WITHコロナ時代の現場教師の生き方とは(2)

 この非常事態(異常事態)での、日々の過ごし方を考えたい。
 きちんと原則をもって過ごさなければ、日々に流され、自分がおかしくなっていく恐れがある。

 もともと学校の教員は、ブラック企業のモウレツ営業マンと同じであった.
「とにかく売ってこい!」と叱咤激励されて、営業へ出かける営業マンとまったく変わりない生活であった。

 コロナ禍でさらに生活ぶりは過激になっているはずである。
 一時流行になった「働き方改革」なんか誰ももう言わなくなった。
 ★
 私が考える原則は、次のことになる。

 1 「明日」へ向けて「今日」をしっかり生きる。
 2 仕事を絞る。
 3 子供とは「距離」をとる。
 4 早く帰る。

1 「明日」へ向けて「今日」をしっかり生きる。
 
 どんな人でも、「今日」が充実しておけばちゃんと生きていける。
 この原則は、肝に銘じておけばいい。

 過ぎ去った「過去」を振り返らない。
 これからの「未来」も描かない。
 目の前の「今日」だけをしっかり生きるだけ。
 そうすると、「明日」へつながる。

 私は、最後にしたいと思った勤務校で、有名な困難校に異動になった。
 正直嘆いたものである。

 そのとき、自分に言い聞かせたのは、この原則であった。
 
 まず、手帳を変えた。
 「今日」が鮮明になる手帳である。手づくりをした。

Img013

 左側に今日行うことを書き出し、それをいつやるかを右側に書く。
 やることは最小限度。
 一日の時間は、ほとんど決めておく。
 計画したとおりに動く。
 計画したことはレ点をつけて実践したかどうか確認する。
 
 放課後、会議や打ち合わせがないときは、教室で過ごす。
 教室で、明日の準備をする。
 職員室は、交流の場所。職員室では、仕事をしない。
 ほとんど5時に帰る。
 帰りに、明日の予定をつくる。


 所詮、人間はちょぼちょぼである。
 もともと強い人なんかいるわけがない。

 ただ、強くなれるかどうかは、自分なりの生き方の原則をもって、過ごしているかどうかになる。
 それが決め手である。(つづく)

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WITHコロナ時代の現場教師の生き方とは(1)

 やっとコロナ禍の第5波が収束に向かっている。
 これから第6波がいつやってくるのか、身構えなければいけない。

 学校現場の状況は、大変である。
 分散登校であったり、オンライン授業であったりしている。

 中には、対面授業をしながら、同時にオンライン授業をしている様子をテレビは映し出していた。
 対面で子供たちに説明しながら、左手でパソコンを持ち、オンラインを行っている。
 
 ため息がでる事態。
 教師一人で2つの授業を同時にやっている。
 スーパーマンのような役割を教師が担っている。
 
 こんなことが長続きするのだろうか。

 ★
 明治5年の9月4日 日本は学制発布を行った。
 学校教育が始まったのである。

 あれから今年は149年目。来年は150年を迎える。

 このコロナ禍は、学校教育が始まって以来、初めて経験する非常事態になる。異常事態と言ってもいい。

 文科省は、あらゆる施策が、後手後手に回る。
 その下の教育委員会や学校の管理職も、当然後手後手で引き回される。

 「音楽会、運動会、修学旅行と多くの行事は本年度も内容が二転三転。そのたびに一から相談、会議、保護者への伝達の繰り返しだ。『無限ループ。もう何回やったか分からない』。男性校長はため息をついた」
 とヤフーニュースは伝えている。

