。笑うとは異なる。笑うと人に警戒心をもつ子供はバカにされたと思い、対抗して攻撃の姿勢を取る。

③話しかける
 相手の言葉を待つだけでなく、こちらから相手に話しかけることが大事。 名前を呼んだり、質問をしたり、言動に対して、「そうだね」「わかるよ」「大丈夫だよ」「それでいいんだよ」「そうそう」など安心感をもたらす言葉が効果的である。

④ほめる
 ほめることに関しては、平山先生は以下のように記されている。 

★ ★ ★
 否定や言い返しもできるだけ避けたい。それぞれの人の脳には歴史があるので、その歴史(事実)を尊重するところから始めたい。臨床的な教育が事実から出発するのはそのためだ。《そ》が付く言葉は有効である。「そーなの」「そうなんだ」「そうか」「そうだよね」などは、相手の心を傷つけない。事実を認める言葉だからだ。《ど》が付く言葉もいい。導入段階で使える。「どうですか」「どうしたの」「どれどれ」(はなしてごらん)「どうぞ」「どういたしまして」などだ。
 ほめることは『成功体験』の積み重ねにつながる。ほめられたことは一般に繰り返そうとするからだ。ほめ方には5種類ある。

 1 短いフレーズで元気よくほめる。
  「すてき」「ばっちり」「すごい」など。
 2 名前を付けて特定化してあげる。
  「すてきですね、菜々子さん」「ばっちりだよ、一郎君」など。
 3 成長や達成を実感できるようにほめる。
  「できるようになってきたね」「やったじゃない」など。
 4 にっこりほほ笑んで事実を話題にする。
  「(ノートに)書いてる、書いてる」「(ノートに)消してる、消してる」「いい顔、いい顔」など。かまっている感じが出て満足度は高まる。2回繰り返すとリズミカル(音楽)になるので脳は喜び効果的だ。
5 期待効果を狙ってほめる。
  「(集団から離脱している場合)中に入ってくれたらうれしいな」「(教  科書を出していない場合)出してくれたら、先生、チョーうれしい」など。
  ★ ★ ★

⑤触る
 手をつないで口を閉じる人はそうはいない。握手が基本。握手だけでなく、肩を軽くタップする。ハイタッチをするなど。


(3)まず、ここから始めよう
 「セロトニン」に注目したいのです。
 その子に安心感をもたせるためです。
 
 そこで、まず、ここから始めましょう。

 ①いけない行動を取っていたら、「それは止めなさい」と指摘して、
  こうしようと行動をうながす。強い言葉で叱らない。

 ②「うるさい!」「消えろ!」「ウゼェ~」などと応えてきたら、
  「そう!」「そうなんだ」「そうか!」などの「そ」の付く言葉で
  返す。ほほ笑むことができたら尚良い。
  まともに叱り言葉で返さない。

 ③ちょっとでもまともな行動を取っていたら、褒め言葉で返す。
  
 
 童神先生、どうでしょうか。できるところからがんばってください。
 とにかく管理職に早く対応をお願いすることが先です。

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ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力~

 担任をずっと続けているうちに、必ず2,3度はクラスが荒れる経験をする。
 私も37年間の教師生活(担任)の中で、1、2度クラスが荒れる経験をしたことがある。
 
 学級崩壊という事態までは免れたが、もう1つでも悪い事態が入り込めば、きっとそうなっていたであろうと思ったことがある(でも、この経験がなかったら、本を書くということはなかったであろう)。

 こんな時には、ただただ「凌いでいく」以外にない。
 さまざまな手をうとうとするが、うまくいかない。
 かえって事態を悪くする場合がある。

 

 私の場合は、「凌いだ」のである。
 ★
 この「凌ぐ」ということが、書物になっていることを最近知った。
 違う言葉で表現されているのだが、…。

 

 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生<ははきぎほうせい>著 朝日新聞出版)。

 

 帚木蓬生は、団塊世代の小説家。しかも精神科医でもある。
 その人が、まったく別領域の本を書いている。

 

このネガティブ・ケイパビリティは、元は英国の詩人ジョン・キーツがシェイクスピアの文学的特質として発明した言葉らしい。

 

 「シェイクスピアが桁外れに有していたものーそれがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。」

 

