算数について話をする~鳥取の小学校訪問~

 鳥取のH小学校へ行った。
 H校長から呼んでもらったのである。

 「算数のことについて話をしてもらいたい!」ということ。
 与えられたテーマは、次のようなもの。

 『算数の学力をどの子にもつける教科書を使った授業の在り方』

 極めて具体的なテーマである。
 これに答えていけるのは、「味噌汁・ご飯」授業しかない(笑)と思いつつ、鳥取へ向かった。
 ★
 H校長から前日(2月13日)の校長便り(NO319 )をいただいた。
 日刊である。
 そこには、次のように書いてあった。
 重要な指摘があるので、全文紹介したい。

 ★ ★ ★
 日常の授業の充実こそが、子どもを育てる

 私たち教師(担任)は、毎日5時間前後の授業をする。
 その半部分以上が国語、算数、社会、理科である。
 これらの授業を少しでも充実させることこそが、授業力の向上の本質である。
 この毎日行っている授業の質を1ミリでもあげるためのキーワードが次のことなのだ。

 教科書を使って教える

 しかも、できるだけ、子どもたちが主体的な学びになるようにする。

 子どもたちの能動的な活動の時間をとる。*一番はノート作業

 そして、その上で次のことを実現することが、目指すところである。

 どの子の学力も伸ばす

 勿論、子どもたちが知的に「面白い」と感じたり、「楽しい」「うれしい」と感じるような授業になるよう工夫する必要はある。
 これができるようになると、「授業が安定する」「子どもたちも安心して授業を受けられる」「着実に学力をつけられる」のだ。

 これまでの授業研究は、物凄い壮大な目標や構想で、普段はしないような授業を一年に一度するというものであった。
 だから、実践する者も終わればやれやれ、参観する先生も、「うわあ凄い、あんなの無理」という印象でおしまい。
 結局、だれの役にも立たない。多分役に立つのは、授業した先生がそのためにした教材研究での学びでのみある。

 そんな授業研究を10年、20年と続けて、授業力は向上しているかというと……。
 授業力をつけている先生は、日常の授業を大事にしている。しかし、その日常の授業は公開されない。
 一番大事なのは、子どもたちがより成長することである。
 学力を伸ばすことである。
 そのためには、毎日の平凡な授業の質を上げていくことだ。

 教科書は、4年に一度改定される。そのたびに、いろいろな進化がある。
 教科書をきちんと看取って授業をすれば、授業も自然に進化する。
 そのための一つの学びの場として、今回の野中先生の話を聞いてほしい。
 教科書をどう使うか。
 授業をどう構成するか。
 そのための教師の手立ては……というように。

 ★ ★ ★

 ここに言い尽くされている。
 
 最も大切なのは、「毎日の平凡な授業の質を上げていく」ということ。

 そのために、何をするのか。
 結局、それが問われるのである。

 私たちは、長い、長い回り道をしてきたのかもしれない。
 
 H校長の校長便りは、そのことを私たちに教えてくれる。
 ★
 この講座では、私が現在5人の先生と行っている算数の共同研究の成果を発表した。

 共同研究をやっている初任の先生や2年目の先生だって、クラスにいる低学力児を引き上げて、もはやクラスにはほとんど低学力児がいなくなっている状態をつくっている。
 算数嫌いがいなくなっている。

 多くの先生たちは、「もうそんなことはできない!」とあきらめていることではないだろうか。

 何か特別なことをやっているのだろうと思われるだろう。
 そんなことはない。
 
 教科書を(教科書で、ではない)きちんと教えている。
 しかも、単元13時間と決まっていれば、その時間をきちんと守っていく。

 だから、初任の先生だって、2年目の先生だってできる。
 ただ、どうしても必要な必須のポイントが2つある。
 それを守っていけばいい。

 今回のことで、自分が今までやってきたことがまとまった感じがした。
 ほんとに、今回呼んでもらってありがたいことであった。
 
 
 

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なせクルーズ船で感染が広がったのか?~岩田健太郎先生の動画の文字起こしから~

 世界で、今回の新型コロナに感染した人の約半分は、クルーズ船での感染である。
 日本政府の最悪な対応と、世界中から非難されている。

 実は、先日のブログで紹介した岩田健太郎先生が、呼ばれてクルーズ船に入り、そして一日で追い出されるという顛末がある。
 その顛末を岩田先生が書かれている。驚くばかりのこと。
 しかし、なぜクルーズ船でこれほどの感染が広がったのか、というのがよく分かる。
 それをここに上げておきたい。
 ちょっと長いが勘弁してほしい。
 この岩田先生のことは、昨日NHKでも民法でも話題にしていたことである。
 
★ ★ ★
 ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機 なぜ船に入って一日で追い出されたのか(岩田健太郎先生の動画から文字起こし)

▼2020年2月18日に公開された神戸大学教授の岩田健太郎先生(Twitter)による「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機 なぜ船に入って一日で追い出されたのか」と題した動画についての文字起こしを行いました。

▼以下書き起こし▼

岩田健太郎です。

神戸大学病院感染症内科教授をしていますけれども、今からお話しする内容は神戸大学など所属する機関とは一切関係なく私個人の見解です。
予め申し上げておきます。

今日2月18日にダイヤモンド・プリンセスに入ったんですけど、1日で追い出されてしまいました。
何故そういうことが起きたのかについて、簡単にお話ししようと思います。

1. 感染が広がっていくんじゃないか、怖い

もともと、ダイヤモンド・プリンセスはすごくCOVID-19の感染症がどんどん増えていくということで、感染対策はすごくうまくいってないんじゃないかという懸念がありました。
環境感染学会が入り、FETP(Field EpidemiologyTrainingProgram 実地疫学専門家養成コース)が入ったんですけど、あっという間に出て行ってしまって中がどうなっているかよくわからないという状態でした。

中の方からいくつかメッセージをいただいて「怖い」と、「感染が広がっていくんじゃないか」という事で私に助けを求めてきたので、いろんな筋を通じて何とか入れないかという風に打診してたんですね。

そうしたら昨日2月17日に厚労省で働いている某氏から電話がきて「入ってもいいよ」と、「やり方を考えましょう」ということでした。
最初、環境感染学会の人として入るという話だったんですけれども、環境感染学会はもう中に人を入れないという決まりを作ったので、岩田一人を例外にできないということでお断りをされて、結局DMAT(Disaster Medical Assistance Team 災害派遣医療チーム)、災害対策のDMATのメンバーとして入ってはどうかというご提案を厚労省の方からいただいたので、わかりましたということで18日朝に新神戸から新横浜に向かったわけです。

そうしたら途中で電話がかかってきて、誰とは言えないけど非常に反対している人がいると、入ってもらっては困るということでDMATのメンバーで入るという話は立ち消えになりそうなりました。

すごく困ったんですけど、何とか方法を考えるということで、しばらく新横浜で待っていたらもう1回電話がかかってきて、DMATの職員の下で感染対策の専門家ではなく、DMATの一員としてDMATの仕事をただやるだけだったら入れてあげるという非常に奇妙な電話をいただきました。

なぜそういう結論が出たのかわからないですけど、とにかく言うことを聞いてDMATの中で仕事をしてだんだん顔が割れてきたら感染のこともできるかもしれないから、それでやってもらえないかと非常に奇妙な依頼を受けたんですけど、他に入る方法はないものですから「分かりました」と言って現場に行きました。
そしてダイヤモンド・プリンセスに入ったわけです。

