小牧の初任者指導へ行く

  愛知県小牧市の初任者指導に行く。
 もうここの初任者指導は、現役の頃から続けている。17年目になるのだろうか。
 いつものように名鉄岩倉駅に早めに着いて、五条川の桜を見に行く。
 満開である。
 今年は満開を過ぎてしまうのかもしれないと心配したが、いやいや満開である。良かった。
 ★
 小牧勤労センターへ着くと、玉置先生と中川先生が見えている。びっくり。

 玉置先生のブログの仕事日記には、次のように書かれている。

 ★ ★ ★
12時45分ごろに家を出て、小牧勤労センターへ。小牧市教育委員会主催の4月からの初任者研修会で講演される野中信行先生にお会いするためだ。

 講演までの30分間、互いの近況報告、学級経営の大切さ、変化がない学校現場などを話題にあれこれ話す。初任者研修会を3月末に行ったのは、小牧が全国に先駆けたという記憶があるが、今回で17年目だと野中先生は言われた。「僕の講演を聞いた小牧の初任者は、すでに40歳ほどになっておられるのです」とも。75歳の今なお、この年度末に7、8件の講演依頼があるとのこと。「同じような年齢で私のように講演をやっておられる人はいませんよ。僕の上になると野口芳宏先生なんですよ」と、エネルギッシュに話される野中先生。
★ ★ ★

 つかの間の時間だったが、大切な話がぽんぽんと飛び出す。
 「学校現場が変わらない」という話は、その原因についてじっくり話したかったが、時間切れ。残念。

 そのあと、すぐに講座になる。
 2時間ばかりの講座の終わりに、初任者に話した。

 ★ ★ ★
 今朝早起きしてNHKのテレビを見ていたら、WBCで優勝した栗山監督の言葉が紹介されていました。
 決断のときの言葉は何かということです。
 「できるかできないかは、アウト。
  やるか、やらないか、なのだ」と。
 
 今初任の先生たちは、「できるだろうか?」と不安に思っているのかもしれません。
 はっきり言いますと、実際は、「そんなにうまくいきません!」
 だって、10年も20年もやっている先生たちがうまくいっていないのに、すぐの初任の先生がうまくいくはずはありません。でも、うまく行ったら「しめた!」じゃないですか!
だから、不安に思うことはないのです。

 大谷翔平君は、言っています。
 「何かやれば、良いこと悪いことが出てくる。これはしあわなこと。悪いことが出てきたら、それをどう乗り越えられるかの工夫ができるのですから、しあわせなことなのです」と。
 28歳の若者がこんなことを言っています。
 
 今日、私が提案したことは「やるか、やらないか」の話でした。
 ぜひとも1つでも2つでも挑戦していただきたい。 
★ ★ ★

 初任の先生たちは、これから準備をして初めを迎えるのである。
 何とか1年目を乗り切ってくれることを願っている。

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大谷翔平という存在~WBCが終わって~

 WBCの大会を夢中で見た。
 終わってみれば、やはり大谷翔平の存在が際立つ大会でもあった。
 MVPももらっている。
 アメリカでは、大谷を異次元の人間だと報道するところもあったのである。

 私は、ずっと以前から大谷翔平の発言や行動に注目し、彼についてこのブログでも書いてきている。
 それを改めて載せておきたい。
 ★ ★ ★
 ●大谷翔平がMVPに輝いた(註2021年の大リーグ)。
 満票だったということで、誰でもが認めた賞である。

 素人判断ながら、大谷は、野球の何かを大きく変えてしまったのではないかと思われる。
 この27歳の若者が、アメリカに渡って、これほどまでの偉業を成し遂げている。

 私は、その原点は、高校時代にあるのではないかとずっと考えてきた。

 ★
 朝日新聞に、花巻東高校硬式野球部監督佐々木洋さんのインタビューが一面に掲載されている(2021/11/18)。
 
 この先生が、菊池雄星選手や大谷翔平選手を育てておられる。
 興味深く読んだ。

 ○「メジャーリーガーとして活躍する選手は高校生の頃から他の選手とはまったく違うのですか」という記者の問いかけに、佐々木先生は、次のように答えておられる。

 ◆「大谷を最初に見たときはびっくりしました。すごい速い球が投げられるわけじゃないんですけど、リーチが長くてとてもしなやかだった。ただ、すぐにメジャーリーガーになる姿を思い描けたわけではありません」