 なんだか分かったような、分からないような、「能力」。
 帚木さんも、そのあたりは分かっていて、このように書いている。

 

「私たちは『能力』といえば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。/ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。」

 

「私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。むしろそのほうが、わかりやすかったり処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。/だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作行為も、随分楽になりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています。」

 

 考えてみれば、多くの人たちが、何かに耐えたり、我慢したり、そういう経験をあまりしたことがないのではないだろうか。
 だから、その「ふんばる力」や「我慢する力」が分からない。
 
 でも、私たちの人生では、決定不能な、解決できそうでない、宙ぶらりんの事態に遭遇したとき、焦らずあわてず、その状態にじっと耐え抜いていく、そんなことがきっと必要になる。
 ★
 ただ帚木さんは、次のようにいって、注意を促している。

 

「<問題>を性急に措定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻をあわせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえるのがネガティブ・ケイパビリティだとしても、実践するのは容易ではありません。」
と書いて、
「なぜなら、人間の脳には「『分かろう』とする生物としての方向性が備わっているからです。」と。

 

 確かに、目の前に、わけのわからない、不可思議な、嫌なものが放置されていると、脳は落ち着かず、当面している事態に、とりあえず意味づけをし、何とか「分かろう」とする。それが自然だからである。

 

 だが、ネガティブ・ケイパビリティは、それを拒否する「ふんばり力」なのである。
 ★
 この力を身に付けることは、簡単なことではない。
 
 まず、このような力があることを知ること。
 そして、人生のどこかで必ずこのような解決できそうでない事態が来るので、そこで試してみるのである。凌ぐのである。

 

 一度凌いだ経験をもてば、二度目ははるかにふんばれるようになる。

 

 必ず何とかなる。
 自分が解決できない課題は、ぜったいに自分に降りかかってくることはないからである。

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童神先生からの久しぶりのコメントです!

 童神先生から、ひさしぶり(ほんとにひさしぶり)にコメントが載った。
 あれからどうしているのかと何度も思ったものである。
 このブログを読んでいる先生たちからも、「童神先生はどうしているの?」と何回も言われたものである。

 童神先生は、以下のように書かれている。
 
★ ★ ★
 野中先生、こんばんは。三年ほど前、初めての学級担任で苦労し、こちらに「死にたい」とまで書いてしまった者です。

 今年、久しぶりに学級担任(3年生)を受け持っております。今回は、クラスに明らかに特別支援対象の児童(親が受診自体を拒否しています)がおり、苦労している部分もあるのですが、それでも学級全体としては、秩序を失わずに一日を回せています。

 今回は、先生の記事にあるように、始業式の日に学級のルールを(一時間使って)伝え、それを繰り返し指導してきました。

 五月、上記の支援対象の児童と連休明けの影響から落ち着かない時期もありましたが、今度は「目標達成法」を取り入れたことで、改善の気配が見られます。

(なお、この児童については入学時から問題になるほど難しい子なので、現在学校としての対応を検討しています。)

 ルール作りの大切さ、今まさに実感しているところです。三年前、学級経営が上手くいかず「死にたい」とまで思った私が言うのですから、間違いありません(笑)。

 特にキャリアの浅い方が、「自分は教師に向いていない」と悩む気持ち、痛いほどわかります。しかし、そうではないということを強く言いたい。ただ「方法を知らないから」上手くいかない、それだけのことです。

 もう思い出したくない過去ではありますが(苦笑)、以前の私と同じ思いをなさっている方に、少しでも参考としていただければ幸いです。

 最後に。野中先生は、文字通り私の「命の恩人」です。いつかセミナー等で直接お会いして、お礼が言えたらと思っています。

★ ★ ★

 うれしかった。良かった。
童神先生は書いている。

「ルール作りの大切さ、今まさに実感しているところです。三年前、学級経営が上手くいかず「死にたい」とまで思った私が言うのですから、間違いありません(笑)。特にキャリアの浅い方が、「自分は教師に向いていない」と悩む気持ち、痛いほどわかります。しかし、そうではないということを強く言いたい。ただ「方法を知らないから」上手くいかない、それだけのことです。

