年度の途中でクラスを解体していく!

 先頃の参議院本会議の代表質問で、立憲民主党の水岡議員が、岸田首相に質問したことがあった。
 沖縄那覇市内の小学校で臨任の先生を確保できず、年度途中で担任不在が続いていた学級の児童が他の学級に振り分けられていた事態が分かり、教員不足が深刻だと現状認識をただした、という質問である。

 岸田首相は、「危機感をもって受け止めている」と答弁したということである(私はその答弁を見ていない)。

 その後、沖縄市内では21の学校で、こうした事態が進んでいることが明らかになっている。
 おそらく、全国で調査すれば、こんな学校はかなりあるのではないかと予想される。
 それほどに教員不足は、深刻なのである。
 私の親しい知り合いも、70歳を過ぎているのに担任をしたり、学級崩壊になっているところに入ったりしている。それほどに深刻である。

 この本会議での水岡議員の質問で、「今までの文教政策の失敗ではないか!」と首相に政策転換を求められたということである。

 文教政策の失敗とは何か?
 果たして首相にも、水岡議員にも、正確にその失敗がとらえられていたのかが心配である。

①教員の長時間労働がひどく、学校が「ブラック学校」に陥っている。

②教員の本務(授業)がまともにできない。その準備さえも勤務時間で
 できない状態に陥っている。
 

 その失敗はさまざまにあげられるだろうが、まずこの2つがまったく解消できないところにある。
 文科省は、「働き方改革」でこれを克服しようとしたが、このコロナ禍でほとんど機能していない。

 日本の文教政策の特徴は、お金を教育に出していないということに尽きる。
 初等教育から高等教育に対する公的支出総額の比率(2017年)は、日本は7.8%で、OECD平均の10.8%に比べて低く、最も比率の高いチリ(17.4%)の半分以下である。

 ★
 今回の沖縄のように年度途中のクラス解体でしか学校は対応できないようになることは目に見えている。
 これからこのような試みが、日本全体で進んでいくはずである。
 先生たちの苦労が目に浮かぶ。


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「策略 ブラック仕事術 誰にも言えない手抜きな働き方」(中村健一著 明治図書)をお勧めします!

 「策略 ブラック仕事術 誰にも言えない手抜きな働き方」(中村健一著 明治図書)を読んだ。
 この本はブラックシリーズの最後の本(?)になるのだろうか。
 次のように書いてある。
 「『ブラック』シリーズも、本書で9冊目である。毎年、夏休みに1冊ずつ書き続けてきた。だから、もう9年も書き続けてきたことになる。
 今年52歳だから、44歳の時からかあ。まさに、私のライフワークと言える作品だ。『ブラック』と書いている間に、私も歳を取ったもんだ。
 『ブラック』シリーズが続いたのは、売れたからに他ならない。売れない本は、消えていく。たまたま売れたから、続いたのだ。シリーズ累計は、10万部に迫っていると聞く。本当に有り難いことである」

 シリーズ累計が9冊で10万部というから、ものすごく売れたことになる。
 教育書では、1万部売れたら、もうベストセラーの部類に入るといわれているので、大変な売れようである。
 それだけ興味をひかれた本であったということになる。
 この一連の本を読んで、救われた先生たちは数多くいるだろうと思われる。
 
 ★
 この本は、「ブラック」というネーミングが惹きつけたものである。
 このような本は、教育界では初めての本。今まで見たこともないものであったことは間違いない。
 なぜ、中村健一先生は、このような本を出すことができたのか。
 私が考えたことはそこであった。

 今までの学校現場を、「家の構造」で喩えてみると次のようになる。

 家の「1階」で先生たちは生活している。
 その中の一部の先生が、「2階」に上がっていく。
 その先生たちは、教育に対する熱意があり、問題意識があって「2階」に上がる。
 その2階で、出されている教育本を盛んに読み、セミナーや研修会に参加し、熱心に勉強をする。
 その先生たちの一部が、今度は「3階」へ上がり、セミナーの講師を務めたり、本を出したりする。

 喩えの話で申し訳ないが、簡単に言うと学校現場は、このような構図になっていたはずである。
 
 この構図の中で、健一先生は、どうしたのか。
 2階へは行ったのである。
 ブラックシリーズには、そのようなことが書いてある。

だが、健一先生は、それから3階へは上がらず、1階へ下り、さらに「地下」へ下りて行ったのではないか。
 その地下で、このブラックシリーズが書かれている。
 私の仮説はこうなる。
 ★
 今まで学校現場に「地下」という発想があったとは誰でもがまったく予測できなかったことなのである。
 健一先生は、「ブラック」と「策略」という言葉と共に地下へ下りていったのである。
 その地下でブラックシリーズは書かれていった。
 なぜ、そんなことができたのか?