入ってご挨拶をして、最初は「この人の下につけ」と言われた方にずっと従っているのかな?と思ったら、DMATのチーフのドクターと話をして、そうすると「お前にDMATの仕事は何も期待していない、どうせ専門じゃないし、お前は感染の仕事だろう、感染の仕事やるべきだ」という風に助言をいただきました。これDMATのトップの方です、現場のトップの方。

そうなんですかと、私は兎に角言うことを聞くと約束していましたので、感染のことをやれと言われた以上やりましょう、ということで現場の案内をしていただきながら色んな問題点というものを確認していったわけです。

2. ダイヤモンド・プリンセスの中は心の底から怖い

 いくらCDCがないとはいえ、もうすこしマシかと思っていました。気を失いそうになるくらい愕然とし、20年以上の医者人生でこれくらい自分の感染リスクを強烈に感じたことはありません。アフリカのエボラ対策でも北京でSARSに立ち向かってたときもここまで恐くはありませんでした。DMAT気の毒です。
— 岩田健太郎 (@georgebest1969) February 18, 2020
それはもうひどいものでした。もうこの仕事20年以上やってですね、アフリカのエボラとか中国のSARSとか色んな感染症と立ち向かってきました。
もちろん身の危険を感じることは多々あったんですけど、自分が感染症にかかる恐怖っていうのはそんなに感じたことはないです。

どうしてかというと、僕はプロなので自分がエボラにかからない、SARSにかからない方法っていうのは知ってるわけです。
あるいは他の人をエボラにしないSARSにしない方法とか、その施設の中でどういうふうにすれば感染がさらに広がらないかという事も熟知しているからです。

それが分かっているから、ど真ん中に居ても怖くない。

アフリカに居ても中国に居ても怖くなかったわけですが、ダイアモンドプリンセスの中はものすごい悲惨な状態で、心の底から怖いと思いました。
これはもうCOVID-19に感染してもしょうがないんじゃないかと本気で思いました。

レッドゾーンとグリーンゾーンというんですけど、ウイルスが全くない安全なゾーンとウイルスがいるかもしれない危ないゾーンというのをきちっと分けて、レッドゾーンでは完全にPPE(個人用防護具)という防護服をつけグリーンゾーンでは何もしなくていいと、こういうふうにきちっと区別することによってウィルスから身を守るというのは我々の世界の鉄則なんです。

3.グリーンゾーンとレッドゾーンがグチャグチャ

ところが、ダイヤモンド・プリンセスの中はグリーンもレッドもグチャグチャになっていて、どこが危なくてどこが危なくないのか全く区別かつかない。

どこにウイルスが…ウイルスって目に見えないですから、完全なそういう「区分け」をすることで初めて自分の身を守るんですけど、もうどこの手すりと、どこのじゅうたん、どこにウイルスがいるのかさっぱり分からない状態でいろんな人がアドホックにPPEをつけてみたり手袋をはめてみたり、マスクをつけてみたり、つけなかったりするわけです。

で、クルーの方もN95(医療用マスク)をつけてみたりつけなかったり、あるいは熱のある方がですね、自分の部屋から出て歩いて行って医務室に行ったりするっていうのが通常で行われているということです。

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私が聞いた限りではDMATの職員それから厚労省の方、検疫官の方がPCR陽性になったという話は聞いてたんですけどそれはもう「むべなるかな」と思いました。
▼参考記事▼
和歌山、東京などで8人感染、10代は初 クルーズ船活動の看護師も―新型肺炎(時事ドットコム)

中の方に聞いたら「いやー我々もこれ自分たちも感染するなと思ってますよ」という風に言われてびっくりしたわけです。どうしてかというと我々がこういう感染症のミッションに出る時は必ず自分たち、医療従事者の身を守るっていうのが大前提で、自分たちの感染のリスクをほったらかしにして患者さんとかですね、一般の方々に立ち向かうってのは御法度、これもうルール違反なわけです。

4. 岩田先生本人も自分自身を隔離

環境感染学会やFETP(国立感染症研究所の実地疫学専門家)が入って数日で出て行ったっていう話を聞いたときにどうしてだろう?と思ったんですけど、中の方は「自分たちに感染するのが怖かったんじゃない?」という風におっしゃっていた人もいたんですが、それは気持ちはよく分かります。

なぜならば、感染症のプロだったらあんな環境に行ったら、ものすごく怖くてしょうがないからです。

で、僕も怖かったです。
これはもう感染、今これ某ちょっと「言えない部屋」にいますけど、自分自身も隔離して診療も休んで家族とも会わずにいないとヤバいんじゃないかと、個人的にはすごく思っています。

今、私がCOVID-19、ウイルスの感染を起こしても全く不思議ではない。
どんなにPPEとかですね、手袋とかあってもですね、「安全と安全じゃないところ」っていうのをちゃんと区別できてないと、そんなものは何の役に立たないんですね。

レッドゾーンでだけPPをキチッとつけて、安全に脱ぐっていうことを遵守して初めて自らの安全が守れる。
自らの安全が保障できないときに他の方の安全なんか守れない。

5. 官僚が聞く耳を持たない

今日は藤田医科大学に人を送ったり搬送したりするってことで皆さんすごく忙しくしてたんですけど、そうすると、検疫所の方と一緒に歩いてて、ヒュッと患者さんとすれ違ったりするわけです。
▼参考記事▼
藤田医科大岡崎医療センター クルーズ船陽性受け入れ 開院前で感染不安なく(毎日新聞)


「あ!今、患者さんとすれ違っちゃう!」と、笑顔で検疫所の職員が言っているわけですよね。
我々的には超非常識なこと平気で皆さんやってて、みんなそれについて何も思っていないと。聞いたら、そもそも常駐してるプロの感染対策の専門家が一人もいない。

時々いらっしゃる方いるんですけど、彼らも結局ヤバいなと思ってるんだけど何も進言できないし、進言しても聞いてもらえない。
やってるのは厚労省の官僚たちで、私も厚労省のトップの人に相談しました、話しましたけど、ものすごく嫌な顔されて聞く耳持つ気ないと。

で、「なんでお前がこんなとこにいるんだ」「何でお前がそんなこと言うんだ」みたいな感じで知らん顔するということです。非常に冷たい態度を取られました。

DMATの方にもそのようなことで「夕方のカンファレンスで何か提言申し上げてもよろしいですか」と聞いて「まあ、いいですよ」という話をしてたんですけど、突如として夕方5時ぐらいに電話がかかってきて「お前は出ていきなさい」と検疫の許可は与えない、まあ、臨時の検疫官として入ってたんですけど、その許可を取り消すということで資格を取られて検疫所の方に連れられて、当初電話をくれた厚労省にいる人に会って「なんでDMATの下でDMATの仕事をしなかったの」と、「感染管理の仕事をするなと言ったじゃないか」と言われました。

「DMATの方にそもそも、感染管理してくれって言われたんですよ」って話したんですけど、とにかく岩田に対してすごいムカついた人がいると、誰とは言えないけどムカついたと、だからもうお前はもう出ていくしかないんだ、って話をしました。