 ○「選手の才能をみるときのポイントはどこですか」

 ◆「身体能力は重要です。骨格は遺伝するので、親も観察します。更に重視するのは、親が子どもにどんな言葉をかけているか、他の親とどんなふうに接しているか。親の育て方や考え方で子どものマインドは変わり、伸びしろに差が出ると感じています」

 家族についての発言は注目すること。

 また、佐々木監督は次のようにも答えられている。

 ◆「私が重視しているのは、考え方のインストールです。部員たちには目的と目標の違いを伝え、目標達成のための数値を明確にし、こと細かく設定させます。大谷や菊池はこのときに、すでに目標としてメジャー入りをあげていました。何をするにせよ生きていくには、この考え方が欠かせない」

 やはり、「目標達成シート」を教えたのは、佐々木監督だったということが分かる。
 私は何度も言っているが、この目標達成シートは、マンダラートと言って、今泉浩晃さんが考え出したもので、それをマネしたものである。
(このマンダラートに興味ある人は、『考具』加藤昌治著 CCCメディアハウスを参考にしてほしい)。
 
 このシートは、「考え方」を育てるものである。
 だから、大谷は、高校時代からメジャー入りを目指し、目標達成へむけて、この「考え方」を鍛えていったことが分かる。

 佐々木監督は、さらに続けて語っている。

◆「大谷のような身体や運動能力がある人間と、そうではない人間には必要な練習が違います。指導者は各選手に合わせた練習やアドバイスをしなければなりません。ときには野球に向いていない子どもに、他のスポーツや進路を勧めることもあります。これはあきらめではない。見極めなんです。子どもたちは高校を卒業した後、この競争社会で生き抜いていかないといけないのですから」
 
◆「私は渋沢栄一の『論語と算盤』が好きなんですが、野球選手にとって運動能力は算盤です。でも一生は使えない。だからこそ考え方や生き方といった論語の部分が大事です。社会は不平等だし、競争を強いられる。でも、勝負するフィールドは自分の発想で選べるし、変えられるのです」

○また、「大谷選手の活躍以外にもうれしいことがあったそうですね」という問いかけに、

 ◆「今春、野球部の卒業生が2浪して東京大学に合格しました。私は野球ではなく学力で生きていくべきだと伝えました。彼は東大という目標を掲げ、実現した。私は盆栽が趣味なのですが、指導者の仕事と似ています。盆栽は若木の時に枝に針金をつけて方向付けます。すると、かたちが整って価値を増して輝く。必要であれば針金を掛けたり、時には外したりする。器を変えれば、根が大きく張って、幹も太くなる。環境を整えて、子どもたちの意識を変えて意欲を促していくということです」
「子どもの才能を開花させるにはこうした強制が必要なタイミングがあります。その点で、最近の教育は自主性の重視に偏り過ぎているように思います」

 ◆
 「大谷翔平」という存在を生み出したのは、素質と家庭環境が土台にある。
 しかし、それだけでは「大谷翔平」は生み出されなかった。

 やはり、高校で佐々木監督と出会い、目標を実現する「考え方」を教わっているのがキッカケになっている。
 この出会いがなかったら、恐らく私たちは「大谷翔平」を見ることはできなかったであろう。
 
 佐々木監督は「指導者で才能が開花するというのはうそだと思います。大谷や菊池を私が育てたとは恐ろしくて言えません」と謙遜されている。

 しかし、きっかけだけは確かに与えられている。
佐々木監督から教わったマンダラートできちんと実現できる力を、大谷翔平はもっていたということになる。

 冬は雪深く、実践練習がなかなかできない東北の地から大リーガーになり、二刀流という偉業を成し遂げた大谷翔平。
 マスコミはさまざまな報道をしている。

 今回の偉業は「すごい!」「コロナ禍でこんなうれしいできごとはない!」……ということで終わらせるにはもったいことだ、と思ってきた。

 私は、彼が語る「ことば」に注目した。
 注目した発言は、2つ。

 1つ目は、起こってくる事態への対処の言葉である。

「良かったこと、悪かったこと、出てくることはとても幸せなことだと考えています」と。

 「良かったこと」だけを考えていない。
 「悪かったこと」を経験できる幸せを語っている。

 ここが普通の人とは、違う。
 普通の人は、「悪かったこと」が起これば不幸なことだと認識してしまう。そして、落ち込む。

 しかし、大谷は、「悪いこと」は1つ上のレベルで経験している証(あかし)である、と。
 チャレンジしている場所では、必ず「悪いこと」が起こるのであり、そのことで挑戦していく課題が見つかるのだと語っている。