 ここには困難校での経験が強くあるのではないか、と私は思われる。
 この困難校で、今まで出されてきた教育本が、ほとんど通用しないという経験をされたのではないだろうか。
 熱意のある先生たちが鬱病になり、休職したり、辞職していったりする現状に健一先生は絶句したはずである。
 ★
 このブラックシリーズで明らかになった、大きな課題が1つある。
 
 今学校現場で、第1のターゲットにすべきは、保護者対応だということ。第2に、子供対応だということである。この順番になる。

 今まで(今も)、学校現場は、文科省や教育委員会の行政によって動いてきた、と先生たちは思ってきたはずである。
 もうそんなものはなくなっている。
 行政が、学校現場を支える存在としては、もはや機能しなくなっている。
 学校現場が抱え込んでいる最大の問題を、もう行政が解決できないのだと分かってきている。

 今、学校現場を動かしているのは、第1に保護者であり、第2に子供たちなのである。
 そこをはっきり健一先生は、このブラックシリーズで明らかにされた。
 私は、画期的なことだと、思った。
 そこをうまく対応できなくては、もう学校現場では生き抜いていけなくなっている。 

 今回のブラック本も、相変わらずの健一節で「策略」を書かれている。
 参考になる実践は多くある。

 それにしても、学級通信を「ほぼ毎日」、昼休みに子供たちと遊ぶのを「ほぼ毎日」というのは恐れ多いことである。
 本来、52歳のベテラン教師ができることではない。

 学級通信は、保護者対応を考えられていること。
 昼休みの遊びは、子供対応を考えられていること。

今、保護者に対して、何を、どのように対応すべきかはこのブラック本から学んでいくべきである。
 「トラブルが起きた時、真っ先に考えなければならないのが、『保護者の怒りを買わないこと』である」
 「『初期対応のポイントは、素早い対応。そして、相手が思うより一段上の対応である』」
 「『気持ちよく終わるためにも、子どもにお灸をすえるためにも、最後は保護者をヨイショして終わろう』」

 これらはすべて保護者対応の極意である。
 
 また、学級崩壊にあわないクラスをつくるというのも、この本から学んでいくことである。
『学級づくりは4月が全て!~最初の1ヶ月死ぬ気でがんばれば、後の11ヶ月は楽である』
 『手を抜くためには、学級崩壊させないことが一番大切だ』
 『学級崩壊は、担任と子どもたちとの人間関係の崩壊なのである』
 『学級崩壊しないためには、教師の笑顔が必要なのだ』

 これらも子供対応の極意である。

 このブラックシリーズが、学校現場に与えてきた刺激は、大変なものだった、と私は思っている。
 この本を読んで、ぜひとも先生方が過酷な学校現場を生き抜いていってほしいと願っている。

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第2回目のオンライン初任講座を開きます~呼びかけです~

 昨年に引き続き、第2回目の「オンライン教師1年目の教室」を開くことになりました。 その呼びかけをつくりました。

  https://syonin-start.peatix.com

 2月から7月までの月1回のオンライン講座です。
 ぜひとも初任の先生に参加いただき、1年間の初任者生活を軌道に乗せてほしいと願っています。
 2月からというのは、4月からでは間に合わない課題を伝えたいためです。

 周りの4月からの初任の先生に呼びかけていただけるとありがたいです。

 初任の先生だけでなく、現役の先生でも、初任者とともに学級経営をもう一度学び直したいと思う先生や、初任者指導に携わる先生方にも、参加いただけるとうれしいことです。 

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つれづれなるままに~コロナは増えているのだ~

●コロナ第8波で、死亡者が増えていることについて、今までその原因について分からないということになっていた。
 
 今回、それについて、専門家が明らかにしている。
 それによると、第7波から第8波へ至る過程で、陽性者の把握の仕方が変わっていて、それが影響をしているという。
 
 つまり、その陽性者把握が今は全数把握になっていなくて、実際は現在の第8波の陽性者は、第7波のときよりも多くなっているということ。
 それでその影響が、高齢者に行って、死者数が多くなっているということ。