 初めて経験することだから、行政も的確な施策を出せない。
当然、学校は引き回される。
 
 とにかく、見通しをもって考え、先を見据えることができなくなっている。
 
 心配なのは、先生たち。

 上の方から繰り返される指導の数々は、朝令暮改である。
 一々これに真面目に従っていたら、こちらがやられる。
 無限ループなのだから。
 心を病む。

 もうすでにそんな現象が始まっているのではないか。

 ブログを読んでもらっている先生たちに問いたい。

 こんな非常事態(異常事態)をどのように過ごしていくかの原則をもっておられるだろうか。

 学校教育は、学制発布以来149年目の非常事態なのである。
 今まで通りまともに過ごしていたら、こちらがやられる。

 必ずこの非常事態を凌いでいく生き方の原則を身に付けなくてはならない。
仕事をしていくための行動の原則と言ってもいい。

 上から言われる通りに唯々諾々と過ごしていたら、こちらがやられる。
 上の方も的確な指導なんかできないのだから。
 ★
 私はもう現場で過ごしていないのだが、私ならば、どのような原則をもって今回の事態を凌いでいくのだろうか。
 
 これはきちんと考えていく必要がある。

 はっきりしているのは、このコロナ禍は、すぐには収束しないこと。
 専門家は、もう2,3年はかかると言っている。

 WITHコロナの時代に、現場教師はどのような生き方の原則を打ち立てるのか、それが問われている。(つづく)
 

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京都「明日の教室」講座参加をお願いします!

 京都「明日の教室」での講座を紹介します。
 ズームでの講座です。10月23日(土)。

 今回『困難な現場を生き抜く!やんちゃな子がいるクラスのまとめかた』(学陽書房)の本を発刊しています。
 おかげさまで多くの方に読んでもらっています。

 この本の発刊を記念して(大袈裟ですが<笑>)、明日の教室で講座をもってもらうことになりました。

 この本と同じことを話してもつまんないことになりますので、できるだけここに書かなかったことを含めて提案したいと願っています。
土曜日のほっとする時間ですが、参加してもらうことを願っています。
 よろしくお願いします。

https://peatix.com/event/2926633/view

 また、明日の教室では、9月25日に立命館大学の荒木寿友先生による「いちばんわかりやすい道徳の授業づくり」の講座(ズーム)が行われます。
 よろしくお願いします。

 https://peatix.com/event/2830265/view

 

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「現実」を乗り越える実践を!

 ブログで、先に全国学力テストの成績を上げている実例を2つ紹介してきた。
 
 私は、全国学力テストについて賛成しているわけではない。
 こんなものを何十億のお金をかけて、実施する必要はないと考えている。

 もし日本の子供たちの学力について調べたいのであれば、抽出すれば十分である。
 そうすれば、惨めな学力競争などはなくなっていく。

 今はそうなっていない。
 過去問の練習に明け暮れて、学力向上争いを自治体ごと、学校ごとに行っている。

 あるところでは、春休みに教育委員会が過去問集をつくって、宿題にするようにしている。
 また、あるところでは、始業式の次の日から学力テストの実施日まで過去問の練習を毎日行っている。
 およそ、教育とは無縁の行為である。
 それを教育委員会が指示して行っている。

 それでも、全国の自治体で、おそらく過去問の練習をしていないところは少ないのではないだろうか。
 それをやると、効果があることが分かっているからである。

 私があるテストの上位県に講演でいったとき、そこの校長先生に言われたことがある。
「野中先生、実はテストの上位県だということで学校訪問があって困っているのです。先生に授業を見てもらったら、普通の授業をしているはずです。どこでもが行っている授業なのです。特別に変わったことはやっていません。ところが、訪問があるために何か特別なことをやっているように提供しなければならないのです。そこが困ったことです」と。

 ここの県は、子供たちが特別で、他のところより宿題を2,3倍出されても十分に対応していける我慢強さがあると言われている。

 要するに、これらの上位県であるA県やH県や、今回1位のI県などが特別な授業をしているわけではないはずである。
 子供たちの自宅学習や宿題への対応が違うというのが大きな特徴であろう。

 しかし、これらの上位県は、必ず過去問をきちんと日常的に練習しているはずである。
 ★
 私の最後の勤務校は、困難校と言われていたところである。
 家庭環境がひどくて、家庭訪問しても家の中がぐちゃぐちゃで足の踏み場のない家庭が必ず数軒はあった。家の中に入れないのだ。
 もう子供の学習どころではなかったところである。
 だから、学力向上などはとんでもないことであった。
 市の学力テストは、ほぼ市の平均より10点以下が常時のことであり、全国学力テストになれば、おそらく市の最底辺のレベルになっていたところであろう。