 これはすごい「ことば」である。

 2つ目は、自分がやったことへの評価についての言葉になる。

 「自分の評価は自分でしないと決めている」、と。
  評価は、他人がするもの。自分ではしない、と。

 これもすごい。
 普通の人は、自分がすることへの評価を始終気にしている。
 自分がやる一挙手一投足を気にする。
 そして、「良かったら」舞い上がり、「悪かったら」落ち込む。

 大谷は、出てきた結果で、小さな変化を見逃さない。
 自分の評価をしないかわりに、自分の中の小さな変化に注目して、その課題をしっかり見つけようとしている。
 
(この2つについては、斎藤孝さんに教えてもらったことである)
 ★
 27歳の若者が、こういう境地に到達している。
 私たちは、この若者から多くのことを学ぶ。

 大谷翔平のこれからも、茨の道が続いていくであろう。
 しかし、その道がどんなに困難であろうとも、自分の道を歩んでいくだろうことだけは確実である。

 ★ ★ ★

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新しく管理職になる先生方へ

 親しい知り合いの先生たちが、管理職へ登用されている。

 私は、管理職へなっていないので、えらそうなことは言えない。
 私でも、親友から「野中を一度校長にさせたかったなあ!」と言われたことがあった。
 しかし、私が管理職へなっていたら、結局マネジメント能力でうまくいかなかったのではないかと、今ならはっきり言うことができる。

 昔なら管理職は名誉職であった。
 誰でもが順番にその職につくことができた。
 校長は、ただ居るだけで、あとは教頭や教務が学校を動かしてくれた。
 
 今はそうなっていない。
 管理職は大変な仕事になっている。
 ビジョンと方法論をもっていない(マネジメント能力)校長は、どんなに熱意があったとしても、管理職の仕事は務まらない。ただ居るだけの存在となる。

 教師の仕事と、管理職の仕事は、別の仕事なのである。
 そのことが分かっていなくてはならない。
 ★
 いま管理職にどうしても必要なビジョンは、「先生たちを元気にすること」なのである。
  
 子供たちをどうするかとか、学校の重点研究をどうするかとか、……は二次的なこと。
 もうそんなことが第1の課題になる時代が過ぎようとしていると、私は認識している。

 ただ、現在の現場の忙しさは半端ではない。
 ブラック労働と言われるごとく、目の前のハエを追うごとくに先生たちは振り回されている。
 だから、ビジョンを具体的に実現することは大変なことなのである。
 ★
 私から管理職へなろうとする先生たちへのエールは、2つのこと。

 1つは、法律にくわしくなることである。
 たとえば、『部活動の断り方』(西川純著 東洋館出版社)という本がある。
 これは、管理職とは真逆の本なのだが、ここで紹介されている法律ぐらいは、きちんと読み込んでおかねばならないものである。
 手元には、『教育小六法』(学陽書房)は常においておかねばならない。

 2つ目は、やはり『マネジメント能力』である。
 学校を動かしていくビジョンと方法を身に付けなくてはならない。
 このためには、ぜひとも『決定版 「任せ方」の教科書』(出口治明著 角川新書)を読んでほしい。

 ただ、出口さんは、「マネジメント能力の限界を知ることがいい上司への第一歩です」と書かれている。
 
 もう1冊は、『元気な学校づくりの秘訣』(横藤雅人著 さくら社)
 校長として学校を動かしていくための本として、これ以上の本は今までないはずである。 
 横藤先生は、校長として「荒れた学校」を3年間で落ち着いた学校へと変えていく実践も、『学力向上プロジェクト』(明治図書)に紹介されている。
 この本は、かつて斎藤喜博校長が、『学校づくりの記』として出された以来の本だと、私は評価している。 

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事務連絡です!