 もう思い出したくない過去ではありますが(苦笑)、以前の私と同じ思いをなさっている方に、少しでも参考としていただければ幸いです。」

その中で、「ただ『方法を知らないから』上手くいかない、それだけのことです。」と指摘しているところは、私が初任者にいつも強調するところである。

童神先生のこれからにぜひとも期待したい。

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世界最高の学級経営

 知り合いの先生から言われた。
「野中先生、この本を読みましたか?この本の内容は、ほとんど野中先生が今まで主張されてきたことと同じですよ。ぜひ読んでみてください。」と。Photo

 その本を見ると、『世界最高の学級経営』(東洋館出版社)という本。
 アメリカのハリーウォン/ローズマリー・ウォン著。
 稲垣みどりさんが翻訳されている。

 全世界で400万部売り上げたベストセラー待望の邦訳。
 教育書世界NO.1

 いやいや、大変な本らしい。
 ★
 早速アマゾンに頼んで読んでみた。

 冒頭で、早速書かれている。

「マイアミ大学のダグラス・ブルックス教授は、様々な教師の学級開きをビデオに収めました。ダグラスはその録画を見て、成果の上がらない教師の学級開きに共通点があることに気づきました。その教師たちは、新年度の初日から授業を始めたり、何か楽しい活動をするための時間に充てたりしていたのです。その結果、1年間子どものあとを追いかけまわすことになってしまいました。」

「成果を上げる教師は、クラスを組織立て、まとめる時間に充てていました。そうすることで子どもたちに、学校で上手に生活し、学習する方法を理解させていたのです。この発見を、教授は『学級開き』という論文にまとめました。」

「1年間の終わりに子どもがどれだけ学びを達成できるかは、新年度の最初の1週間に、教師が『どれだけきちんとクラスをまとめられるか』にかかっているのです。」

「成果を上げる教師は、最初の1週間でクラスをまとめます。」

 1週間がポイントであると書かれている。

 私は、「クラスの仕組みづくりは、まず1週間で行う」と主張し、「1週間のシナリオ」を提起している。
 同じ主張である。
授業を早く行うということではなく、それを行う基盤をまず1週間で整えるのである。
 ★
 この本の中で一番重要視されて主張されていることは、次のことである。

 「学級経営は、教師が手順をうまく教えられるかどうか次第」
 それは、次のようにまとめられている。
「教室で起こる問題のほとんどは、子どもが手順を守っていないこと
  が原因です。」

 「1 教師が教室での行動原則についてあらかじめ決めていない。
  2 手順に従うことを、子どもが教わっていない。
  3 教師が手順を使って学級経営を行うことに時間をかけていない。」
  
 その通りである。
 この手順を、私は今まで「3・7・30の法則」で提起してきている。
 

 まさに主張されていることは、私の主張と同じこと。
 ちょっと驚くことである。

 それでもアメリカと日本の教育事情は違っている。

 https://ameblo.jp/gtobara/entry-10472293935.html

一番の違いは、アメリカは、「ゼロ・トレランス」によって教室が守られていることである。

 授業を妨害するなどの行為があった場合、指導が効かない時は、退学などの処置がとられる。
 もちろん、義務教育の段階においてもである。
 
 1970年代のアメリカは、今の日本のように学校が荒れまくっていた。
 そこでクリントン大統領が、全米で「ゼロ・トレランス」という法律を制定し、学校や教師たちに権限をもたせるようにしたのである。

 これで一気に学校は平定され、落ち着いたと聞いている。

 しかし、日本はそんな法律がないために、子供たちの「やりたい放題」にはどうにも対処できない事態はどこででも起こっている。

 日本では、どうしても教室での「ルールづくり」が必要になる。
 私は、そのために「目標達成法」を提起している。
 そこは、アメリカと違うところであろう。
 ★
 この本を読んで、はっきり確認できることは、次のこと。

 まずクラスは、「学級づくり」(この本では学級経営と言っている)
 を優先し、その基盤の上に授業を乗せていくこと。

私の主張が、この本によって明らかにされたことはうれしいことであった。
  
アメリカの教師が、1970年代の荒れた時代を乗り越えて、このような学級経営の本を出している。
 日本の教師たちがこれから何をしなければならないかを暗示しているのだと、そう思えてならない。