 ところが、ある時、ある学年が市の学力テストの事前に過去問の練習をさせたことがあった。
 そうすると、その学年だけが市の平均点に並んだのである。
 それを聞いて、びっくりしたのである。

 要するに、過去問の練習をさせれば得点は上がるということ。
 受験指導の傾向と対策と同じである。

 日頃、学力テストに出てくる問題などはやっていない。
 だから、急に長々しい文章の問題を出されたら、アレルギーを起こしたりして最初からギブアップする子供が出てくるのは必然である。
 だから、学力テストはそういう問題が出るよと最初から分かっていたら、心の準備ができるわけである。
 ★
 私の学力論は、繰り返しになるが、次の通りになる。
 
  ①どのテストにも通用する学力はない。
   「ほんとうの学力」「正しい学力」などというものはない。
  ②だから、最初に学力を考えるためには、どのテストの学力を
   上げたいのかという発想をしなければならない。

 こういう考え方をもっていたら、最後の勤務校でも、市の平均並みの成績を上げることは可能だったはずである。いや、それ以上の成績をあげたかもしれない。

 今回の2つの学校の全国学力テストの結果で、はっきり分かったことがある。
 
 全国学力テストなどの学力テストを上げるためには、基礎学力の定着が必須条件であることになる。

 M県のH小学校では、それまでやっていた自学を廃止して、基礎学力を定着、向上させるプリント学習を宿題として取り組んでいる。

 M先生の学年では、「算数学力向上メソッド」で教科書に沿った指導を繰り返している。
 
要するに、基盤となる学力が揃わなければ、付け焼き刃でその場を取り繕っても意味がないわけである。
  ★
 全国学力テストの成績を上げられなくて(上がらなくて)悩んでいる自治体は多い。
 そんなところでは、議会で「うちの県がどうして47都道府県で下にいるのだ?」と追求されるらしい。
 そこで付け焼き刃的な対応をする。
 しかし、うまくいかない。

 学力テストの成績を上げるということなら、もう方向ははっきりしている。
 M県のH小学校の取組に学べば必ず上がる。

 でも、間違ってはならないのは、それが目的にならないことである。
 
 私たちが学力テストの成績を上げるのは、「現実」を踏まえるためである。
 理想論を振りかざして、「学力テストなんか問題にしないのだ、私たちはもっと本当の学力を子供たちに身に付けさせるために授業をしている!」と言う先生たちがいる。
 
 それはそれで結構なことだが、「現実」を無視してそんな主張をしても、自己満足にしか過ぎない。

 現実に、目の前の子供たちに理想論を振りかざしても、日頃のテストで10,20,30点をとる子供がぞろぞろいたら、学習に対する子供たちの意欲や自信、あるいは保護者たちへの信頼性など育ちようがないではないか。