でも僕がいなかったら、いなくなったら今度、感染対策するプロが一人もいなくなっちゃいますよって話をしたんですけど、それは構わないんですか?って聞いたんですけど、それからこのままだと、もっと何百人という感染者が起きてDMATの方も…… DMATの方を責める気はさらさらなくて。
あの方々は全く感染のプロではないですから、どうも環境感染学会の方が入った時にいろいろ言われて、DMATの方は感染のプロ達にすごく嫌な思いをしてたらしいんですね。

それはまあ、申し訳ないなあと思うんですけれども、別に彼らが悪いって全然思わない。専門領域が違いますから。

しかしながら「彼らが実は恐ろしいリスクの状態にいる」わけです。「自分たちが感染する」という。
それを防ぐこともできるわけです、方法ちゃんとありますから。

ところがその方法が知らされずに自分たちをリスク下においていると。
そしてそのチャンスを奪い取ってしまうという状態です。

なみに、ぼくを招聘しようと働きかけた官僚の将来が危惧されるぞ、という警告を受けました。それは筋違いです。招聘したのが悪いのではなく、勝手に追い出したどこかの偉い人が悪い。厚労省や内閣はフェアな人事を。
— 岩田健太郎 (@georgebest1969) February 18, 2020
6. 医療従事者がもたらすさらなる感染の可能性

彼ら医療従事者ですから、帰ると「自分達の病院」で仕事するわけで、今度はそこからまた院内感染が広がってしまいかねない。

もう…これは、あの…大変なことでアフリカや中国なんかに比べても全然ひどい感染対策をしている。
シエラレオネなんかの方がよっぽどマシでした。

日本にCDC(疾病予防管理センター)がないとは言え、まさかここまでひどいとは思ってなくて、もうちょっとちゃんと専門家が入って専門家が責任を取って、リーダーシップを取って、ちゃんと感染対策についてのルールを決めて、やってるんだろうと思ったんですけど、まったくそんなことはないわけです。もうとんでもないことなわけです。

これ英語でも収録…つたない英語で収録させていただきましたけど、とにかく多くの方にこのダイヤモンド・プリンセスで起きている事っていうのをちゃんと知っていただきたいと思います。
できるならば学術界とかですね、あるいは国際的な団体ですね、日本に変わるように促していただきたいと思います。
彼らはまあ、残念ながら…(電話の着信により中断)

7. 中国から警鐘を鳴らしたドクター

編集が下手でちょっと変なつながりになったと思いますけれども、考えてみると、03年のSARSの時に僕も北京に居てすごい大変だったんですけど、特に大変だったのはやっぱり「中国が情報公開を十分してくれなかった」っていうのがすごく辛くて、何が起きてるのかよくわからないと。北京に居て本当に怖かったです。

でもその時ですら、もうちょっときちっと情報は入ってきたし、少なくとも対策の仕方は明確で、自分自身が感染するリスク、まあSARS死亡率10%で怖かったですけれども、しかしながら今回のCOVID-19、少なくともダイヤモンド・プリンセスの中のそのカオスの状態よりはるかに楽でした。

で、思い出していただきたいのはそのCOVID-19、中国で武漢で流行り出した時に、警鐘を鳴らしたドクターがソーシャルネットワークを使って「これはヤバイ」ということを勇気を持って言ったわけです。
▼参考記事▼
新型ウイルス、早期警鐘の中国人医師が死亡 自身も感染(BBC NEWS JAPAN)


昔の中国だったら、ああいうメッセージが外に出るのは絶対許さなかったはずですけど、中国は今BBCのニュースなんかを聞くとやっぱりオープンネスとTransparency(透明性)を大事にしているという風にアピールしてます。

それがどこまで正しいのかどうか僕は知りませんけど、少なくとも透明性があること、情報公開ちゃんとやることが国際的な信用を勝ち得る上で大事なんだってことは理解しているらしい。
中国は世界の大国になろうとしてますから、そこをしっかりやろうとしている。

ところが日本は、ダイヤモンド・プリンセスの中で起きていることは全然情報を出していない。

8. データもまともに取れていない

それから、院内感染が起きているかどうかは発熱のオンセット(発症日時)をちゃんと記録してそれからカーブを作っていくという統計手法「epi-curve(エピカーブ)」ってのがあるんですけどそのデータは全然取ってないということを今日教えてもらいました。

検査をした、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)の検査をした日をカウントしても感染の状態は分からないわけです。

このことも実は厚労省の方にすでに申し上げてたんですけど、何日も前に。
全然されていないと、いうことで、要は院内の感染がどんどん起きててもそれに全く気付かなければ…気付いてもいないわけで、対応すらできない、で専門家もいないと。
グチャグチャな状態になったままでいるわけです。

9. 誰もしない以上はやるしかない

このことを日本の皆さん、あるいは世界の皆さんがを知らぬままになっていて、特に外国の皆さんなんかはそうやって、かえって悪いマネジメントでずっとクルーズの中で感染のリスクに耐えなきゃいけなかったということですね。

やはりこれ、日本の失敗な訳ですけど、それを隠すともっと失敗なわけです。

確かに「マズイ対応であるということがバレる」っていうのはそれは恥ずかしいことかもしれないですけど、これを隠蔽するともっと恥ずかしいわけです。やはり情報公開は大事なんですね。

誰も情報公開しない以上は、まあここでやるしかないわけです。

ぜひこの悲惨な現実を知っていただきたいということと、ダイヤモンド・プリンセスの中の方々、それからDMATやDPATや厚労省の方々がですね、あるいは検疫所の方がもっとちゃんとプロフェッショナルなプロテクションを受けて、安全に仕事ができるように。

彼ら、本当にお気の毒でした。

ということで、全く役に立てなくて非常に申し訳ないな、という思いと、この大きな問題意識を皆さんと共有したくてこの動画を上げさせていただきました。
岩田健太郎でした。

▼書き起こし終了▼
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『策略ブラック生徒指導』(中村健一著 明治図書)が提起すること

 長いこと中村健一先生が提起されてきたブラックシリーズの意味がつかめずにいた。
 とても大事で、大切なことを提起されているとは思っていたが、それがどういう意味があるのか、ということである。

 このシリーズは、今まで「教育」に賭けてきた人たちの一部には顰蹙をかったはずである。
 教室を「戦場」と考えたり、教師には「武器」が必要などと言われる。
 それを「ブラック」という言葉で味付けされる(笑)。

 「教育を何だと思っているのだ!」「あまりにも品性がなさ過ぎる!」と。

 神戸の小学校の4人組による「いじめ事件」を受けて、今の学校現場がどのように変化しているのかをまざまざと見せつけられた。

 この事件は氷山の一角である。
 今の学校現場は、変貌する子供や、一部のモンペに対して、教職員がまとまっていくというようには成り立っていない。
 
 今までの体制を守り抜こうと必死になる守旧派(学校の中心を構成している)が、ともすれば何とか変えなければならないとする少数派の教師を潰そうとする構図がある。
 それが、神戸事件に象徴されたはずである。

 ただ、断っておきたいのは、何でも改革をすればいいと思っているわけではない。学校が今まで大切にしてきた「当たり前のこと」までなくしていいわけではない。
 私が守旧派と名付けているのは、もう当に破産し、意味がなくなっていることにいつまでも拘っていく先生たちのことである。