 連絡をいたします。
 オンラインの初任講座の申し込みを出していたのですが、不具合になっていること
をコメントで知らせてもらいました。
 まことに申し訳ないです。
 急ぎ修正しました。
 一つ前のブログの申し込みから申し込みをお願いします。

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第2回目の「オンライン教師1年目の教室」の参加を呼びかけています!

 20年前に、私は1冊目の本『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)を出した。
 今まで、授業、授業ということで進めてきた学級経営に、「学級づくり」を新たに提案した本であった。
 これまでは、学級づくりについて提案した本はなかったはずである。
 すべてが「授業づくり」で覆われていた。

 これまででも学級崩壊はあちこちで聞かれる事態であったが、私の周りで起こってきた学級崩壊は、新しい形の学級崩壊であった。
 今まで学校を背負ってきた、力のあるベテラン教師たちの学級が、学級崩壊になっていく事態がばたばたと新たに起こってきたのである。

 私は、もはや「授業づくり」だけでは、この事態は対応できないと判断できた。
 「学級づくり」という学級経営の方法を取り入れなければならないという形で、「3・7・30の法則」を提案したのであった。
 ★
 

 20年経って、「学級づくり」という方法は、すっかりメジャーなことになっている。
 
 ところが、初任者指導の現実は、相変わらず「授業さえうまくなればクラスは軌道に乗る」という指導が中心になっている。

 うまく行っていない。それは現状がはっきり示している。
 「初任者のクラスの8割が荒れていく」と言われているが、やはり現実はそのようになっている。

 もう授業だけの指導では限界がある。
 それを認識しなければならないはずである。
 ★
 20年経って、まず最初に「学級をつくる」ことはますます必要になっている。
 ただ、現状は、学級づくりだけでは対応できなくなっている。

 私は、「関係づくり」や「集団づくり」が必要になっていると強く感じる。
また、毎日の「授業づくり」をどうしていくかというのも大きな課題である。

 第1回の「オンライン教師1年目の教室」では、「関係づくり」について提案した。
 第2回目は、いよいよ「学級づくり」の提案である(「集団づくり」を含めて)。

 勝負は、1週間なのである。
 この1週間をどのように乗り切るかが問われる。
 そのために、「1週間のシナリオ」(リニューアルしました)を提案したい。
 私ならば、このように1週間を送っていくという参考案である。

 次には、「定着の1ヶ月」がやってくる。
 1週間でつくりあげた仕組みを、1ヶ月でクラスに定着させていくのである。

 これで学級づくりは、ほぼ8割できあがる。
 ★
 

 3月18日(土)に2回目のオンライン初任講座を開く。
 参加は、初任者だけでなく、現役の先生や初任者指導の先生にも門戸を開いている。
 ぜひ後参加下さい。

 

 申し込みは、次のところからお願いします。

 

     https://peatix.com/event/3507109
 
 

 

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つれづれなるままに~『天路の旅人』を読む~

●母の1周忌で佐賀へ帰る。
 羽田までの行きは、二俣川から高速バスに乗る。
 ものすごい渋滞。
 途中で、もしかしたら飛行機に乗れないかもしれないと覚悟する。
 だが、途中から運良く渋滞は解消し、スムーズに動き出す。
 いつもの2倍ぐらいの時間がかかったがやっと羽田へ着く。
 
 23日に、佐賀で1周忌を終えて、福岡空港へ向かう。
 空港へ着くと、長い行列が続いている。
 「この行列は何ですか?」と聞くと、保安検査場を通過する行列だと言う。
 
 23日の天皇誕生日で休み。
 それでこのような行列になっている。
 列に並んで後ろの人に「大変ですね!」と話しかけると、「正月もこうだったんですよ!」と。
 検査場を通過するのに2時間ぐらいかかる。
 