 「現実」を無視した主張をしてもだめである。
 「現実」を乗り越える主張でなければならない。

 
 M先生は、算数学力向上メソッドで「アウトプット学習」を徹底して、クラスの低学力児を引き上げている。
 
 1年間の最低点の平均が70点になるという実践。
 通信表では、算数にCと付ける子供がいなくなっている。

 しかも、全国学力テストでは、4クラスの学年が、トップの石川県を越える高得点を上げている。
 
きっと子供たちは、「私たちはやればできるんだ!」という自信をもったはずである。
 保護者たちは、先生たちのがんばりに熱い支援を向けているはずである。

 「現実」を乗り越える実践の1つは、こんなことであろう。

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うれしい報告②~「算数学力向上メソッド」の効果~

 また、また、うれしい報告である。

   算数学力向上メソッドの共同研究をやっていたM先生より、全国学力テストの結果の報告がある。

   具体的な点数は明らかにできないが、全国1位の石川県の算数の平均が74 点であるので、それよりも数点上である。80点に近い点数になる。

 今、M先生は、6年生の担任で、4クラスの学年。
 その4クラスの、平均得点である、
 
 M先生は、4年生のときより3年間(6年生は今担任中だが)この学年を担任している。
 子供たちは1年ごとに学級編成がなされている。

 M先生は、学年の先生たちに働きかけて、算数学力向上メソッドをずっとやってきている。

 ★
 算数学力向上メソッドとは、私が作成して、各先生方に実践をお願いして3年間共同研究として続けてきたものである。

 このメソッドの目標は、2つ。

 ①クラスの低学力児のテストの成績を、10,20,30点から60,70,80点に
  上げていく。
 ②クラスの平均を90点以上に上げていく。
 

 大変な実践をするわけではない。
 教科書通りに授業(「味噌汁・ご飯」授業)をして、そのあとに宿題を出し、翌日の算数の授業の最初を、復習テスト(5分)をするというシステムである。

 「授業―宿題―復習テスト」を毎日続けていくシステム。
 

 宿題と復習テストを私が作成し、授業を含めてその先生たちに実践してもらうシステム。
 ただ、これだけのもの。
 ★
 この学年は、担任が定まらない時期を3年間経験して、落ち着かない状態を過ごしたということらしい。自己肯定感がない子供が多かったという。

 もちろん、学力などは二の次の学年であったはずである。

 そこでM先生は、「味噌汁・ご飯」授業で「算数学力向上メソッド」を使い出したということになる。

 この学年は、2年間算数学力向上メソッドで算数の実践をしている。

 その実践により、M先生のクラスでは、単元テストでは、低学力児がいなくなるという事実をつくりだすことができている。
 ★
その低学力児が今回の学力テストで、どのくらいの成績を上げたのか、M先生に問い合わせる。
 5年生のときの低学力児である。7人いる。
 この低学力児とは、日頃の算数テスト(市販テスト)で50点以下の点数を常時とっている子供たちになる。
 
 そのままの点数を載せられない。
 結果は、次の通り。

  80点以上……2人
  60点以上……2人
  50点以上……2人
  50点以下……1人

 80点以上の2人は、もはや高レベルに上がっている。
 50点以下の1人は、残念な結果である。
 あとの子供たちは、とても健闘している。
 日頃の市販テストではなく、全国学力テストなのである。

 「算数学力向上メソッド」の威力は、ものすごいのである。

 ★
 私の学力論は、次のような考えである。

  ①どのテストにも通用する学力はない。
   「ほんとうの学力」「正しい学力」などというものはない。
  ②だから、最初に学力を考えるためには、どのテストの学力を
   上げたいのかという発想をしなければならない。

 前回のブログに上げたH小学校のN先生の実践は、標準学力テストや全国学力テストの成績を上げるというのをまずターゲットにされている。

 この「算数学力向上メソッド」は、日頃の単元テストの成績を上げることをターゲットにしている。

 だが、今回のM先生の学年の結果は、単元テストの学力を上げるということ以上に全国学力テストの学力さえも上げている。

 本来ならば、こんなにうまくいくことはない、と私は考えている。

 全国学力テストの学力を上げるためには、どうしても「領域固有性」の問題を克服しなければならないので、事前に過去問の問題で、その解き方などを教えなければならない。
 そうしなければ、実際に子供たちは、初めて目にする、あの難しい問題を解いていくことは困難である。

 しかし、結果は算数学力向上メソッドだけで、十分に対応できている。
 この学年は、過去問について練習したことはないということ。

 このことをどう考えればいいのか。

 ①算数学力向上メソッドで、基盤となる基礎学力の向上を図っている。
 
 ②教科書の問題を解くと同時に、宿題でさまざまな問題を解くという
  「アウトプット学習」を徹底している。

 ③何よりも子供たちに(特に低学力児に対して)、算数への意欲と自信を
  育てている。

 ④クラスには、学習塾に通っている子供が多数いるために、過去問などの
  問題はその学習塾で習熟している。

 こういう原因が考えられる。
 一番大きい原因は、③であると、私は考えている。
 ③のために、①と②があるのであるから。

 ★
 この「算数学力向上メソッド」は、新著『困難な現場を生き抜く!やんちゃな子がいるクラスのまとめかた』(学陽書房)で紹介しているので、問い合わせがある。

 興味がある方は、ブログのコメント欄にコメントを寄せてほしい。
 詳しい内容についてお知らせできる。
 

 