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つれづれなるままに~団塊の世代の人たちが亡くなっていく~

●同世代の団塊の人たちが亡くなっていく。
 先日は、小説家の橋本治さんが亡くなり、また、文芸評論家の加藤典洋さんが亡くなった。
 死が身近にあるのだと、しみじみと感じる。

 加藤さんの書かれたものは、若い頃から今までほとんど読んできている。
 加藤さんと一緒に歩いてきたような感じである。
 先日も『9条入門』(創元社)を買ったばかりであった。
これが最後の書になる。

 ひとまずのあとがきに次のように記されている。

 「私の信じていることがあります。それは、歴史をいったん非専門家
  の目で振り返ることは、人間が未来をまっさらに構想する作業なの
  ではないかということです。その結果、無数の混乱が整理され、多
  くの謎が解けます。」

 これが最後の言葉になっている。
 
 それにしても残念。加藤さんのこれからにはとても期待していたのである。
また、一人大事な人を失った。合掌。

●知り合いの先生から連絡があった。
 文科省大臣が中教審に諮問を出したという。
 「新しい時代の初等中等教育の在り方について」である。

 来年度から新しい学習指導要領の実施が始まるのに、今頃なんだろうと文科省のホームページをのぞく。
★ ★ ★
 新時代に対応した義務教育の在り方についてです。具体的には、以下の事項などについてご検討をお願いします。

 ○義務教育、とりわけ小学校において、基礎的読解力などの基盤的な学力  の確実な定着に向けた方策
○義務教育9年間を見通した児童生徒の発達段階に応じた学級担任制と教  科担任制の在り方や、習熟度別指導の在り方など今後の指導体制の在り  方
○教科担任制の導入や先端技術の活用など多様な指導形態・方法を踏まえ  た、年間授業時数や標準的な授業時間などの在り方を含む教育課程の在  り方
○特定分野に得意な才能を持つ者や障害のある者を含む解く栘綱配慮を要  する児童誠意と「日常授業」対する指導及び支援の在り方など、児童生  徒一人一人の能力、適性などに応じた指導の在り方
★ ★ ★

 文科省は、次期10年後の学習指導要領を意識しているのか(?)と思わせる内容である。
 それぞれの内容は、今とりわけ小学校の現場で問題視されていることが取り上げられている。

 上げてみると、次のようなもの。
 
 ①基礎的読解力などの基盤的学力の定着がなされていない問題。
 ②学級崩壊などに関わる学級担任の問題。
 ③全国的に行われている習熟度別指導が効果を上げていない問題。
 ④発達障害児などへの対応の問題。

 これはこれから検討するような問題ではない。
 いますぐ緊急に問題対応をしなければならない、待ったなしの課題なのである。
 遅れに遅れている。
 今すでに、学校現場は、これらに振り回されている。

 ①の問題。
 これは、新井紀子さんが提起された『AIvs教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)に影響を受けたのではないかと推測される。

 新井さんが行った中高校生への読解力調査(「リーディングスキルテスト」<RST>)によれば、「中高校生の多くが教科書に書かれているような文章すら読めていない」という実態を明らかにしたのである。

 この実態は、小学校からの読解力指導の問題があると判断したのではないだろうか。

 全国学力テストをやっているのに、今まで、このような問題は大きな問題として取り上げられていない。
 
 そうするならば、全国学力テストそのものがおかしいということになろう。
 本来の子供たちの実態を調査するものになっていない。
改めて、全国学力テストは、何を調査しているのかと問題視されなければならない。

いっそのこと、新井さんのRSTの調査を行ったらどうだろうか。


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つれづれなるままに~必ず何とかなる!~

●朝日新聞「折々のことば」鷲田清一(2019.4.22)

 声出すことと、堂々としてることは、何があっても絶対にできるんですよ (里崎智也)

 ロッテ球団の元捕手は、キャッチャーとして一番大事なことは何かと同じ捕手の後輩に訊かれ、こう答えた。調子が悪くてもこれはタダでできる。成績よりも、こいつに任せておけば大丈夫という信頼を得るのが先だと。新しい職場で早く結果をと焦る人たちに贈りたい言葉。日本放送のラジオ番組「高嶋ひでたけと里崎智也 サタデーバッテリートーク」(2月9日放送)から。
 ★
 4月が終わりかけて、5月になろうとしている。
 担任をしている初任の先生が、へとへとになっているであろう。