 これが専門家の見解である。

 なるほど、現在の第8波の陽性者は、第7波を越えているのか。
 
 確かに年末、年始の人々の往来は、もうコロナを警戒するという身構えがなくなっていた。
すっかり気が緩んでしまっていて、その緩みが一気に陽性者を増やしている。

 さて、学校では3学期が始まっているので、そこでの感染が心配になる。

● 作家の吉本ばななさんが、朝日新聞に話している記事が載っていた。
 
 ★ ★ ★
………………
 最近の本で、「毎日が蜜だ。生きているだけで丸儲けだ。今日が来るのが嬉しい、目を覚ませるのが嬉しい。だいたいの人がみな愛おしい」って書きましたけど(「私と街たち(ほぼ自伝)」、それはほんとうですよ。結局、幸せって、生活の中にあるんだと思います。掃除したり、ごはんをつくったり、洗濯をしたり。そのことじたいが、幸せなことだったということに気づく。だって、みんな年を取るんですからね。いつかだんだん生活ができなくなっている。
 自分で着替えられて、瓶のふたが開けられて。もうそれで幸せなことなんだと思います。きちんと、生活することがいちばんです。
 ★ ★ ★

 何てことはないのだが、「幸せは生活の中にあるのだ」と言い切っている。

 ものごとや人生の本質は、「くりかえし」にある。
 このくりかえしは、生活そのものの中にある。。
 
だから、このくりかえしを生活の中で味わっていくことが幸せということである。

 

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つれづれなるままに~新しい年に~

●新年は、母の死去で喪中である。
 実家に帰ってきた娘と一緒に家族水入らずの新年を静かに迎えている。

 昨年から始めているのが、さまざまなことからの「卒業」である。
 75歳になってからの儀式。

 紅白歌合戦を最後まで見ることからの卒業。
実業団駅伝をずっとテレビで見ることからの卒業。
 毎年の目標を立てることからの卒業。
 さまざまなテレビ番組からの卒業。
 ………………
 笑われる事例が多いのだが、今まで受け身的に続けてきたことをこうして1つ1つ卒業していく。
 そして、私の中にこだわりとして残ってくることで、これから生きていきたい。

  ★
 朝日新聞に毎日掲載される「折々のことば」(鷲田清一)に次のようなことが書かれていたことがある(2018年1月31日)。
★ ★ ★
 生きているそのあいだに、なるたけ多くの「終わり」に触れておく。そのことが、
 人間の生を、いっそう引きしめ、切実に整える…… いしいしんじ

 鷲田さんは次のように解説する。
 「人は自分という存在の始点も終点も知らないし、知りえもしない。自分がどこから
  来てどこへ行くのか。いずれも霧の中だ。でも人の生が「終わり」を孕んでいるの
  は確か。だとすれば、旅にせよ、茶事にせよ、小さな『終わり』をくり返し、『か
  らだの芯へ収める』ことで、中途としての人生にも光が射す。」 
★ ★ ★

 この言葉に触発されて、卒業を考えるようになった。
 いずれ、全ての「終わり」を迎える。
 その前に小さな「終わり」をくり返すことなのだ。

●SEKAI NO OWARI というグループがある。
 いかにも、いかにものグループ名だが、このグループは今までなかなか良い歌をつくっていた。

 それが、今回は「Habit」。
 曲風をがらりと変えてきた。

 レコード大賞にも輝く。
 私も絶対これだなと思っていたが、やはりそうだった。

 ずっと耳について離れない曲。
 その軽快さはなんとも言えず、さわやかなのだ。
 これは何なんだろうと思ってしまう。

 ただ、何を歌っているのか分からない。
 そこでネットで検索してみる。
 
 habitとは、習性、癖。
 人は、何でも区別してしまう習性があるけど、そんな悪い習性は止めようよ、と。
 そんなことを歌っているのであろう。
 
 あまり歌詞に意味があるとは思えない。
 ただ、言葉を組み合わせて、「言葉遊び」風に仕上げ、バックダンスと組み合わせて、その軽快さをつくりあげている。ここなんだな、と思ってしまう。
 
●暮れから1冊の本を読んでいる。
 『ストーリーとしての競争戦略』である。
 著者は、楠木建さん。

 優れた戦略の条件が書かれているのだが、むずかしくよく理解できない(笑)。
 ただ、ところどころでキラリと刺さる言葉がある。
 この楠木さんは、『絶対悲観主義』という本で知ることになった著者である。
 最近もっとも注目している著者の一人になる。
 
この本を読みながら(理解できないながら)、わくわくしてしまう自分がいて、
 「まだまだ自分にこうした好奇心があるんだ!」と発見できて、ちょっとうれしい気持ちになる。

 もしかしたら、今まで自分で提起してきた学級経営のヒントになることが書かれているのではないか、と。
 そんなヒントを知ったからといって、もうどうなるものでもないが、今までの自分の考えをちょっと変えられるかもしれない、という好奇心である。