 その守旧派だって必死である。今までの体制を否定されたら、自分のやってきたことがすべて否定されることになる。
 だから、必死になる。
 ★
 このような学校の構図は、早晩どうにもならなくなるはずである。
 これからとめどもなく起こってくる「学級崩壊」の嵐は、学校現場の内部のどたばたを、なぎ倒していく。

 今回出された中村健一先生の『策略ブラック生徒指導』(明治図書)は、今学校現場で何が必要かを、明確に語っている。

 私なりに大事なことをシンプルにまとめると、次の2つのこと。

  子供たちや親たちを絶対に敵に回してはならない!
  そのための策略を巡らせ。

  良いクラスなんて、つくらなくていい!
  何とか1年間を生き抜いていけばそれで十分。
 

 私は心ある先生たちには、次のように伝えている。

 これから学校現場で起こってくるのは、辛い冬の時代である。
 これを生き抜かなくてはならない。
 
 生き抜くためには、まず自分の教室を整えること。
 子供たちや親たちに対して、確かな「事実」をつきつけて、包み込んで
いく実践をすること。味方にするのである。
 
 もし、余裕があれば、学年の先生たちに広げられたら良い。

 守旧派の教師たちとは闘うな。
 闘うとこちらが潰される恐れがある。
 いずれ彼らはぼろぼろになる。
 そのときに、守旧派とも一致できる課題が見つかるかもしれない。
 ★
 子供たちや親たちにつきつける確かな「事実」とは何か。
 
たとえば、私なら次のように例示する。

 まず、教室の学級経営を確かなものにして、子供たちが安心できる環境を作り上げること。これはどうしても必要。
 学級経営法である。

 次に、子供たちの「学力」を上げること。
 そのために、単元テストの「点数」を上げること。
 とくに、低学力児の点数を引き上げていくことである。

 親たちは、テストの点数に敏感。もちろん、子供たちも敏感。
 担任の評価は、7割がこの点数にあると思った方がいい。
 「先生は、うちの子のテストの点数をこんなに上げている!」という事実をつくりあげるのである。  

 学級経営からいきなり「点数」をあげるというのは、あまりにも唐突だと思われるかも知れない。

 「事実」をつくるためである。
 誤解されることを承知で言えば、今授業の最優先の課題は、親や子供に即届いていく「事実」をつくりあげられるかどうかなのである。
「点数」は、それ。

 ★
 中村先生のブラックシリーズは、もはや今までのやり方ではだめだということをはっきりと宣言した書である。

 今の学校現場を生き抜いていく策略である。
 もはや策略なくしては、現場は生き抜いていけなくなっている。
 そんなことを教えてくれたのである。
 
 

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つれづれなるままに~ものごとの本質は繰り返しにある~

●朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)1725<2020.2.11 >に次のことが載っていた。

 ★ ★ ★
 NHK連続テレビ小説「スカーレット」(2月1日放送分)から。元女中のベテラン家政婦、大久保さん。主人公・喜美子が中学を卒業し新米女中としてやって来た時に特訓した。炊事一つとっても、限られた予算で献立を考え、作りながら片づけ、家族の様子を窺いつつ全体をケアする。家事がちゃんとできれば他の何でもできると、陶芸家の道に躓く喜美子に太鼓判を押す。
 水橋文美江(脚本)
 ★ ★ ★

 私も、この放送を見ていた。
 大久保さんは、決して喜美子を励ますための言葉として「家事がちゃんとできれば他の何でもできる」と言ったのではない、と。
 これは脚本家水橋さんの言葉なのである。

 ものごとの本質は、「繰り返し」にある。
 家事は、その「繰り返し」が如実に現れてくるもの。
家事に耐えられたら、その「繰り返し」の精神で、他のどんなものでも耐えてやっていける。
 そのように理解できる。

 人生の本質も、この「繰り返し」である。
 
 私は、夕方5時から家の中を10分ごとに3回、30分走る。
 ながら族であるので、走りながらさまざまな運動を重ねながら走る。

 狭い家である。
 外を走ればいいじゃないかと言われるが、あえて家の中に拘る(笑)。

 同じところを「繰り返し、繰り返し」ぐるぐる走る。
 繰り返しの精神を、体に染みこませたいと願っている。
 繰り返すことが、平気になるという精神を養いたいと願っているためである。
 
●朝日新聞の土曜日の別紙に「be パズル」がある。
 友人が、これに投稿していると聞いて、私たちもいっちょう挑戦してみるかと女房とやり始めた。
 
 土曜日に来る。
 日、月、火と解いて、火曜日のうちに答えを送ることになっている。
 私は「数独」の係。
 「ナンプレ」という名前で、高齢者の頭の体操として有名なもの。

 夏に帰ったとき、義弟がこのナンプレに夢中になっていて、私もやろうと
 本だけは買ったのだが、そのままになっていた。

 やり始めて、これは、これは、奥が深い。
 夢中になる。

 やりながら、これを解くためには、攻略法を知らないととても対処できないことに気付く。

 ネットで調べる。
 あるのである。ある、ある。
 
 「数独の解き方 初級編①」「レーザー発射法」
 「数独の解き方 初級編②」「このマスはアナタだけよ~!」法
というように一々ネーミングがついている。

 「ネーミングの野中」としては、「これは良い」ということになった。

 しばらくこれに嵌まっていくことになる(笑)。

●野村克也さんが亡くなった。
 野村さんは、野球に「科学の目」を導入した野球人。
 このことで、野球の歴史に大きな足跡を残したのだと思われる。組織論や分析論である。
 それまでは、根性とか努力とか、情熱、やる気などの言葉が野球界を覆っていたのである。

 野村さんの言葉で一番心に残っていることがある。
 『野村ノート』(小学館)の一節である。

「よくピッチャーにこういうことを訊く。『どうして変化球を投げる必要があるのか?』『配球にヤマを張らせないように』と答える。球種を多くもつことで打者の狙いをぐらつかせる――確かにそれもある。だがいちばん大事なことを忘れている。変化球の必要性とは、スピード不足とコントロール不足を補うためである。」
 そして、野村さんは、往年の名選手で金田や稲尾や米田、皆川たちが、変化球を覚えることで長生きをし、大記録を作った話題を書いている。

 変化球を覚えるのは、選手として長生きをするためである、と。
 この言葉には、感銘を受けた。
 
 そうなんだ、教師だってそうなんだ!
 ベテランになって、若さで子供たちに対せなくなったとき、何で対応していくのか。
 この時こそ、変化球を覚えるときなのである。
 ★
 沙知代さんが亡くなってからの野村さんは、ひどく落ち込む。
 「さびしい、さびしい」と沙知代さんを追い求めるような状況であることをテレビは放映していた。
 私は、こんな姿をテレビに晒すことはないのに、と思ったものである。
 奥さんに先に行かれた旦那が嘆き悲しむ、よくあるパターンである。
 
ただただ野球だけに打ち込んできて、「生活者」として生きるすべを怠ってきた姿だと、思われても仕方がなかった。

 人は、最後は一人になるのだという、冷徹な真実を忘れてはならない。
そのために、人生の「午後の時間」でその準備をするのである。
 野村さんは反面教師としてそのことを教えてくれたのかもしれない。
         合掌