 こんなときでも、できることを里崎さんは、このように語っている。
 
 私は、「縦糸を張る」初級篇として、「KSFの原則」を提起している。

 ①K…毅然とする
 ②S…叱る
 ③F…フォローを出す

 里崎さんとほとんど同じ提起になる。

●連休中に、何度かお菓子屋さんを尋ねた。
 
 このお店の柏餅とお赤飯は、最高である。
 口コミで伝わってきた。
 娘から「ねえねえ、あのお店のヨモギが入っている柏餅は絶品だって!買いに行くといいよ」と。
 お赤飯も「あそこのお赤飯を食べたら他のお赤飯は食べられないよ」と近所の人に聞いた。
 ★
 早速買いに行ったわけである。
 小さなお菓子屋さん。年配の2人がやっておられる。
 昔からあるお店である。

 このお店があるT商店街は、全部潰れてしまった。
 商店街そのものが消滅してしまったのである。

 ところが、この店だけが残っている。 
 ★
 日本全国の商店街がシャッター街になったのは、もういつのことなのか。
 店舗法の規制撤廃で、郊外に大型店が出店し、ほとんどのお客さんをその店に奪われて、潰れてしまった。

 T商店街が潰れていく様を間近で見てきた。
 ほとんどの店が、何の工夫もしないで、ただお客さんが来るのを待っているだけの商売だった。
 お客は当然安いところへ集まる。
 潰れていくのは必然的であった。
 40年前は、寿司屋と酒屋は安定した商売と言われていたが、あっという間になくなっていった。 

 なぜ、そのお菓子屋さんだけが生き残ったのか。
 工夫をしたのである。
味で勝負してやると身構えたはずである。

 そのお店に柏餅やお赤飯を買いに行くと、次から次へとお客さんが連なってくる。
 これはすごい。
 口コミでおいしいことが伝わっている。
 ★
 「お客さんが来るのを待っているだけ」の商売がもう完全にダメになって、
さてさて、これからなのである。

 どうしても学校はどうだろうと考えてしまう。
 公教育なので、潰れることはない。
 だが、学校も「お客さん(子供)が来るのを待っているだけ」の商売ではないのか。内実はもう潰れてしまっているではないのか?
 そんなことを思ってみたのである。
 
●大津の事件は、痛ましいことであった。
 ほんとに言葉がない。

 かつて横浜でも、車の衝突で信号待ちしていた看護師さんたち3人が巻き込まれて亡くなってしまったことがある。

 私はそれ以来、信号待ちのときは、道路すれすれで待つことはしなくなった。
 ぶつかってこられても避けることができる位置関係を取って信号待ちをするようになった。
 そうすることを始めて気づいたことは、私以外の人は、だれもそんなことをしている人はいないことであった。

 信号が青に変わったら、すぐに飛び出していこうと身構える位置で信号待ちをしている。
 あれでは、ぶつかってこられたら、絶対に避けることができない。

 車は、人間が運転しているのだという事実を忘れ去っているとしか思えない。
 これだけ高齢者の車事故が多いのだ。考えなければならない。
 
●横須賀教育委員会の初任者指導へ行く。
 80名の初任の先生。
 会場びっしりである。

 10連休を経てきて、日頃の睡眠不足を解消できたのか、初任の先生は元気。
ただ、この時期、不安定になっているクラスもあるはずである。

 なぜ、クラスが不安定になるのか。
 その原因は何か。
 そういうところから講座を始める。

 最後に、クラスが不安定になってきたら、一人で悩まないで、必ず周りに相談していくことを強調する。

 そして、困ったときの合い言葉を伝える。

 「必ず何とかなる!」と。

 人には、解決できない課題は降りかからない。
 必ずジダバタすれば、解決できる課題であるから、この言葉を合い言葉にがんばってほしいと伝える。


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勝負は、アウトプットなのです!