 「その歳で、そんな本を読んでいる時ではないだろうに?もう残された時間はそんなにないのに!」という声が一方では、自分の中から聞こえてくる。
 
 それはそうなのだが、好奇心があるというのは大切なこと。
 歳をとっていくと、これが無くなっていくのであるから。

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つれづれなるままに~ありがとうございました~

●知り合いより、遠藤豊吉先生の書かれたものを送ってもらった。
 遠藤先生とは、20代の頃多くの影響を受けた先生である。
 
 ★ ★ ★
 わたしが教師生活の第一歩をふみだした岳下村の中学校。ここから10キロ以上もはなれた安達太良の山懐に、戦後入植した人たちの開拓地があった。その開拓地から、わたしの受け持つ学級に一人の女の子がかよっていた。
 彼女は毎朝四時半に起き、朝食を作って食べ、父母が起きたらすぐ食べられるように配膳をととのえて家を出る。週に一度は近所の家から買ってほしいと頼まれた日用品、雑貨の類をはこぶため、大きなかごをせおって登校した。
 冬になると、下校のとちゅうで日が暮れる。開拓地の入り口まで父親が提灯をもってむかえてくれる。父親がふる提灯の明かりを見ると、疲れがいっぺんにふっ飛んでしまうんです、と彼女は言った。成績もよく、中学の3年間を無欠席でとおした。
 嫁にいって子どもも何人かでき、そしてその子も、もうずいぶん大きくなっていることだろう、と、わたしは二十何年か前を思い出している。きっと強い母親になっているだろう。わたしは彼女の今日を想像し、豊かな思いにひたるのである。
 ★ ★ ★

20代の頃、ある雑誌に「遠藤豊吉の場所」というのを書いたことがある。はじめて投稿した原稿。
 今読み返してみると、恥ずかしくてとても読み通せないものである。

 遠藤先生は、亡くなって25年が経っている。73歳であった。
 常に子供を前提にして、こうしてものごとを考えていく先生であった。
 
ひさしぶりに遠藤先生の書かれたものを読んだのである。

●ジャーナリストの田原総一朗氏(88)さんが、次のようなことを書かれているとヤフーニュースが明らかにしている。
 ★ ★ ★
日本教職員組合が今年秋にインターネットで行った調査によると公立の小中学校の教員の実質的な労働時間は平均11時間超。4割以上が休憩時間0分と答えたという。こうした労働環境が子どもの教育に悪い影響を与え、ひいては教員不足につながっている。

 田原氏はこの流れを報じるNHKの記事を引用した上で「教職員が激務でなり手が不足している。経済、安全保障と同じように教育の問題もなんとかしなくてはならない」と、教員不足が日本の将来を左右する重大な問題であることを訴えた。
 ★ ★ ★
 まったくその通り。
 この課題こそが、これからの日本の重大事態なのに、その声がまったく聞こえてこないのはどうしたことだろうか。
 学校が潰れかかっているのに。
 ため息が出てきてしまう。

●川本三郎という評論家がいる。
 その川本さんが、朝日新聞に寄稿されている文章(12/21)に胸を打たれた。「思い出して生きること」という表題。
 奥さんに先立たれて14年が過ぎた、と。
 
 読み進めながら、その文章のうまさに感動する。
 78歳になり、今まで筆一本の物書きと過ごしてこられた、その結果がこの文章には詰まっている。

 文章の最後に、入眠儀式のことを書かれている。

 ★ ★ ★
 ベルイマン監督「野いちご」(57年)の主人公は、今の私と同じ78歳の老人だったが、最後、一日の旅のあと眠りにつくとき、若い頃のことを思い出しながら心を穏やかにした。
 78歳になるいま、私も入眠儀式として、亡き家内とともに猫たちと一緒に暮らしたあの穏やかな日々を思い出している。思い出は老いの身の宝物である。
 ★ ★ ★
   
 私は、とてもこんな心境にはなれない。
 若い頃のことを思い出せば、苦い思い出が浮き出てくる。
 そして今、75歳の身で、まだ走り続けている自分のことを思いながら苦笑いするだけなのである。

 今年は、さまざまな大変なことが一気に押し寄せた1年だった。
 来年こそは、穏やかな1年になることを願っている。
 このブログを読んでもらった皆様、ありがとうございました。

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死体を煮ている~ごんぎつねの場面で~

 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(石井光太著 文藝春秋)を読んでいる。
いろいろ考えさせる、衝撃的な本である。
 読みながら、戸惑っている。