 今回は、余裕をもって行動しなければならないと痛切に考えさせられた旅行になった。
 
●母の1周忌を無事に終えることができた。
 父の33回忌も同時に行う。
 兄弟、身内の親戚一同がお寺に集まってくれて、ありがたい一日になった。

 100歳まで生きた母は、生涯病気1つもせずに働きづめの生活で過ごしてきた。
 その生命力が、私の中にも生きているのだろう、と。

23日の朝、ホテルで朝食をとってから佐賀の中心街を歩いた。
 県庁や、佐賀城の周辺は、いつもながらすばらしい景観になっている。
 ゆったり、静かな街なみである。

 この周辺を遊び場にして、私は子供の頃過ごしたのである。

●夏目漱石「三四郎」の写本が終わった。
 筆圧が弱まっていることから、1日に10分だけ写本をしようと思い立って始めたものだが、やっと終わった。A4のノートが11冊。

 始めは、2021.6.8。
 終わりは、2023.3.1.
 2年8ヶ月かかったことになる(母の死去で3ヶ月中断したのだが)。
 よくがんばったものだと、自分を褒めてあげたい試みであった。

 それでどうなったのか?
 もちろん、筆圧は回復している。
 書くスピードも速くなっている(女房の証言)。
 続け字も書けるようになっている。

 何よりも漱石の文体が、私が書く文章に染みこんでいることを期待しているのだが……。

 これからの10分間は、読書ノートをつけることにする。
 本を読みながら、注目するところに付箋紙を貼っている。
 そこのところを改めてノートに写していくことにしたい。
 これは、私が死ぬまで続ける儀式になるのであろうか。

 一日家にいる私だから、こんなことができるのであろう。

 だが、考えてみれば、一日10分間でもこんな時間を確保するのは難しい。
 普通の働き人はできないだろうなあと思ってしまう。   

●『天路の旅人』(沢木耕太郎著 新潮社)を読んだ。
 こんなに夢中で読むのも久しぶり。

 著者は、沢木耕太郎。同世代、同年齢の横浜国大出。近くの大学なので、親近感があり、沢木の書は、今まで何冊も読んできた。

 今回の本は、第二次大戦末期、中国大陸の奥深くまで密偵として潜入した日本人西川一三の旅を描いたルポルタージュ。

 読み終えて、この本は、西川一三の人生の「往路」と「帰路」を鮮明に描いたものであると実感した。

 「往路」とは、中国大陸の奥へ奥へと進んでいく、その行路。
 「帰路」とは、日本へ帰ってきて、家族を守るためにひたすら毎日の生活に勤しむ、その生活。

 あとがきで、沢木は書いている。
 ★ ★ ★
 西川一三を書く。
 しかし、その彼が自らの旅について記した『秘境西域八年の潜行』という書物がありながら、あえて彼の旅を描こうとするのはなぜなのか。
 私は、何度も、そう自問した。
 そして、やがて、こう思うようになった。私が描きたいのは、西川一三の旅そのものではなく、その旅をした西川一三という希有な旅人なのだ、と。
 ★ ★ ★

 まさに、沢木は、西川一三の「往路」と「帰路」を描こうとしたのだと、私は勝手にそう考えている。

 
 

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オンライン初任講座を始めます!

 初任講座「オンライン教師1年目の教室」を2月18日(土)から始めます。
 月に1回の開催で、7月までの講座です。

 なぜわざわざこんな講座を開いているのか、ということです。

 私は25年以上初任者指導の仕事をしてきました。
 現役の頃からです。

 その過程で、初任者指導の仕事が変わってきたことを意識せざるをえないことが起こりました。

 それまでは、初任者には、授業について指導をしていれば何とかなりました。
 だが、何とかならない状況が起こりました。
 
 初任者のクラスが荒れていくのです。
クラスが賑やかになるぐらいは、どこのクラスでも起こることですが、全体がざわざわして落ち着かなくなり、しまいには学級崩壊に陥っていきます。

 何が変わったのでしょうか。
 教室での子供の有り様が変わったのです。
 昔は、教室の子供たちは、互いに仲間だったのです。
 だから、いついじめられるか、いつ仲間はずれにされるか、いつ孤立させられるかなどを心配する必要がほとんどありませんでした。
 最初から安心できる教室だったからです。
 今は、その心配、不安でいっぱいなのです。
 
 そのために、子供たちは、担任が、教室を安心できる場所にしてくれることを強く願っています。
 初任の先生のクラスだけではないのですが、その願いを実現してあげる担任の学級経営が最大の課題となってきたのです。