 「算数学力向上メソッド」を差し上げますとブログで通知した。
 多くの先生方から連絡を受け、送付させてもらった。

 その中で、N先生からは、送った算数の1単元目を実践され、早速次のようなメールを受け取った。
 
 「あのメソッドに基づき授業を行った結果、かけ算のテストは……クラスの子どもたちの平均はなんと89点を超え、感銘を受けています!
引き続き時計の単元もがんばります。」

 うれしいことである。
 1単元目で、今までにない結果を上げられている。
 全体が低学力である学校らしく、このような平均結果だけでもびっくりされたということである。
 ★
 今までの、何人もの先生たちの実践結果にもとづけば、こういうことが結果が出てくることは可能なことである。
 なぜ可能になるのか。
 
 理由は2つ。

 1つ目は、繰り返し効果。
 1時間目が終わったら、宿題①を出す。その宿題①の左側の問題は、授業で練習した問題と同じ。
 次の日、2時間目の算数の最初5分間は、復習テスト①を行う。
 その問題は、宿題①の左側の問題とまったく同じ。

 子供たちは、授業で練習し、宿題で練習し、また復習テストで練習する。
 同じ問題を3回繰り返すわけである。
 そのために、確実に理解が定着する。

 この「繰り返し効果」は大きい。

 2つ目は、脳科学で実証されていること。
 ドイツの心理学者エビングハウスの記憶実験によれば、記憶した20分後には42%が忘れ、1時間後に56%忘れ、1日後には74%が忘れるという。
 エビングハウスの忘却曲線と言われている。

 それを防ぐ方法は、何度も「復習」をする以外にない。

 1回だけの学習では、忘れ去られて、長期記憶にならないわけである。
 
だから、あれほど丁寧に授業で理解させたという自信があっても、実際には、限界があることが分かってきたのである。

 ところが、「算数学力向上メソッド」では、今日の勉強の問題を、しかも同じ問題を3回も繰り返し練習する。
 必然的に定着(長期記憶として)していくわけである。

 『アウトプット大全』(樺島紫苑著 サンチュアリ出版)によって、さまざまな脳科学の研究成果をもらう。

 これによると、「算数学力向上メソッド」がいかに脳科学の成果をなぞっているかということに気づく。
 
 「インプットしたら、その知識をアウトプットする。実際に、知識を『使う』ことで脳は『重要な情報』ととらえ、初めて長期記憶として保存し、現実にいかすことができます。これが脳科学の法則です。
 脳の基本的な仕組みを知らないことで、人生の貴重な時間を失っている。計り知れない損失をこうむっているのです。」

「人間の脳は、『重要な情報』を長期記憶として残し、『重要でない情報』は忘れるようにつくられています。『重要な情報』とは、インプットしたあとに何度も『使われる情報』です。
 つまり、インプットしても、その情報を何度も使わないと、すぐに忘れてしまうのです
 脳に入力された情報は、『海馬』というところに仮保存されます。その期間は、2~4週間です。海馬の仮保存期間中に、その情報が何度も使われると、脳はその情報を『重要な情報』と判断し、『側頭葉』の長期記憶に移動します。
 ………
 だいたいの目安としては、情報の入力から2週間で3回以上アウトプットすると、長期記憶として残りやすくなるといいます。」
 ★
 この脳科学の情報によれば、ただ1回だけの授業で学習した知識は、すぐに忘れやすいことが明らかである。

 ましてや、クラスの低学力児は、なおさらのことであろう。

 「算数学力向上メソッド」は、このアウトプットをとにかく意識したのである。
 
 長期記憶として残っていかなければ、子供たちが本当の学力として身に付かないわけである。
 要するに、この長期記憶が「学力」だったというわけである。

 ★
 このことから気づくことは、授業もまた、アウトプットを意識したものに
変えていくことが必要だということ。

 多くの先生たちの授業は、45分(あるいは50分)の授業で、ほとんどをインプットで済ませている。

 脳科学によれば、インプット:アウトプットの黄金比率は、3:7だという。
 そうならば、大きくアウトプットの視点から授業改造をしていくべきことなのである。

 ある校長先生に聞いたことである。
 初任の先生が、算数の授業を途中から大きく変えたという。
 
 45分の授業で、インプットを10分程度に収めて、あとをアウトプットにしていった、ということ。要するに、どんどん練習問題を解くというアウトプットに変えていったのである。
 