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うれしい報告~全国学力テストの結果~

 大変うれしい報告をしておきたい。

 全国学力テストの報告である。
 M県のH小学校のN先生からである。

 私の学力論を実践に移されて、その結果になる。
 5年生の1年間、学年の先生たちに呼びかけて、学年全部で実践した結果が報告されている。
 今年は、持ち上がって6年生の担任をされている。
 
 ★
 その結果である。

 具体的な数字は明らかにできないが、国語、算数で全国1位の石川県より数点上である。国語はかなり上である。

 石川県 国語71 算数74

 石川県が、このような成績であるので、国語も算数もこれよりも上である。
 要するに、全国トップの成績の平均を越えている。

M県は、今まで全国で最低レベルの成績なのである。
 それが、この学校では、N先生の呼びかけにより1年間で全国1位の石川県の平均を越えている。

 今回は、そのH小学校は、M県の成績よりも平均で国語も算数も約10点近く上である。飛び抜けている。

私の学力論が関与して、このような成績を上げられている。
 もちろん、N先生たちの確かな実践がなければ、このようにはならないわけであるが、「できるじゃないか!」ということになる。

 その決め手は何だったのか、ということになる。

 以前、このブログで、私の学力論をさしあげますということで提案している。

 この学力論には、M先生たちの実践を寄稿してもらった。
 
 5年生の12月にM県独自の学力テストが行われている。
 そこで、国語は全国よりも約3点、算数は約8点上回った。

M先生たちの実践が効果を上げ始めていたわけである。
 注目した県教委の視察を受けたとも聞いている。

 そして、今回の全国学力テストである。
 確実に、その成果は上がっている。

 もし、私の学力論がほしいという先生は、もう一度コメント欄(非公開にする)で受け付けたい。
 M先生たちが何を行ったのかという実践の寄稿も付け加えている。

 

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半分の正答率しかない~全国学力テストの算数問題を見て~

 全国学力テストの結果が、新聞報道(朝日新聞)されている。
 正答率が悪い問題が、出されている。

 驚いたのは、小6の算数問題。
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 直角三角形の面積を求める問題。この問題は5年生で学習する。
 何のことはない問題である。

 底辺を探し、高さを探し、「底辺×高さ÷2」で求めればいい。
 答えは、6㎠。これでいい。

 ところが、この正答率が、驚くことに全国平均が、55.4%。
 
 およそ半分しか正答していない。
ということは、半分の子供たちは間違ったということになる。
 
 何が起こったのだろうか。

 ★
 底辺はいつも下にあるので、底辺を5㎝としか考えられなかったのでないか。そう予想できる。

 
しかし、この問題は、三角形の面積を勉強する場合は、普通に練習問題にあるはずである。

 そこで、東京書籍と教育出版と啓林館の5年生の教科書にあたってみる。

 東京書籍は、この問題と同じような問題を練習問題として1問扱っている。
 教育出版は、同じような問題はない。
 啓林館は、まとめの練習のところで同じように1問を扱っている。

 教育出版には、同じような問題はないが、東京書籍と啓林館は、その単元のところで1問だけは出されている。

 問題は、教育出版はともかくも、1問だけ教科書で練習させて、子供たちに学力(長期記憶)として残っていくのかである。
 残念ながら、結果は半数の子供が間違っているわけである。
 ★
ここには、どんな課題が投げかけられているのか。

 認知心理学でいう「領域固有性」という研究結果がある。

 この領域固有性によれば、子供たちの認識の大部分は、状況にものすごく依存することが分かっている。つまり、あることで学んだことが他の状況では通用しないということ。

 ここでは、三角形の面積は「底辺×高さ÷2」であることは分かるが、底辺というのはいつも下の辺にあるということが強く認識されてしまう。

 ところが、全国学力テストの問題は、実際には、底辺が下にはない。
 これは、子供たちにとっては、違う問題になってしまう。
 彼らの認識では、「こんな問題習っていないよ!」ということになる。