 ところが、クラスが荒れてくると、指導の先生は、「あなたの授業がつまんないからなんだよ!」と助言して、なお一層の教材研究を促します。
 確かにつまんないのです。クラスが荒れているからなお一層授業がつまんなくなります。
 初任者も、ほんとにそうなんだと自覚していますので、がんばります。

 指導書を読み込んだり、指導案を書いたり、……必死にがんばります。
 だが、クラスは一向に良くなりません。

 ついには、疲れ果てて、「自分は教師に向いていないんだ!」と。
 そして、辞めていきます。
 ★
 初任者が、そんなに短期間に授業がうまくなるはずはないのです。
 そんなことは期待できません。
 授業がクラスの荒れにつながっているとしたなら、初任者はもはや絶望的なのです。

 子供たちが荒れていく原因は、授業の善し悪しではないのです。
 それが、はっきり分かってきました。

 ところが、初任者指導の先生たちは、授業がすべての決め手だと思い込んでいます。
 だから、授業、授業と突っ込んでいきます。
 毎日のように指導案を書かせる先生もいます。
 初任者は、そのことでへとへとになって、それが原因でクラスの荒れにつながっている場合もあるのです。
 それが指導の先生には見えていないわけです。
 ★
 子供たちが荒れていくのは、最初の学級づくり、子供たちとの「関係づくり」が大きな原因になっていることが分かってきました。

 これは、初任の先生のクラスだけではありません。
 今、クラスが思うようにいかなくなっている先生たちにも共通することなのです。
 
 まず、担任をしたならば、最初にしなければならないのは、学級での仕組みづくりです。朝自習から終わりの会までの「今日一日の流れ」がスムーズに進んでいくような仕組みをつくりあげるのです。
それが最初の「学級づくり」です。
 学級が、秩序立てて動いていくシステムをつくりあげるわけです。
 勝負は、1週間。

 そして、それと平行しながら、子供たちとの関わり(「関係づくり」)を動かしていきます。私たちは、縦糸・横糸張りと主張しています。

 もちろん、この過程で、授業も始めていくのですが、最初に初任の先生に指導していくことは、毎日を動かしていく授業(「日常授業」)のあり方なのです。
 
 単元構成とか、主要な発問とか、……こんなことは後での指導です。
 最初は、とにかく1時間を終わらせていく授業のやり方を教えればいいのです。
 うまい授業なんか、最初から指導する必要はありません。
 授業準備の時間もないのですから。
 ★
 これから私たちは、2月と3月の2回は、現場に出る前にどうしても知って、実践してほしい基礎・基本を提起していきます。
 「関係づくり」や「学級づくり」についてです。

 ぜひ周りの来年度初任者になる人たちに勧めていただきたいと願っております。

 https://syonin-start.peatix.com

  

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つれづれなるままに~小さな幸せをもとめて~

●朝は忙しい。
 だいたい、6:30から7:00ぐらいに目ざます。
 最近は、女房のあかぎれがひどいので、私が朝食をつくることになっている。
 
 ばたばたと準備しながら、仏様へのごはんとお茶をつくる。
 お茶を入れながら、私たちのお茶もついでに入れるのだが、これが良い。
 そのお茶は郷里から送ってもらった嬉野茶。
 
 このお茶を飲みながら、ふっと和む。
 最近は、きちんと座ってこのお茶を味わう。
 「なんとうまいんだろう」と。
 
小さなしあわせである。

 今年は、この小さな「しあわせ」を数多くつくっていこう、と。
 今年のささやかな目標である。

●学陽書房から本への出版依頼をもらい、原稿を書いている。
 昨年7月に出した本を最後にしたいと思っていたのだが、またこうして原稿を書いている。
 その本の書名が『教師1年目の授業づくりの教科書』(仮)である。
 数年前に出した本『教師1年目の教科書』の続編になる。

 私だけが書いているのではなく、私が編著で4人の先生で書いている本になる。
 もう私は退職して15年にもなっているので、現場感覚がなくなっている。
 そのために、どうしても他の先生の助けがいるわけである。

 1日25分だけ原稿を書く。それだけ。
 もはや長時間のパソコン仕事はできなくなっている。目の負担が大きいからである。
 だから、25分なのである。
 毎日、この時間にものすごく集中して書く。