 その箇所は次のこと。
序章の最初に紹介して事例である。
 「『ごんぎつね』の読めない小学生たち」。

 石井さんが都内の公立小学校から講演で呼ばれた折に、国語の授業見学をさせてもらったときのことである。小学校4年生のクラス。
子供たちの発言に耳を疑うような発言が飛び出した、と。

 授業で取り上げられたのは、ごんが兵十の母親の葬儀に出くわす場面。
 教科書はこうなっている。
 ★ ★ ★
 よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表の
 かまどで火をたいています。おおきななべの中では、何かぐずぐずに
 えていました。
 ★ ★ ★

 担任は、生徒たちを班に分けて「鍋で何を煮ているのか」などを話し合わせた、ということ。

 出てきた意見は、次のこと。

 「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
 「私たちの班の意見は違います。もう死んでいるお母さんを消毒しても意味がないです。それより、昔はお墓がなかったので、死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」
「昔もお墓はあったはずです。だって、うちのおばあちゃんのお墓はあるから。でも、昔は焼くところ(火葬場)がないから、お湯で溶かして骨にしてから、お墓に埋めなければならなかったんだと思います」
 「うちの班も同じです。死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたんだと思います」

 石井さんは、次のように書いている。

 「当初、私は生徒たちがふざけて答えているのだと思っていた。だが、8つの班のうち5つの班が、3,4人で話し合った結論として、『死体を煮る』と答えているのだ。みんな真剣な表情で、冗談めかした様子は微塵もない。この学校は1学年4クラスの、学力レベルとしてはごく普通の小学校だ」

 ★
 「おい!おい!」となる。
 ここに書かれていることへの違和感。
 最初「ほんとなのか?」と疑った。
 私が現役でいたときの15年前には、こうした発言を子供たちがすることはまずありえなかった。これは断言できる。
 
 問題は2つ。
 まず、1つ目は、ここでの担任の課題(発問)「鍋で何を煮ているのか?」はひどいものである。
 「ごんぎつね」では、こんなことを問うていくことではない。
 些末なこと。

 2つ目は、子供たちの発言。
 子供たちは勝手に想像して答えている。
 こんな答え方をさせてはならない。

 国語では、文脈を読み取っていくので、「ここでは○○と書かれているので、○○と思います」という発言をさせなくてはならない。
 書かれている文脈を根拠に答えていくのである。

 勝手に想像したことを発言させることは、国語の授業ではない。
 これでは、読解力はつかない。

 それにしても、その想像したことがあまりにも想定を超えている。
 これはなんとしたことか?
 どうしても、ほんとうなのかというのが疑念として残る。

 石井さんは、次のように答える。

 ★ ★ ★
 おそらく私にとって初めてのことなら、苦笑いして流していただろう。だが、似たような場面に出くわしたのは一度や二度ではなかった。
 ★ ★ ★

 石井さんは、この10数年ほど毎月、全国のいろんな教育機関を訪れ、実際に授業に参加させてもらったり、教員や保護者と語りあったりしている。そこで、たびたび同様なことを目撃していた、と。

 また、講演会が終わって、校長室でこの「ごんぎつね」についての校長の話が書かれている。30年以上の教員経験があり、国語を専門にしている校長。

 ★ ★ ★
 今日のケースは少々極端でしたが、最近は多かれ少なかれあのような意見が出るのは普通です。教員もそれをわかっているので、先ほどの授業でも班になって話し合わせたのでしょう。それでもああいう回答になってしまったようですが……。残念ながら、似たようなことは、私も他の学校でしばしば経験してきました。
 ★ ★ ★
 「おい、おい、おい!」と言うことになる。

 現場は大きく変わっているのだ、と。
 もしこのようなことが普通に起こっているとしたら、子供たちの中で大きな地殻変動が起こっていると、判断する。

 この原因を、石井さんは、国語力の低下だと考え、それを追及をした本がこの書なのである。
 
 私は戸惑っている。皆さんはどうだろうか。

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戦い終えて日が暮れて

 日本中を歓喜の渦に巻き込んだ日本サッカーの躍進は、もう何度もテレビで取り上げられている。
 クロアチアにはPKで負けてしまったが、今回の活躍はすばらしいものであった。
 
 今回のドイツ、スペインの逆転勝ちの筋道は、専門家の説明で分かってきた。
 
 前半を守備で耐えて、後半を攻撃型の堂安、三苫等を入れて勝負に出るという作戦だった、と。

 前半では、確かに1点しか取られていない。
 それで良しという作戦だったのである。

 今回のサッカーを見ながら、印象に残ったことが2つあった。

 1つ目は、やはり海外に出て行かねばならないということ。

 2つ目は、少年サッカーチームに夢を与えたこと。

 1つ目は、今回のチームは、ほとんどが海外組の選手で構成されている。
 選手たちが海外へ行くことにより、海外のチームでもまれていく。
 そのことが日本サッカーのレベルを確実に上げている。
 