●鳥取へ行った。
 新型コロナの影響だろうか、ホテルは閑散としていた。
 ここにもこんな影響が出ている。
 京都ががらがらになっているとテレビは放映していた。
 横浜の中華街もがらがらであるらしい。
 普通は、人だかりで大変ななのだが、がらがらになっている。

 新型コロナの市中感染が始まっている。
 その規模は、かなりの数になるらしい。
 
 おそらく、この3月、4月で何とかできなければ、オリンピックが危うくなるであろう。

神戸大学の教授で、お医者さん(とくに感染症が専門)の岩田健太郎という先生が、次のようなブログを出されている。
 重要なものなので、ぜひ読んでほしい。

 https://t.co/8bVxn5kOx1

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つれづれなるままに~正答率60%以下の児童ゼロという目標~

●坂本龍一さんが、朝日新聞に次のようなことを語っている(2020.2.2 朝刊)
★ ★ ★
 日本社会ではとりわけ近年、メディアなどが「音楽の力」という言葉を万能薬のように使う傾向がある。「災害後にそういう言葉、よく聞かれますよね。テレビで目にすると、大変不愉快。音楽に限らずスポーツもそう。プレーする側、例えば、子どもたちが『勇気を与えたい』とか言うじゃない? そんな恥ずべきことを、少年たちが言っている。大人が言うからまねをしているわけで。僕は悲しい」 音楽の感動というのは「基本的に個人個人の誤解」だとも語る。「感動するかしないかは、勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも、同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい」
 ★ ★ ★

 今まで違和感を感じてきたことを、坂本さんは、言葉にしているのでとても共感をもって読んだ。

 坂本さんは、2014年から被災3県の子供たちでつくる「東北ユースオーケストラ」を結成し、音楽監督になり、演奏会を定期的に開いてきている。

 記者が、「復興を祈る公演などを通じて『音楽の力』で社会に影響を与えてきたのでは…」と質問しようとすると、坂本さんは、強い拒否反応が返ってきた、と。「音楽の力は、僕、一番嫌いな言葉なんですよ」と。

「もちろん、僕も、ニューヨークが同時多発テロで緊張状態にあった時、音楽に癒やされたことはあります。だけど、『この音楽には、絶対的に癒やしの力がある』みたいな物理的なものではない。音楽を使ってとか、音楽にメッセージを込めてとか、音楽の社会利用、政治利用が僕は本当に嫌いです」

 なぜ、そんな考えに至ったのか。
「坂本さんは、ナチスドイツがワーグナーの音楽をプロパガンダに利用し、ユダヤ人を迫害した歴史を挙げた。」と。

 音楽だけではない。
 スポーツだって、高校野球で「被災した人たちに勇気を与えたい!」などは普段に目にすることである。そして、それをマスコミが称賛する。

 決して学生たちは、そんなことなんて考えてもいないのに、かっこいいのでそんな言葉にする。言葉だけが一人歩きをする。

 言葉をだめにしている。
 それは、その言葉を吐いていく、その人自身をだめにする。

 音楽もスポーツも、政治や社会に利用されてはならない。
 それぞれで楽しむものなのである。

●3日の日に、近くのS小学校の授業研究に講師として行った。
 テーマは、「普段の授業力を上げる」。

 こういうテーマを掲げて授業研究をしている学校はめったにない。
 飾り立てた「ごちそう授業」ではなく、普段の授業に目を向けていく視座はすばらしいことだと思う。
 だが、実際に進めるとなると、そうはいかない。
 試行錯誤を繰り返さなくてはならない。
 がんばってほしいと願うばかりだ。

●学陽書房の編集者から連絡があった。

 先日、S先生から「教師1年目の教科書」を初任者研修の指定図書にしたいという連絡が営業部にあったということ。

 S先生は、毎年、若手の先生方に初任者研修をされている先生だということ。

まずこの3月に30~50冊ぐらいを学陽書房に注文する予定で、来年以降も使っていく予定だという連絡があったという。

うれしいことである。
S先生、ありがとうございます(このブログを見ておられることを期待して)。

また、この本は、愛知県の小牧市では、昨年より初任者全員に配布されている。
これもまたうれしいことである。

 今回、この本も3版になり、3版目の本が学陽書房から送られてきた。
初任者の強力な手助けになるのだと、考えている。

●1月31日に北海道の伊達小学校の学校訪問をしたことは前回のブログで伝えたとおりである。

 この学校の研究主題は、「伊達小学校に通うすべての児童に『確かな学力』を身に付けさせる」というもの。

 この「確かな学力」とは何かということになる。
 
★ ★ ★
 「見える学力」をまず大切にしている。
全国学力・学習状況調査では、平均正答率全国平均以上、伊達市学力テストでは、平均正答率全国平均以上、各教科単元テストでは、正答率60%以下の児童ゼロなどです。数値から逃げず、子供の心も大切に!
 重点目標として、「見えない学力」を働かせ、「見える学力」の定着を確実なものにするために、全員が児童のアウトプット量の増加を目指し、日常授業改善を行う。
 ★ ★ ★
 この学校のスタンスは、はっきりしている。
 
 先生たちの授業を見せてもらったが、そのレベルの高さは、驚くばかりであった。
 要するに、アウトプットを確実に授業の中に位置付けているのである。 

単元テストの目標は、正答率60%以下ゼロ。
 だが、研究主任の先生は、なかなかこの目標をクリアーすることはむずかしいという話であった。
 それでも、数値から逃げないで、ここまではっきりした目標を掲げている学校は目にしたことがないわけである。
 
 先生たちの心意気が、授業から伝わってきて、うれしかった。

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13回目の横浜野口塾の開催です!

横浜で13回目となります野口塾を開催させていただきます。

多くの方々のご参加をお待ちしております。

   第220回 授業道場 野口塾 IN横浜

1 日 時 令和2年3月29日(日)  
10:30~17:00

2 会 場 横浜水道会館

  相鉄線 天王町駅下車徒歩10分

3 参加費 4,000円  学生2,000円

4 定 員 60名

5 日 程
  10:00 受付開始

 10:30~12:00 第一講座 「物語指導のポイントはこれだ」

 10:30~10:45 地元教師による「なまえつけてよ」の模擬授業

10:45~10:50 野口先生による指導・講評

10:50~11:05 野口先生による「なまえつけてよ」の模擬授業

11:10~12:00 野口先生による物語の指導法についてのご講              演

 

 13:00~ 14:30 第二講座「説明文指導のポイントはこれだ」   

13:00~13:15 地元教師による「アップとルーズで伝える」              の模擬授業

13:15~13:20   野口先生による指導・講評

13:20~13:35 野口先生による「アップとルーズで伝える」              の模擬授業

13:40~14:30 野口先生による説明文の指導法についてのご               講演


 14:40~15:40 第三講座  野中信行先生の学級経営講座

   「学級を軌道に乗せる学級づくりの                    あり方」

15:50~16:30 第四講座  野口先生の教養講座

           「教師の覚悟」          
 16:30~ 17:00  交流会

 17:30~19:30 懇親会(希望者) 

6 申込方法

 「第220回 授業道場 野口塾 IN横浜 」のページのURLからお申し込みください。

    https://kokucheese.com/event/index/591180/

7 連絡事項

(1)昼食は各自でおとりください。会場周辺には飲食店があります。
   会場での飲食も可能です。

(2)講座修了後に会場近隣店で懇親会を予定しています。野口先生と直接   お話しができるチャンスです。

進んでご参加ください。 (4,000円程度の予定です。)