 このパソコンも立って書いている。
 もう10年ぐらいになるであろうか。
 座ってこたつでパソコンを書いていて、左肩が五十肩になった。
 続いて右肩も五十肩になり、医者から「生活習慣病だ!」と指摘され、その原因がパソコンにあることが分かったわけである。
 座ってパソコンをするのを止めて、棚に段ボールを置いてその上にパソコンを載せて、こうして原稿を書いている。
 それ以来、肩への負担が減っている。

 この本は、7月の出版予定である。

●昨年の7月に出した『困難な現場を生き抜く!やんちゃな子がいるクラスのまとめかた』(学陽書房)の本が、今回4版になった。
 うれしいことである。読んでもらっている。
 また、『マンガでわかる はじめての担任 お仕事Book』(学陽書房)も、増刷になったという連絡を受ける。
 この本は、マンガも著書も、こちゃさんが書かれたものである。私はただ監修をしただけの本だが、4版になったということ。売れているのである。

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年度の途中でクラスを解体していく!

 先頃の参議院本会議の代表質問で、立憲民主党の水岡議員が、岸田首相に質問したことがあった。
 沖縄那覇市内の小学校で臨任の先生を確保できず、年度途中で担任不在が続いていた学級の児童が他の学級に振り分けられていた事態が分かり、教員不足が深刻だと現状認識をただした、という質問である。

 岸田首相は、「危機感をもって受け止めている」と答弁したということである(私はその答弁を見ていない)。

 その後、沖縄市内では21の学校で、こうした事態が進んでいることが明らかになっている。
 おそらく、全国で調査すれば、こんな学校はかなりあるのではないかと予想される。
 それほどに教員不足は、深刻なのである。
 私の親しい知り合いも、70歳を過ぎているのに担任をしたり、学級崩壊になっているところに入ったりしている。それほどに深刻である。

 この本会議での水岡議員の質問で、「今までの文教政策の失敗ではないか!」と首相に政策転換を求められたということである。

 文教政策の失敗とは何か?
 果たして首相にも、水岡議員にも、正確にその失敗がとらえられていたのかが心配である。

①教員の長時間労働がひどく、学校が「ブラック学校」に陥っている。

②教員の本務(授業)がまともにできない。その準備さえも勤務時間で
 できない状態に陥っている。
 

 その失敗はさまざまにあげられるだろうが、まずこの2つがまったく解消できないところにある。
 文科省は、「働き方改革」でこれを克服しようとしたが、このコロナ禍でほとんど機能していない。

 日本の文教政策の特徴は、お金を教育に出していないということに尽きる。
 初等教育から高等教育に対する公的支出総額の比率(2017年)は、日本は7.8%で、OECD平均の10.8%に比べて低く、最も比率の高いチリ(17.4%)の半分以下である。

 ★
 今回の沖縄のように年度途中のクラス解体でしか学校は対応できないようになることは目に見えている。
 これからこのような試みが、日本全体で進んでいくはずである。
 先生たちの苦労が目に浮かぶ。


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「策略 ブラック仕事術 誰にも言えない手抜きな働き方」(中村健一著 明治図書)をお勧めします!

 「策略 ブラック仕事術 誰にも言えない手抜きな働き方」(中村健一著 明治図書)を読んだ。
 この本はブラックシリーズの最後の本(?)になるのだろうか。
 次のように書いてある。
 「『ブラック』シリーズも、本書で9冊目である。毎年、夏休みに1冊ずつ書き続けてきた。だから、もう9年も書き続けてきたことになる。
 今年52歳だから、44歳の時からかあ。まさに、私のライフワークと言える作品だ。『ブラック』と書いている間に、私も歳を取ったもんだ。
 『ブラック』シリーズが続いたのは、売れたからに他ならない。売れない本は、消えていく。たまたま売れたから、続いたのだ。シリーズ累計は、10万部に迫っていると聞く。本当に有り難いことである」

 シリーズ累計が9冊で10万部というから、ものすごく売れたことになる。
 教育書では、1万部売れたら、もうベストセラーの部類に入るといわれているので、大変な売れようである。
 それだけ興味をひかれた本であったということになる。
 この一連の本を読んで、救われた先生たちは数多くいるだろうと思われる。
 