 東書や啓林館では、確かに1問題だけは教科書ではやっているが、記憶には残っていないわけである。

脳科学の法則によれば、同じ問題を最低3回練習すれば、長期記憶(学力)として残っていくと提起されている。

 正答した半数の子供たちは、学習塾かその他の方法で、練習問題として3回以上練習をして長期記憶として身に付けたことになる。


 私たちが行ってきた「算数学力向上メソッド」は、この「領域固有性」を意識した実践である。

 だから、クラスの低学力児が、テストで10,20,30点から60,70,80点をとれるようになるのである。

 ポイントは、もっと子供たちに練習問題を数多くこなさせなくてはならないことである。
 これがあまりにも不足している。

 日本の算数学習が、数多く問題解決学習で行われている。
 1問の例題を多くの時間を使って、「自力解決」させている。
 練習問題をこなす時間がほとんどない。
 宿題に回されることも数多い。

 この結果が、あんな簡単な三角形の面積問題の正答率を半分にしてしまっている。
 
 算数学習は、もっと基本のところから考え直さなくてはならない。

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つれづれなるままに~沈黙の言葉がある~

●私はせっかちだとよく女房に言われます。
 最近では、思いついたことはすぐやるようにしているので、なおさらせっかちになっているのでしょうか。

 今日も、さるすべりの木が隣の家に迷惑をかけているなと思ったので、すぐさまそれを切りに行きました。
 とりあえず思いついたことはすぐに行動するようにしています。

 中野善壽氏の『ぜんぶすてれば』(DISCOVER)には、次のように書かれています。

  「明日がある」という希望は持つべきだけれど、
  本当に明日が来ると信じてはいけない。
  僕は75年以上を生きてきたから、
  「明日が来ること」が絶対でないのだと分かります。

  今日できることは、今日のうちにやる。今すぐやる。
  「何からやればいいのか」なんて考えなくていい。
  思いついた順に、なんでもすぐやれば、後悔することはありません。


 私は、この本を読む前から「思いついたことは今日のうちにやる」ようにしていたのですが、この本を読んで「今すぐやる」ようになりました。

●女房から「パラリンピックの選手たちのインタビューは、みんな個性的で良いよ!」と言われた。
 そんなものかと思いながら、聞いてみた。
 確かに、確かに。
 オリンピックの選手たちと違う。

 オリンピックの選手たちは、試合後のインタビューでほとんどの言葉が、「周りの人たちに支えられてここまで来ました。感謝の気持ちを伝えたい」というようなことを必ず言っていた。

 この言葉は、事前に準備されていたのであろう。

 ところが、パラの選手たちは、試合後の臨場感そのままに自分の言葉で、自分の気持ちを、そのまま発している。
それぞれが個性的である。聞いていて気持ちいい。

 どうしてこんなに違うだろう、と少し考えてみた。
 ここからは私の推測である。
 ★
 沈黙の言葉というのがある。
 これを知ったのは、思想家吉本隆明さんの『ひとり』(15歳の寺小屋 講談社)からである。

 「あの人は何もいわないけど、本当は気持ちの中で自分によく問いかけ、自分でよく答え、それを繰り返している。それは言葉に表さなくても、行動に表さなくても、心の中でそういうふうにしてるってことがある。
 人は誰でも、誰にいわない言葉を持っている。
 沈黙も、言葉なんです。
 沈黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人になるきっかけをちゃんと持ってるといっていい。
 僕は、うまく伝えられなかった言葉を紙に書いた。届かなかった言葉が、僕にいろんなことを教えてくれた。自分や誰かの言葉の根っこに思いをめぐらせて、それをよく知ろうとすることは、人がひとりの孤独をしのぐ時の力に、きっとなると思いますよ」