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つれづれなるままに~「遠くを見よ!」~

●池田清彦という生物学者がいる。私と同じ歳である。
 最近はバラエティー番組なんかにでている。
この生物学者が、最近『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)を出した。
 初めて知ることがいろいろ書かれている。言いたいことを池田流で言いたいほどに書かれていることもあるのだが…。
たとえば、次のことは初めて知ったこと。

 ・現在、日本の85歳以上の人口は570万人(男性176万人、女性39 3万人)、90歳以上は219万人(男性54万人、女性165万人)で ある。そのうちの約5割は認知症である。平均寿命が100歳になるとい って喜んでいる場合じゃないと思うんだけどね。

 ほんとに喜んでいる状況ではない。


●先日、この欄で勧めた中央公論の苅谷さんの論について、読んだS先生がこんなことを書かれている。みごとに問題点を読み込まれている。
 ★ ★ ★
 ……
 めあては苅谷剛彦氏の「教育改革神話を解体する」。

なぜ、教育改革は失敗するのか。なぜ、失敗し続けてきたのか。苅谷氏は、その背景にある「エセ演繹型思考」の影をつまびらかにしている。

徹底した演繹型思考でもなければ、徹底した帰納的思考でもない。
過去の教育政策、教育改革はどれ程うまくいったのか、うまくいっていたのか、検証することはなく、実態把握に基づかない新たな政策、改革の(空虚な)前提にされてしまう。
また、「現代」の眼からの分析だけでなく、「当時」の眼にはどう映っていたのか、社会情勢や経済状況の実態から見た政策の価値は度外視されてしまう。
こうして、実態把握、エビデンスの欠如を放置したまま、「改革が必要だ」という言説のみが受容されていく。

結局はこの繰り返しだ、と苅谷氏は言う。
確かに、苅谷氏の著作を振り返ると、個性、詰め込み、ゆとり、受験戦争、教育格差、主体的な学び…と言葉は変わっても、「教育改革」が様々な批判や困惑に晒されながらもまかり通ってしまう構造(=神話)は変わっていない。
氏の『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)や『教育改革の幻想』(ちくま新書)は、その時々の教育政策、教育改革の問題点の根本にある、この構造の批判的分析だが、未だに教育行政のトップにいる為政者たちは、この構造を利用し、あるいは構造に絡めとられているということだ。

 時代は、新指導要領の完全実施の時にある。
日本の教育政策、教育改革が陥っている構造に自覚的でいること。少なくとも、教職にある人間がそうあることが、同じ過ちを断ちきるためには絶対に欠かせない。

苅谷氏の著作も含め、本誌は教職にある人々にとって必読だ。
 ★ ★ ★

●私のブログを読まれて、知り合いの山中太先生が、新井さんの本を読まれたことがフェイスブックに載っていた。

 ★ ★ ★
「AIに負けない子どもを育てる」(新井紀子 東洋経済)を読破しました。新井さんは,読解力をより正確に把握するためにRST(リーディングスキルテスト)という独自のテストを開発して実施しました。その結果を元にして,書かれているので説得力があります。そして,読解力を高めるための授業の実際も紹介されていてわかりやすかったです。
また,現在の学校教育にも疑問を投げかけています。
例えば,アクティブラーニングです。
「準備が不十分だったり,教員の背景知識が不十分で生徒の学ぶ意欲に負けてしまったりすると,アクティブラーニングはすぐに破綻します。みんなで作業をして,なんとなく話合ったけど,何が結論だったのかわからないーそんな授業に陥ります。他の生徒の意見に迎合していれば授業をやり過ごせると覚える生徒も出てきます。」と書かれています。
例えば,電子黒板とワークシートです。
「一人も置き去りにしないために,書く速度が遅い生徒に合わせたプリントやワークシート類,情報化を推進するための電子黒板が,ノートをとれないまま卒業する小学生を大量に生んでいたのです。文章として読まなくても,キーワード検索でプリントを埋められてしまいます。そして,そのキーワード部分を覚えれば,テストでそれなりの点をとれてしまうではありませんか。」
最後には,「意味がわかって読める」子供を育てるために,何をどうすればいいか,幼児期から小学校高学年まで詳しく紹介されていて,これも参考になりました。
★ ★ ★

 新井さんが問いかけられているのは、とても貴重なもの。
 ぜひ、この本は読んでほしいものである。

●1月30日から北海道へ行った。
 伊達市の伊達小学校を訪問した。
 雪が少ない北海道は初めてであった。
 どこも雪不足は深刻である。
 
 伊達小の先生たちの授業を見せてもらったが、授業力のレベルが高い先生たちが多くて、びっくりした。
 なかなかこんな学校を見ることはないので、うれしかった。

 関東圏や関西圏の学校の先生たちは、疲れ切っている先生たちが多いのだが、北海道の先生たちは、元気な先生たちが多い。
 この元気さは、何かだと思ってしまう。
 ある教頭先生から「北海道は疲れたら、すぐに車で海や山に出かけて一休みすることができるんですよ!」と言われた。
 この効果は大きい。
 
 フランスの哲学者アランは、鬱病にならないためには、「遠くを見よ!」と助言している。
近くばかりに目を注ぐのではなく、ぼっ~~として遠くを見ること。
 こんなシンプルなことが、意外と効果があるのである。

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読解力不足をどうとらえるか~新井紀子さんの答えをまとめる~

 新井紀子さんが、2019年12月に発表されたPISAの読解力低下問題について答えておられる。

https://www.businessinsider.jp/post-204493?fbclid=IwAR2xoenxc2FHv-ObAflahNJvG4VK8d0wl1kEntGcz2Hg1EC51ysXOKzF-Os

 新井さんは、『AIvs教科書が読めない子どもたち』で、日本の子供たちの読解力低下を指摘されて、大きな反響を呼んだ数学者である。

 今回、PISAでも、その事実が明らかになる。
以前からこの事実は、新井さんが指摘されていたことである。
 今回のこのことで、新井さんがどう反応されるのか、とても興味深いことであった。
新井さんの反応を、私なりにまとめたものをここに記しておこう。

1 今回PISAで、日本の読解力が低下して、平均点が落ち、順位も前回(2015年)の8位から15位に下がったことについて、どう感じておられますか?

 ①今回の結果について、「戦犯は誰だ?」と言った記事の多さが気になった。
 ②読解力のために、1人1台タブレットを導入すべし、という拙速すぎる
  結論の多さに呆れた。

2 PISAの結果を受けて、有識者のコメントに「日本はICT教育が不十分だからだ」という指摘が多かった。問題を解く際に使うコンピュータに慣れてなかったからだということでした。それについてはどうですか?

 ①PISAの数問を解くための「慣れ」を身に付けることが目標ではないから、その議論は本末転倒。しかも科学的ではない。
②前回(2015年)もコンピュータ調査だったのに、読解力は8位だった。そこから順位が落ちた理由にはならない。
 ③数学・数理リテラシーと科学リテラシーも同じコンピュータでの回答なのに、それぞれ6位と5位。しかも、1人1台タブレットを導入している  フィンランドでも順位が落ちている。根拠には何もならない。
 

3 では、どうしてICT教育のせいにしたいのか?