 ★
 この本は、「ブラック」というネーミングが惹きつけたものである。
 このような本は、教育界では初めての本。今まで見たこともないものであったことは間違いない。
 なぜ、中村健一先生は、このような本を出すことができたのか。
 私が考えたことはそこであった。

 今までの学校現場を、「家の構造」で喩えてみると次のようになる。

 家の「1階」で先生たちは生活している。
 その中の一部の先生が、「2階」に上がっていく。
 その先生たちは、教育に対する熱意があり、問題意識があって「2階」に上がる。
 その2階で、出されている教育本を盛んに読み、セミナーや研修会に参加し、熱心に勉強をする。
 その先生たちの一部が、今度は「3階」へ上がり、セミナーの講師を務めたり、本を出したりする。

 喩えの話で申し訳ないが、簡単に言うと学校現場は、このような構図になっていたはずである。
 
 この構図の中で、健一先生は、どうしたのか。
 2階へは行ったのである。
 ブラックシリーズには、そのようなことが書いてある。

だが、健一先生は、それから3階へは上がらず、1階へ下り、さらに「地下」へ下りて行ったのではないか。
 その地下で、このブラックシリーズが書かれている。
 私の仮説はこうなる。
 ★
 今まで学校現場に「地下」という発想があったとは誰でもがまったく予測できなかったことなのである。
 健一先生は、「ブラック」と「策略」という言葉と共に地下へ下りていったのである。
 その地下でブラックシリーズは書かれていった。
 なぜ、そんなことができたのか?

 ここには困難校での経験が強くあるのではないか、と私は思われる。
 この困難校で、今まで出されてきた教育本が、ほとんど通用しないという経験をされたのではないだろうか。
 熱意のある先生たちが鬱病になり、休職したり、辞職していったりする現状に健一先生は絶句したはずである。
 ★
 このブラックシリーズで明らかになった、大きな課題が1つある。
 
 今学校現場で、第1のターゲットにすべきは、保護者対応だということ。第2に、子供対応だということである。この順番になる。

 今まで(今も)、学校現場は、文科省や教育委員会の行政によって動いてきた、と先生たちは思ってきたはずである。
 もうそんなものはなくなっている。
 行政が、学校現場を支える存在としては、もはや機能しなくなっている。
 学校現場が抱え込んでいる最大の問題を、もう行政が解決できないのだと分かってきている。

 今、学校現場を動かしているのは、第1に保護者であり、第2に子供たちなのである。
 そこをはっきり健一先生は、このブラックシリーズで明らかにされた。
 私は、画期的なことだと、思った。
 そこをうまく対応できなくては、もう学校現場では生き抜いていけなくなっている。 

 今回のブラック本も、相変わらずの健一節で「策略」を書かれている。
 参考になる実践は多くある。

 それにしても、学級通信を「ほぼ毎日」、昼休みに子供たちと遊ぶのを「ほぼ毎日」というのは恐れ多いことである。
 本来、52歳のベテラン教師ができることではない。

 学級通信は、保護者対応を考えられていること。
 昼休みの遊びは、子供対応を考えられていること。

今、保護者に対して、何を、どのように対応すべきかはこのブラック本から学んでいくべきである。
 「トラブルが起きた時、真っ先に考えなければならないのが、『保護者の怒りを買わないこと』である」
 「『初期対応のポイントは、素早い対応。そして、相手が思うより一段上の対応である』」
 「『気持ちよく終わるためにも、子どもにお灸をすえるためにも、最後は保護者をヨイショして終わろう』」

 これらはすべて保護者対応の極意である。
 
 また、学級崩壊にあわないクラスをつくるというのも、この本から学んでいくことである。
『学級づくりは4月が全て!~最初の1ヶ月死ぬ気でがんばれば、後の11ヶ月は楽である』
 『手を抜くためには、学級崩壊させないことが一番大切だ』
 『学級崩壊は、担任と子どもたちとの人間関係の崩壊なのである』
 『学級崩壊しないためには、教師の笑顔が必要なのだ』

 これらも子供対応の極意である。

 このブラックシリーズが、学校現場に与えてきた刺激は、大変なものだった、と私は思っている。
 この本を読んで、ぜひとも先生方が過酷な学校現場を生き抜いていってほしいと願っている。

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