それで子供たちの算数の成績がどんどんアップしていった、と。
 その学校のなかで、一番そのクラスの算数の成績が上がったと、校長先生は語っておられた。
 
 初任者にも、こんなことができるのである。
 脳科学の情報通りに、アウトプットを思い切って授業に取り入れて、授業を変えていった成果であろう。

 ただ、気をつけなくてはならないのは、インプットをいい加減に済まさないことである。
 インプットなくして、アウトプットはあり得ないわけだがら、そこは十分に注意する必要がある。

繰り返しになるが、インプットを必要なことだけに絞り、アウトプットをどんどん取り入れていくという授業に転換すること。
 これが、突きつけられている。


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小学校教員採用倍率 平均3.2倍になる!

 武道家で、思想家でもある内田樹さんが、以下のことをブログに書かれていた。 
長いが引用する。
 ★ ★ ★
小学校教員の採用試験の倍率低下について

2019-05-10 vendredi

 2018年度の全国の公立小学校の教員採用試験の倍率は平均3・2倍で過去最低となった。7年連続の減少で、就職氷河期に公務員が人気だった00年度(12・5倍)の4分の1。
 倍率3倍を切ると教員の質の維持が難しく、「危険水域」に近づいている。
 文科省によれば、倍率低下の原因は80年代に大量採用した教員が一斉退職を迎えたための採用数増、民間企業の採用の活発化、教員免許を出せる大学の減少である。
 しかし、最大の理由は、小学校教員が魅力のある職業ではなくなったせいだろう。
 2016年に文科省が実施した調査によると、小学校教員の平均週勤務時間は57時間25分。10年前より4時間9分増え、3割が「過労死ライン」を超えた。にもかかわらず、学習指導要領の改訂に伴い、これから英語やプログラミングが必修化され、教員の負荷はますます増大する。この後、仮に教員定員を満たすことができなくなれば、定員以下で現場を回さなければならない教員の負担は耐え難いレベルに達し、次々と教員たちが「バーンアウト」して脱落した後、教育現場は制御不能のカオスと化すだろう。
 
 教員の確保のために何が必要なのかは誰にでもわかる。
 それは教員の負担軽減と、給与の増額である。
 でも、政府はそれをしなかった。
 財源がなかったのだという言い訳はわかる。だが、それでも「教員の負担をどうすれば軽減できるか?」ということを問うくらいのことはできたはずである。
 過去四半世紀、文科省の役人はそう自問したことはあるのか。
 私はないと思う。
 少なくとも、私が大学教員をしていた29年の間に「文科省の通達があって、これまでしていた仕事をしなくてよくなった」ということは一度もなかった。
 私の在職中、大学が果たすべき仕事はひたすら増え続け、提出すべき書類はひたすら増え続け、開かなければならない会議はひたすら増え続けた。
 「教育改善」のために提出を義務づけらたれ膨大な書類作成と会議のために、教員たちは実際の教育活動に割くべき時間を犠牲にしなければならなかった。自己評価だとかシラバス作成だとかPDCAサイクルだとかいう工学的タスクのために、教員たちの研究時間は容赦なく削り取られた。そうして、日本の高等教育の学術的発信力は劇的に低下した。
 文科省は何か根本的な勘違いをしているのではないか。
 学校教育をうまく進めるための効果的な方法は一つしかない。それは現場の教員が機嫌よく教育活動に専念できることである。
 そして、教育方法上の創意工夫を凝らし、子どもたちの発する微細なシグナルを感知するためには、教師の側に「余裕」がなければ話にならない。
 けれども、日本の教育行政の政策立案者たちは「どうすれば教員たちが機嫌よく働けるようになるのか?」という問いをたぶん過去に一度も立てたことがない。反対に、教員たちを管理し、恫喝し、査定し、無意味な労働を強い、屈辱感を与えることに政策的努力の過半を投じて来た。
 確かに、そういうプレッシャーを与え続ければ、最終的には上位者が命じる無意味なタスクに抵抗しない「イエスマン教員」だけが生き残り、教育現場に政府や自治体が政治的に介入することはきわめて容易になるだろう。
 組織の効率的な管理ということを優先すれば、これは正しい政策である。
 そして、たしかにこの教育政策は「大成功」を収めたのである。
 文科省はそのことを認めるべきだろう。
 これは政府が自覚的に進めて来た政策の帰結なのである。それが所期の成果をあげた姿なのである。
 問題は「こんなことをずっと続けていたら、いずれ教師になりたがる若者がいなくなり、学校に行きたがる子どもがいなくなり、学校が知的活動の場ではなくなるのではないか?」というリアルな疑念が教育政策の立案者たちの脳裏に一瞬も浮かばなかったということである。
(2019-05-10 15:01)
 ★ ★ ★