 はっきりしたのは、野球でもサッカーでも陸上でも、世界で通用するようになるには、やはり海外へ行かねば強くならないということである。

 2つ目の夢のあること。
 マスコミでは、田中選手と三苫選手のことが話題になっている。
 2人とも川崎市の少年サッカーチーム「さぎぬまSC」からJ1川崎フロンターレの下部組織に入り、歩みを共にした。
 
 そのことで「僕たちも少年サッカーチームでがんばればあんな選手になれるんだ!」という夢を持たせている。
 これは夢にしか過ぎないが、こうして憧れをもてるというのはすごいことである。
子供の時に、夢中になる何かを持てることは、後々の人生に確実に生きてくるからである。
 ★
しかし、その夢は、あくまでも夢にしか過ぎない。

 確かな情報ではないが、野球でプロになる選手は、野球をやっている人の9万人に1人と。
 サッカーでプロになる選手は、サッカーをやっている選手の7万人に1人だとかつて聞いてことがある。真偽は、分からない。
 確かだとすると、途方もないことである。
 そうしてプロになったとしても成功するとは限らない。
 
 確かな数字では、野球では、2021年度の高校3年硬式野球部員は43968人で、ドラフト会議で支配下選手として指名されたのは30人だった、と。

 まあ、そこらあたりの野球チームやサッカーチームでやっている子供たちが、プロに這い上がっていくのはありえないと思った方がいい。
 身も蓋もない言い方だが、子供たちは「プロになりたい!」と夢を持つが親の方は冷静でなくてはならない。
 そんな冷静さをもたないで、親の方が夢中になってしまって、子供の人生を潰してしまうことが往々にしてあるからである。
 そんな親を何人も見てきた。
 「野球さえやっておけばいい」「サッカーさえやっておけばいい」
 こんな考えを子供に持たせてはならない。
 ★
 強くなるためには、海外へいかねばならないと書いた。
 日本の中で「お山の大将」になっているうちは、もうそれまでである。
 
 経営学者の楠木建さんは、次のように書いている。
 ★ ★ ★
 日本を代表する経営コンサルタントの大前研一さんから教わった名言に
 「人間が変わる方法は、時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変える、この3つしかない。もっとも意味がないのが『決意を新たにすること』だ」というのがあります。(『三位一体の経営』ダイヤモンド社)
 ★ ★ ★
 要するに、自分の環境を変え、自分の時間を変えていくことである。
 海外へ行った選手たちは、これを行ったわけである。
 
 大前研一さんの言葉は極めて示唆的である。

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全員参加の授業が、こうしてつくられている!(2)

 
  全員参加の授業が、こうしてつくられている!(2)
               ~中学校の社会科授業~

 ぜひとも、くわしく知りたくなったので、山中先生に「もう少し教えてください」と連絡をした。
 すぐに連絡が返ってきた。
 このような授業をつくられたきっかけが書かれていた。

  「教職15年ぐらいで荒れた学校に勤務していた時に、授業を大き
  く変えなければだめだと実感しました。
   まずは、生徒を授業中イスに座らせるためにはどうすればいいか
  を考えました。生徒を全員参加させるためにはどうすればいいかを
  考えました。」

 そこで考え出されたことは次のこと。

 1 楽しくしたら、まずは授業に参加するだろう
 2 50分間は無理なので、10分間ぐらいは集中するだろう
 3 やんちゃな生徒も実はほめられたいのではないか
 4 やんちゃな生徒も認められたいのではないか
 5 ほめることと認めることを見える化するためにはどうすればいいか
 6 ほめられたことを見える化して、それがどんどんたまっていけば
  うれしいのではないか
 7 じっと座っていないのであれば、短い時間だけでも活動を取り入れ
  たらいいんじゃないか

 毎時間楽しくするという課題は、小学校の教師にとってはむずかしいことである。中学校の先生は、1教科を教えればいいので、教材研究ができれば
この工夫ができる。
「ほめる」「認める」の見える化はおもしろい。
やんちゃな生徒でも、ほめられたい、認められたいというのは当たり前のことである。
活動を入れるというのも、「味噌汁・ご飯」授業と合致する。