 ①前回のPISAショック(2003年、2006年に3分野で大きく順位を下げた)の時に、フィンランドなどを視察して対策を講じ、全国学力テストを指導してV字回復させたと言われている人たちは、対策が一定の効果があったとしたい。そのためには、他に戦犯を探さなくてはならなかったのではないか。
②政権にとって景気浮揚策として「1人1台タブレット」は魅力的でしょうから。

4 新井さんの著書を読むと、むしろ読解力を上げるには、板書をするなど「書く」行為をさせること、つまり「昭和的」な教育の方が効果が上がった実例が書かれています。ICT教育を進めて、読解力が上がるとは思えないのですが、どうでしょうか?

 ①「書く」行為は、そもそも人間にとって不自然な動作であると認識してほしい。「読む」「書く」はプログラミング同様に不自然な行為ですから、その時代と環境と要請に従って、カリキュラムを構築して確実に身に付けなければならない。
 ②けれども、私たち大人は、自分が子供だった時代に、読み書きを「自然に」身に付けた思い込んでいます。ですから、自分たちの子供の世代も、放っておけば、「それくらい」はできるだろうと信じています。でも、自転車もただ乗れるようになるわけではないのと同じように、字を書くというのは相当に集中力とトレーニングが必要なのです。 
③実は、今の子どもの多くが、中学生になってもノートが取れない。ノートの取り方自体が分からない。成績の下位の生徒だけでなく、中の上の生徒でもそうなのです。
④板書を写させると、写すことに「認知負荷」がかかりすぎるので、先生の話が聞けなくなる。
⑤本来ならば、小学校3,4年ぐらいまでに、先生の話を聞きながらノートが取れるようになってほしいのですが、それが難しい状況。
⑥定規で線を書くのにもいっぱいいっぱいになってしまいますので、先生は困って、プリント中心の授業にしてしまう。それでますます字を書かなくなり、手先がコントロールできなくなるという悪循環が生まれる。

5 そもそも読解力とは、どんな能力なのですか。

 ①「読解力とは何か」については、宗旨がいろいろあり、ひとつに決められない。
②PISA調査で目指している読解力は、複数の情報、複数の長文を批評的に読んで、自分の立場を明確にすることが求められている。

③このレベルにもっていくためには、その前に基本的な読み書き能力が必要です。
④文章が読めるというのは、まず字が読め、その次に単語レベルで読める。
  教科書が読めるためには、読むために必要な語彙量の95~98%ぐらいがなくてはならない。
  たとえば、徳川家康などの初めての言葉に出会ったとき、他の言葉が分かっていれば、「徳川家康というのは、徳川幕府をつくった人で、…」と分かり、新たに徳川家康という語彙を獲得できる。
  まず、これは人の名前なのか、物の名前なのかという分類がだいたいできなければ厳しい。そのためには、幼児期の、字を書かない段階で、耳から聞く語彙が相当量ないと厳しい。
 ⑤私たち世代(50代以上)は、主に家庭の会話とテレビやラジオから語彙を獲得してきた。ラジオやテレビには、階層に依らず語彙量を揃える上では、メリットがある。
⑥ラジオやテレビ離れがここ10年で一気に進み、みんなが同じ語彙を持っているという前提は、瓦解したと言っていい。
⑦今起こっているのは、言葉で言っても伝わらない、伝えようがないという状況であろう。

6 一人一台タブレット政策。小学校からのタブレット導入については、どうでしょうか。

 ①これは、もう終わりだな、と。特に小学生は絶対タブレットは良くないと私は確信しています。
②先進的に導入した私立学校や家庭で既に弊害が出ています。小学校からタブレットドリルで学ぶと、紙や長文にはもの戻れないのです。意外なことですけど、検索すら自分ではできない生徒が出てくる。学びが常に“消費的”になるでしょう。けれども、大学や社会で求められる学びは  “生産的”な学びなので、タブレットドリルで育った子は立ち直れないほど挫折してしまう。
③タブレット導入で今まで7時間かかっていた授業が2時間で終わり、残りは深く考える授業に当てるというような授業は、麹町中学校のようなある意味「特殊な環境」の学校だけでできることだと思います。それが本当に地方でもできるのかも検証せずに、タブレットという言葉が一人歩きしています。
  ④しかもローマ字入力ができるのは、小学校5,6年生なので、それまでキーボードは使えません。その間、一体何をやるのでしょう。

7 新井さんは、AIの時代だからこそ、人間は「読解力」が必要だとおっしゃっています。なぜ、読解力なのかを改めて教えてください。

①読解力は目標ではありません。読解力は、よりよく学んでいくためのスキルです。学び続けることが求められる21世紀社会に必須なスキルだという位置付けです。
  ②日本の公教育以外で格差をなくす平和的な方法はないと思っています。
  ちなみに、アクティブ・ラーニングは格差を広げてしまいます。それは戦後最初のアメリカ主導の学習指導要領である、ディーイ式の「生活単元学習」の失敗で明らかになっています。
③小学生のうちは比較的ワイワイやっていますが、中学生になると、出来る子が言ったことに他の子は追随します。だから、授業を全てディスカッションでやることは、現場を見ていない人の寝言に過ぎない。

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つれづれなるままに~どうして同じことを繰り返していくのか~

●方々の教育委員会で、悲鳴が上がっている。 
 宮城の小中学校での実態が河北新報で報じられていた。
 これは、決して宮城だけではなく、日本各地で起こっていることである。

「先生足りないSOS 欠員でも代替講師見つからず 宮城の小中学校、現場でカバー限界」

●学陽書房で出版した『教師1年目の教科書』が3版になる。
 うれしいことである。
 買っていただいて、ありがとうございます。
 初任の先生たちには、ぜひとも勧めてほしい1冊である。

●先日、NHKのプロフェショナルで、数学の先生が登場された。
 私もぜひとも見たいと思っていたが、急な学校訪問で見られなかった。

 見たという先生から話を聞いた。
 神奈川にある栄光学園の数学の教師。
 フェイスブックでも評判は上々である。

この栄光学園は、私が受け持った子供も進学したこともある、超エリート校である。
 東大へ上がる子供たちが数多いことで有名。

 見られた先生によれば、1問の問題を生徒たちは興味深く取り組んでいたという。
 ここの生徒たちは、超エリートたちであるので、それに合わせて思考力が試されるむずかしい問題が出されているのであろう。

話を聞きながら、この先生も確かにこれから求められるプロフェッショナルなのだろうと思えた。
 ただ、エリート教育なのである。

. ぜひとも、もう1つのプロフェッショナルも取り上げてほしいと思ったものである。
クラスに必ずいる数人の低学力児。
この子たちを、上位に引き上げていく力量を示していく。
普通の学校現場では、それが一番求められているのである。


●できるではないか。
 ぜひとも、日本全国でこういう動きをしてほしいと願っている。

2019/12/14(土) 20:11配信 ヤフーニュースより

 中学・高校の部活を地域クラブに移行検討へ 福井県が方針

 部活は、こうして地域クラブへ移行する。
 これをどうして福井県だけでなく、国をあげて推進しないのだろうか。

 先生たちは、授業と生徒指導に専念する。
 そうすれば、長時間労働は、一挙に少なくなるはずである。

●親しい知り合いの先生から、次のような手紙をもらった。
 「昨今の学校現場は、流行と変化のすさまじさに振り回されていると思いますし、この渦にのみこまれないようにするので精一杯のように感じます。」と。