 内田樹さんの指摘は、激烈である。
 
 さまざまな賛否はあるであろう。
 しかし、「こんなことをずっと続けていたら、いずれ教師になりたがる若者がいなくなり、学校に行きたがる子どもがいなくなり、学校が知的活動の場ではなくなるのではないか?」という未来は、もうすぐそこに来ていると思っていい。
 事実、若者が学校現場から逃げているではないか。
 暗澹とした気持ちになる。


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「目標達成法」を差し上げます!(3)

 前回は、1つ目の「指示ー確認」の原則 を書いた。
 今回は、2つ目の 「学級のルールづくり」について書くことにする。

 5月の半ばを過ぎていくと、初任者のクラスなどは少しずつ賑やかになり、荒れていくということが多くなる。

 1 荒れていくクラスの特徴
 賑やかになって、荒れていくクラスに特徴的なことは、きちんとしたルールがクラスに息づいていないことが多い。
 それでも、先生はしょっちゅう注意をしたり、叱ったりはしている。
 
 朝の会でしょっちゅう注意事項も伝えてはいる。
 担任の先生にとっても、きちんとルールは伝えていると思っているのである。
 しかし、言葉だけの注意では子供たちの中に残っていくことはない。
 
2 学級にルールが必要なわけ
 学級でのルールが必要なわけは、教室が安心して過ごしていける場所になるためである。
 そのためには、子供たちが自分たちで、自分たちの教室を動かしていく必要がある。

 教師が一々注意したり、叱ったりしないで、子供たち集団が自分たちでルールを守っていこうとする自治能力をつけるためである。

 クラスの子供たちは、「2:6:2の法則」で成り立っている。
 
 最初の2割が真面目派の子供。クラスを引っ張っていく子供たち。次の6割が中間派。クラスの浮沈を握っている子供たち。そして、最後の2割が、やんちゃな子供たち。このように構成されている場合が多い。

 クラスの浮沈を握っている6割は、強い方につく。
 2,3人の超やんちゃな子供が、担任よりもクラスの雰囲気を握っていると思えば、そちらになびいていく。その子たちからいじめられたり、いじわるをされたりしたくないからである。
 
 担任がリーダーシップがあって、クラスを引っ張っていく先生だと思われたら、担任についていく。
 だから、担任は、真面目派の2割に、この6割を引き寄せて「8割」の子供を味方につけると、クラスは安泰である。

 担任の仕事は、強力なリーダーシップだけでなく、きちんとルールをクラスに位置付けていくことが大切になる。そのために、ルールづくりをする必要がある。 
ルールを位置付けていくということは、一つひとつのルールを「見える化」し、守られているかどうかの「確認」の手立てをもっておくということになる。

ルールが位置付いていると、真面目派の2割の子供たちが、堂々とクラスを引っ張っていってくれることになる。
 そうなれば、子供たちが自分たちで教室のほとんどを動かしていくようになる。
 担任は、授業さえやっておけばあとは全部子供たちがやってくれることになる。どんな教師も、そんなクラスにしていきたいと願っているはずである。

 さて、そのルールをどのようにつくっていくかが問われる。

 私は、昨年よりこのブログで「目標達成法」(全学年版)、「個人目標達成法」(低学年版)を差し上げている。

 学級のルールをどうつくるのかについてのものである。

 昨年作成したものを見返したら、抜けているところがあったり、不鮮明なところがあったりしている。
 昨年差し上げた方には申し訳ないことをした。

 そこで、もう一度作成し直した。改訂版である。
 昨年申し込まれた方は、もう一度申し込んでほしい。

 いつものようにブログのコメント欄で申し込んでほしい。
 非公開である。
 メールに添付して送りたい。

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