 山中先生が、その結果、考え出された授業が次のようなもの。

 1 説明を面白く分かりやすくなるようにした。
 
 2 教科書を使って探す、考えさせるような全員ができる課題を出すようにした。
 
 3 50分間の中で、1回は逆転現象が起きるような発問をした。社会科
   的な思考を促す発問。どうなると思う、どうしてかな、なぜだろうなど。

註 野中
  これはレベルが高い技量である。若い先生たちは、この技量を最初 は持てない。
 それでも、「教科書を使って探す、考えさせる課題」というのはいい。さまざまな資料を使って課題を考えさせるようにすると、学習遅進児は、ついていけない。

 4 10分間に1回課題を出して、机間巡視をしながら生徒がノートに書い た答えをチェックしていく、その時に、一人一人にシールをあげる。

 5 このシールは色分けをして、社会科の評価の4観点とリンクしている。
 
 6 社会的思考の問題は、金シールや銀シールなど評価を差別化している。こうすることで、勉強が苦手な生徒でも金シールをもらえるチャンスが生まれる。

 7 生徒はもらったシールを自分もシールカードに張り替えていく。

 8 宿題は、だれでもいつでもできる課題をプリントにしていく。
 
 9 家庭学習は、授業中に疑問を投げかけて調べ学習のヒントを与えている。
  最近では、「日本語を公用語として使っているパラオという国について調べよう」

 10 全員が参加できるように、社会科クイズを必ずする。「解体新書」を何年かかって書き上げたでしょうか。A 2年 B 4年 C 6年 など3択 で  す。
 11 宿題も自学ノートも提出すれば、シールをもらえる。努力によって金シ ールが何枚ももらえる。
 12 このシールカードを評価の材料にしている。

 
   これが「ほめる」「認める」の見える化である。
  このために、色分けのシールを使われている。
ここが工夫されていることになる。
「シールで生徒をつっている」「ごほうびをあげて生徒を引き付けるのはよくない」などの批判を受けたこともあり、そんな先生に
は、次のような質問をしてきたということである。
「先生の社会科授業では、生徒は全員参加しているのですよね」「その方法を具体的に教えてください」と。
具体的な授業を提案されている。そのための批判をするためには、代わりに具体的な授業を提案しなければならない。それが現場で生き
るということである。
  教育にとって、ベストの方法はない。つねに、ベターの方法である。目の前の生徒、しかも荒れている生徒たちを含めて全員参加させるため
には、どのような方法があるのか、その課題に対して考え出された方法である。
 

13 課題が難しければ、3分程度の交流をさせて仲間から教えてもらう時間
を設ける。

 14 ノートは左側にプリントを貼り、右側には板書をうつさせている。
 
 15 教科書中心の授業づくりだが、短い動画資料や写真資料を使う。

 16 フリータイムという自分の考えをどんどん言わせる時間を設けている.
3分程度。

 17 地名探しや色塗りなど誰でもできる課題を出す。

 18 プリントは、授業中は「ステップ1 」だけをやり、余裕がある生徒は「ステップ2」「3」「4」と進める。

 19 定期テストも教科書とノートと学習プリントからしか出題しない。こう することでテスト勉強がしやすくなる。

 20 1つの単元が終わると、「3問テスト」をする。前時の学習用語を確認 するテストである。私が問題を読み上げて、生徒はノートの上のほうに   答えを3つ書く。出題する前に「ダウトカード」をやっている。5 ~6  枚程度のカードに学習用語を書いている。そのカードを見せながら読み 上げさせる。中にはわざと間違ったカードが入っているので、その時は、 生徒は「ダウト」と叫ぶ。まあ、フラッシュカードみたいなもの。導入 を楽しくする、授業にテンポをつくる工夫。


さまざまな工夫がなされている。
全てが全員参加のための工夫である。
それに小刻みに課題が提出されていくので、生徒たちにとっては暇な時間がないわけである。
定期テストが、教科書とノートと学習プリントから出されるというのもとても分かりやすいことである。教科書をマスターしていれば
100点ということである。
「教えられたこと」から出題されるわけであるから、生徒たちは何を勉強すればいいかが分かるということになる。


 実際には、「社会科授業心得」や子供のノート、シールなどもっとくわしく載っているプリントが送られてきている。
ここで山中先生の授業を、特に紹介したいと思ったのはわけがある。

1 中学校の社会科の先生なのである。
 不遜な言い方だが、私が抱いていた中学校の先生たちに対する思いは、
「授業」にそんなに比重をかけられていないのではないかということ。
(そうではない先生たちもいっぱいいるのだが)
 部活や行事などへの比重が多いのではないかと思っていたわけである。
ところが、山中先生は、荒れた学校での経験から、このような授業を生み出されている。