 15歳の子供4人の質問に答えている場面である。

 ★
 パラの選手たちは、この「沈黙の言葉」を豊かに育て上げた人たちなんだろうなあというのが、最初の感想であった。

 障害があるということで、それを誰にも訴えられない。
 つねに自分に問いかけ、自分で答え、それを繰り返してここまで来たのだろう、と。

 それがインタビューの問いかけで、個性的な答えになるのではないか。
 
 そんなことを考えてみた。
 ★
 沈黙の言葉なんか、考えもしなかったことである。

 このコロナ禍の中で、それぞれの人たちが家に閉じこもることを強いられている。

 このコロナは、人たちに「もっと沈黙の言葉を持てよ。自分によく問いかけて、自分で答え、それを繰り返して自分の言葉を豊かにしろよ。テレビやスマホに逃げるなよ。もっと沈黙の孤独の時間を豊かにしろよ!」と問いかけているのかもしれない。

●姪の子供は、5歳。
 姪のブログに「哲学する5歳」が載っている。おもしろい。
 ★ ★ ★
 おとといの夜、こどもを寝せていたら「パパとママとぼくは、いっしょに死ぬの?」と聞いてきた。「そうとも限らないなあ。誰がいつ死ぬかは誰にもわからないよ」と答える。最近どうやら、人はいつか死ぬという事実がわかってきている様子。

子「どうやったらわかるの」

私「いっぱい勉強したらもしかしたらわかるかもしれないけど」

そのあと1分くらい沈黙

子「ぼく勉強してみたい」

私「そうかー してみるといいよ」

そのあとまた沈黙。

子「ぼくはパパとママが死ぬのやだ」

と言いながら、肩をひくひくさせてなんと泣き始めた。

私「心配になっちゃったの?」

黙って頷きながら涙をぽろぽろ。

子「だれも死なないといい」

私「うーん…」

子「どうやったら死なないの」

私「ちゃんとごはん食べて、いっぱい寝て、運動してたら長生きするよ」

子「あとは」

私「ひとりぼっちに、さみしく、ならないほうがいいなあ。楽しい気持ちでいたほうが長生きするね。からだの元気とこころの元気」

子「わかった」

それからしばらくして寝た。哲学する5歳は、真剣に生きている。

★ ★ ★

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つれづれなるままに~コロナ感染は、空気感染~

●24日に、神奈川県の大和市教育委員会の初任者研修会へ行く。
 ズームでの提案である。
 ズームは苦手である。
 
 それでも指導主事の先生方に丁寧な段取りを組んでもらい、スムーズに終える。
 ただ、初任者の先生方にどのように受け取られたのか、まったく分からない。ここが困る。

 しかし、このズームは、これから研修会で主流になるはずである。
 
自宅や学校にいながら、離れたところでも研修に参加できるメリットは、計り知れない。
 そこに集まることがないというだけで、このメリットは際立っている。
 時間やそこまで行く費用などを考えたら、参加者への負担もかなり軽減できる。
良いことだらけである。

 ただ、その研修会がどのようなカタチで成立しているかどうかを主催者が把握することがむずかしくなるというのがデメリットであろうか。

●27日に、神奈川県の藤沢市の学級経営研修会へ行く。
 この研修会は、対面である。
 ひさしぶりの対面である。

 こんなコロナ禍で、先生たちは、集まってこられるのかなと思いつつ、出かける。
 ところが、30名の先生たちが参加された。びっくり。
3時間の講座なのである。

 第1講座 クラス状況で悩んでいる先生たちの相談に答える。

 第2講座 学級経営の「学級づくり」、「関係づくり」を考える。

 第3講座 夏休み明け1週間の法則

 対面の研修会の良さは、先生たちの反応を見ながら、提案の仕方を少しずつ変えられることである。

 また、先生たちの反応を見れば、提案が受け入れられているかどうかが分かる。

 現役の頃から数えてみると、500回近くの講演をしていることになる。
 
 もうドキドキすることもなくなった。
 パワポで提案しているが、書いたものを見ながら提案することもなくなった。
 先生たちの表情を見ながら話すことができるようになった。
 場数を踏んだことになる。