 来年度から始まる新しい学習指導要領の実施で現場は、振り回されているのであろう。

 30年前に実施された新しい学習指導要領のときのことを思い出した。
 総合が入ってきたときである。
 この時も、今以上に流行と変化に振り回された。

 「新しい学力観」という名前で命名されていた。
 「旧来の学力観が知識や技能を中心にしていた」として、それに代えて学習過程や変化への対応力の育成などを重視しようと考える学力観である。  

. 私は、今回のアクティブ・ラーニングの1回戦と言っている。

 だが、みごとな惨敗。
 「ゆとり教育」として破綻していった。

 現場に残した破綻の爪痕は、大きかった。
 学力は低下する。低学力児は増える。……などなど。

 今も、その爪痕が残っている。
 
 また、同じような破綻をするのではないかと危惧している。

 なぜ、破綻するのか。
 その構造が明らかにされている。

 中央公論2月号に「教育改革神話を解体する」としてオックスフォード大学教授の苅谷剛彦さんが書かれている。
(苅谷さんには早く日本に戻ってきて、がんばってほしいと願っている一人なのである)
 苅谷さんは、冒頭で書いている。

「教育改革の瑕疵を生み出す構造的な問題は、現在でもほとんど変わっていない」
「どうして構造的にはほぼ同じことが繰り返されるのか。なぜ教育改革をめぐる神話は、解体されないのか。」
 その問題を「エセ演繹型」思考として問題視されている。
 ★ ★ ★
 演繹的思考は、日本における教育政策の立案・実施過程では、中途半端にわかったつもりで政策が作られる“エセ演繹型”へと容易に後退していった。徹底した演繹や、事実からの帰納的な思考で政策が作られるよりも、抽象的で流行の言葉を中途半端にわかったつもりになって政策を作り出すことが少なくなかっただからだ。
 
 日本で一層目立つのは、とくに1980年代以降の教育政策において、目標として掲げられる「資質・能力」(主体性、創造性、個性、問題解決能力、英語四技能など)が、日本では「欠如」してきたものと見なされたことによる。

 受験教育の強い影響を受けた暗記型の学習(あるいは画一的な教育)が主流だったから、その犠牲として、「主体的・対話的で深い学び」ができず、それゆえ「社会における様々な場面で活用できる知識」や能力を身につけることができなかった、とする論法である。
 ★ ★ ★

 これらを読みながら、30年前の破綻が、何にもとづいていたものか、そのからくりが鮮明になる。
ぜひぜひ読まれた方がいい。

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学級崩壊の現在(4)~先生たちが遅れている~

 学級崩壊の最初は、「クラスにいる超やんちゃな子供に追われる」ことから始まっている、と書いた。

 そして、その子供たちを「叱りつけるだけ」を繰り返して、反発され、崩壊を招いている、と書いた。

 もはや、このレベルでは対応できなくなっている。
 ★
 1冊目の学級崩壊について書いた本を出した頃は、補助につく先生たちの余裕があったのである。

 私が所属していた学校では、崩壊したクラスに、専科をしていた先生をT・Tに付けて凌いだことがあった。
 
 そういうことができた。
 ところが、今では、その補助の先生がいなくなっている。
 どうしても担任一人で何とかしなくてはならない状況が広がっている。
 これで、崩壊を招いている事態がある。
 ★
 今、年若き友人と2人で「学級崩壊を追究しよう」と研究を始めている。
 学級崩壊の実態調査も、その一環である。

 その友人が、最近次のようなことがあったと報告してくれた。

 5年生のあるクラスに自習監督にいった時のこと。
 次のようなことを行ったという報告である。

 ①「テストの机の形にします。」
 ②「机の上が筆記用具だけになった列から配ります。」
  →5,6人の反発児が、指示に指示に反応しないので配らない。 
  →しかし、周りの子の声かけで、すぐ直す(1人以外)。
  →1人だけやめず、黙って折り紙を折る。

 *さて、こんなときに、どのような対処をされるだろうか?
 ほとんどが、その1人を叱りつける対応を取るのではないだろうか。

 ③「テストを始めてください。終わったら、テストを机にいったんしまって、読書をしてください。」

 *指示の鉄則は、「みんなを先、個々は後」である。
  だから、ここで、みんなに指示を出しているのは、鉄則通りなのである。

 ④折り紙児に声をかける。「テストやりますよ。」
  →いやだ。
  →でも、他の子のために、机だけはテストの形にします。
  →いやだ、めんどくさい。
  →そうですか。…(周りの子に)○○さんだけテストの形にしてないけど、カンニングではないから、許してあげてな。
→折り紙児のもとを離れる。
 ⑤すると、机を折り紙児自らテストの形にしたので、再度、テストを渡しにいく。
→無事、テスト実施できた。

 *叱りつけることをまったくやっていない。これは見事である。
  そして、テストは渡していないところも、見事。
  折り紙児に主導権を与えていない。
折り紙児が折れて、テストの形にしていくわけである。
  厳然と縦糸を張っている。しかし、それ以上に踏み込んでいない。

 友人は、次のように書いている。
「かつて私は、②から③にあっさり移行できませんでした。
 全体のテスト実施を遅らせて、折り紙児一人をしつこく指導したでしょう。 そして、折り紙児はここぞとばかり、反抗したでしょう。
 (愛着障害の傾向のある女の子です。その場で執着しているモノと切り離 すのは、とても難しいし、私への反発自体が注目行動と捉えることもでき そうです。)」

 そうなのである。
 崩壊をしていく先生たちは、②から③にあっさり移行できないのである。
 ここを乗り越えることが、大きなハードルになる。

 もう1つ、ここで「いやだ、めんどくさい」という答えに、「そうですか」と応えている。
 これも見事なことである。
だが、なかなかできない。
 
「めんどくさい」「うるさい」「きえろ」「死ね」などの言葉が、発せられる。
 それに対して、「そんなことを先生に言うことではないだろう!」と、その子供の土俵に乗っていく。

 これをやってはいけない。絶対に、その子の土俵に乗らない。

 こういうときには、「そ」の付く言葉で切り抜ける。
 「そうですか」「そうなんだ」「そう」「そう思ったんだ」……

 「そ」のつく言葉は、子供たちに「安心感」を与えるものらしい。
 ★
 この年若い友人は、このような対応をどこから学んでいったのか。
 
「超やんちゃへの対応として、ABA(応用行動分析)の視点はとても大事だなと、最近感じるようになりました。
 何より、ABAを活用した家庭育児書がかなり多く、出版され、売れているようです。言葉かけ、関係づくりについて、学校の先生は「下手だなぁ」「知らないなぁ」勉強熱心な保護者から思われているのかもしれません。教育専門職としての専門性を、私たちは今後どうやって確立していくべきか、考えさせられます。」 

 そして、友人は、次の本から学んだと教えてくれた。

 『魔法の言葉かけ』(講談社)
 『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる子育て法108』(ぽぷら社)

 先生たちの方が、現実的に必要な対応法が遅れている。
『魔法の言葉かけ』を読んでみて、しみじみそう感じた。

 この本を読んでみて、ABAという療育法は、発達障害の子供への対応法というより、むしろ教師の授業法の参考にした方が良いと、考える。                               (完)

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