2 小学校で、荒れた学校経験をしている先生たちはいっぱいいるのだが、 「子供が大変だ!」「親が大変だ!」と愚痴が並べられる。それはいい。
だが、1時間から6時間まである授業をどう変えていくかが工夫されている のかということになる。
 確かに教材研究の時間は、中学校よりもない。
 でも、世界で一番労働時間が多い、日本の中学校の先生がこうした工夫をされているというのは注目に値するはずである。

3 私が最初に注目したのは、繰り返しになるが、「味噌汁・ご飯」授業と実践が似ていることであった。どこが似ているのか。

①すべてが「日常授業」としてなされていること。
②全員参加の方法が取られていること。
③教科書を中心として扱われていること。
④授業の課題は、小刻みで、活動を加えながら、スピード・テンポ
 を大事にされていること。

 結局、「日常授業」をどのように改善していくかとなると、こうなっていくはずである。その具体化が示されている。

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全員参加の授業をこうしてつくられている!(1)

  全員参加の授業をこうしてつくられている!(1)
                ~中学校の社会科の授業~

 松森先生の本で全員参加授業について取り上げておられる。
 重要なテーマである。
 それについて、以前(2020.6.24,7.6)に2回に分けて山中太先生の社会科の授業を紹介しておいた。
 ぜひもう一度紹介しておきたいという気持ちになった。

 山中先生は、中学の社会科の先生。
 かつて荒れた学校に勤務されていたときに授業を大きく変えなければならないということになった、と。
 そこで考え出された授業が、全員参加の授業であった。
 これは、小学校の先生たちにもおおいに参考になるものである。
 かつてのブログの記事を少し変更しながら、もう一度紹介しておきたい。


「えっ、これは『味噌汁・ご飯』授業が目指してきた授業じゃないか!」
 というのが最初の感想。

 長崎の山中太先生のFB(旧フェイスブック)である。
 中学校の社会科の先生である。
 知り合い。
 一度、福岡で講座をもったときに長崎から駆けつけてこられて、お会いしたことがある。

 こんな授業を示されている。

 ★ ★ ★
 全員参加の授業づくりを行っています。勉強が苦手な生徒も楽しく参加できるような工夫を取り入れています。例えばこんなことです。

 ①授業を10分の5セットとして考えて,いろいろな課題を与えて,その都度一人一人を評価しています。
 ②誰でもできる課題を与えます。(地名探し,色塗り作業,気づきを書く)
 ③苦手な生徒でも高い評価がもらえるような課題を出します。(知識よりも発想力,想像力を評価します。いわゆる逆転現象を起こす課題です)
 ④授業のテンポが鈍ったらクイズを出題します。
 ⑤課題が早く終わった生徒はステップアップ課題に取りくむようにしています。

 
 社会科の授業が終わる頃,「えっ,もう終わり?」という声が聞こえてきます。ゲームに慣れきっている生徒を授業に乗せるために,いろいろな工夫が必要だと思います。とにかく50分間だまってイスに座らせ,じっと教師の説明を聞かせ,ひたすらドリルを解かせるなんて授業をしている教師は,まだいるのでしょうか。
★ ★ ★
 どんな授業になるのか。
 別のところで、初任者に見せた授業の内容を公開されている。
★ ★ ★
 単元は「乾燥帯の特色」。
 モンゴルのステッでの暮らしを学ぶというもの。

 ①地図帳でモンゴルの位置を確認させる。
 ②ステップの写真を見せて気づきを発表させる。
 ③ゲルという移動式の住居の特徴を教える。
 ④ゲルを組み立てるためにはどれぐらいの時間がかかるかクイズを解かせ  る。
 ⑤どうして移動式の住居なのかを考えさせる。
 ⑥夏は山の上→秋は草原→冬は丘に囲まれた低地という遊牧の流れを知る。
 ⑦どうして冬は,丘に囲まれた低地に住むのかを考えさせる。
 ⑧現在のゲルの写真を見る(ソーラーパネル,パラボラアンテナ,オート  バイがあること)
 ⑨どうして遊牧にオートバイが必要なのかを考えさせる。
 ⑩遊牧の生活の変化を理解させる。
 ⑪確認テスト

という流れでした。

いくつもの小さな課題に取り組ませ,その都度,個々の生徒をフォローしていくのが,私の授業の流れです。
意識していることは,テンポです。テンポ授業を進めて生徒をのせてしまうのです。

初任者の感想です。
「疾走感があるのに,すべての生徒が授業についてきているのに驚きました。」

 ★ ★ ★

 私は、「小刻み学習法」と名付けていることである。
 これが、具体的に、こうして、しかも中学校の授業で実現されている。
 何とも感激する提案である。(つづく)

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