あっという間の3時間。
 これだけの時間で、グループで話し合う、ペアで話し合うという手法が使えないことは、研修を行う者としては大変な負担になる。

 そこをどれだけ切り抜けられるかどうかなのである。

●先週の金曜日に、研究者の報告で、このコロナ感染は、飛沫感染というより空気感染なのだということが明らかになる。

 これはびっくり。

 だから、コンビニやストアーなどですれ違っただけで感染をする事例がニュースで報道されていたが、空気感染ならば納得することになる。

 学校での感染予防は、これからどうなるのだろうと心配になる。

 ワクチンの効果も、予想したよりもたいしたことがないことも分かってきている。
ワクチン接種者も、決して安心できない。

ますますこのコロナ禍は、いつまで続くのだろうと案じられることである。

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つれづれなるままに~残暑はまだ厳しい~

●政府のコロナ対策の分科会で、尾身会長は、次のように述べたという。

 「尾身氏は、大学、高校ではオンライン授業をなるべく実施する一方、小学校については対面授業を実施するよう求め、「休校する必要はない」と指摘した。教育現場では大人から子どもへ感染が広がることが多いとして、教職員がなるべく早くワクチン接種を受けることを求めた。」

 教職員のワクチン接種が、進んでいないところがある。
 私の地元の横浜では、8月5日頃に1回目を終え、2回目は8月の下旬に打つということを聞いている。
 8月いっぱいに終わらせようということになる。

 ところが、隣のY市は、まだ進んでいないということ。
 自治体によって大きな違いがある。

 どうしてこういうことになるのだろうか。

 教職員は、当然優先接種として夏休みいっぱいに終えなければならないはずである。
 このデルタ株は、今までのコロナよりも計り知れないほどの感染力をもっている。
 だから、夏休み明けは、当然子供同士の感染、教師から子供、子供から教師への感染が広がるはずである。
 この事態を少しでも抑えるためには、まず教職員がワクチン接種をするというのは前提ではないか。(8/26)

 
●親しい友人の高橋定雄さんが、通信に次のようなことを書かれていた。

runner通信。
月刊誌ランナーズを読み始めてから29年目。3年契約にしている。10月から更新しないことにした。3年前から走れない。膝の痛みは治りそうにない。
走ることは卒業し、後輩の走る方のために応援したり支えたりすることに徹したいと思う。走友会の会長もそうだが、他のことでも裏方に回ることにする。
株式会社アールビーズ社に改めて感謝したい。
先輩の野中信行さんの言葉を身に沁みて感じている。 
走りには始めがあり終わりがある。人生にも上りと下りがある。下りをどのように降りてくるかが問題である。含蓄がある。
 ★
 膝の痛みで3年前から走れなくなっていた定雄さんが、いよいよ走ることから卒業するという宣言である。ずっとライフワークとして走り続けたい思いでいっぱいだったはずだから、まことに残念なことである。
 
 私のことを書かれてあるが、いつも「始め」や「上り」より、「終わり」や「下り」が大変である。
 時として人は、ここでつまずく。
 しかし、定雄さんは、いつもフェイスブックに「下り」の生き方を提示されている。みごとである。
 励まされる。
 ★
 8月26日、私の誕生日である。
 74歳になる。
 まさにこの歳になって、本などを出しているなんて予想だにしなかったこと。
 人生は、どんなに転んでいくか分からないものである。

●漱石の『三四郎』の写本を始めたとブログでも書いておいた。
 毎日10分間。
 続けている。
 A4ノート2冊が終わった。3冊目に入った。

 私の唯一の長所は、「続けること」が得意なこと(笑)。

 今では、10分間でノート1ページ書けるようになっている。
 
 書きながら漱石の文体が、私の中に入ってくる。
 とにかく情景描写や心象描写がすばらしい。

 日本の小説の有り様を指し示した文豪。まだ残り続ける意味が少し分かる気がする。

●高田郁の『あきない世傳 金と銀』11 風待ち篇(角川春樹事務所)を読む。

 ずっと愛読している時代小説である。
 小説のおもしろさを堪能させてくれる。

 繰り返し2回読んだ。

 この人の文章の巧みさは、現代では、比べる人がいないのではないかと思わせてくれるものである。
 とくに、情景描写がうまい。うっとりするほどである。

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