つれづれなるままに~童心先生からうれしいお知らせ~

●童心先生からコメントが入りました。
 うれしい、うれしいことでした。
★ ★ ★
 野中先生、ご無沙汰しております。その節は、色々とありがとうございました。

 今年は初担任の時と同じ2年生を担任してきましたが、時々小さなトラブルはあるものの、同学年の先生から「(私の)クラスはとても落ち着いているね」と言ってもらえるくらい、それなりに上手く学級づくりを行うことができています。
 そして次年度より、正式に本務教員として採用されることになりました。

 学校現場に入って数年。なかなか花が咲かない日々でしたが、その分、私の根はしっかりと育ち、今の自分を支えているような気がします。

 へっぽこ教員の私ですが、自分が苦労した分、同じように悩み苦しむ後輩達の支えになれるように、頑張っていきたいと思っています。野中先生のさらなる御健勝を祈りつつ……


 ★ ★ ★
 童心先生は、これまで非常勤の講師として大変な苦労を重ねてきました。
 それは、このブログでも取り上げていきました。

 しかし、必ず這い上がっていくのですよ。
それに感心しました。

 次年度は、本務教員として採用されるということ。
 うれしいことですね。

 きっとこれまでの苦労が生かされていくはずです。
 良かったなあ。


●「味噌汁・ご飯」授業研究会の会長である秦安彦先生が、フェイスブックに次のようなことを書いておられる。
 ★ ★ ★
コロナ禍で小学校教師が苦労したこと
コロナ禍で小学校教師が苦労したこと。
これを多くの先生に聴いてみた。
かなりの先生が次のように答えた。
「分散登校中に課題を出したが、そのできが今一つでした」
「結局個人差が大きく、課題を出したところを今一度学校でやり直す必要がありました」
・・・きっと、その通りなのだと思う。
が、その原因を家庭に求めてはいけないというのが、私の考えだ。
 
結局、多くの子供たちにまだまだ自学力がついていなかった。
いや、学校がまだまだ自学力をつけていなかった。
私はそう考えている。
ここで「自学力」を再度定義しなくてはならないだろう。
私は、「教科書程度のテキストを自力で読み取る力」と定義したい。
その程度の力があれば、少なくとも算数教科書を自力で読み、問題を解くことができるはずだ。
その程度の力を学校がすべての子供たちに十分つけてこなかったことが問題なのだ。
コロナ禍中にある今、多くの教室で「おしゃべり授業」が増えている。
原因はいろいろだろう。
中でも、マスクで子供の表情が見えないことは最大の原因かもしれない。
教師の言葉が伝わっているかマスクが邪魔をして表情から読み取りにくくなっているのだ。
「伝わっていないかも」
と焦る教師は、さらに丁寧に説明しようとして「おしゃべり授業」に陥ってしまう。
私はそのようなことが増えていると多くの教室を実際にのぞいて感じている。
では、どうすればよいか。
教師が懇切丁寧に説明するのではなく、子供が自ら読み、そして問題を解く力をつければよいのである。
私はおよそそのように考えている。
 ★ ★ ★

 大事な指摘をされている。
学校現場の状況がよく伝わってくる。

 「教科書程度のテキストを自力で読み取る力」をつけることの提案。
 実際に秦先生が指導されている初任者が、子供たちに算数の教科書を自力で読み取って、極めて高い成績をあげている事例を聞いている。
 決してできないことではない。

 このような視点が、今まで私たち教師になかったのである。
 この主体的な学習のあり方は、今推奨されていることではないか。

 だが、現実は、新井紀子先生の指摘にもあるように、教科書の読解さえもままならない状況に陥っている。
 カリキュラムの消化に追われて、そんなことを言っていられないということであろう。

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日本人に決定的に欠けていること

 五輪組織委・有識者懇談会メンバーのデービット・アトキンソン氏の話は、深くうなずけることであった(朝日新聞2/23日朝刊)。
 氏は、組織委で大会コンセプトを作っているときに、一番難しいかったのは、日本人が考える「日本」がほとんど理想論だったことだと、言われている。

 「多様性と調和」というコンセプトについて、会議では「日本は世界一寛容な国」という人がいた、と。
 日本はどんな文化でも取り入れて、日本は多神教で海外は一神教だとか。

 ところが氏は、日本は、寛容な面はたくさんあるが、夫婦別姓も認めないし、移民にはかなり厳しいし、難民は受け入れない。寛容と言えるのかと、会議では議論になった、と。
日本人は思い込みや俗説が多い。専門家に確認しない、検証しない、厳しく言えば、プロ意識が低い面があることは共通している、と。

 そして、氏は、次のように指摘される。

「日本の決定的な問題は、クリティカルシンキング(批判的思考法)が充分にできていないこと。これは、仮説を立てて、ロジックを分解し、データで検証し、結論を出すもの。
 大学の問題が大きい。クリティカルシンキングができるようになるのは大学生の年齢。人間というものは勝手な思い込みをする生き物なので、それをなくす大学教育が発達した。
 大学の4年間、先生とのやりとりで、思い込みで発言したら、根拠はなんですか?評価に客観性はありますか?と聞いて答えさせる。日本の大学はそれが十分できていない。」

 ★
 こんなデービット氏の意見を聞きながら、苅谷剛彦氏の『コロナ後の教育へ』(中公新書ラクレ)を思い出した。
 苅谷氏は、今オックスフォード大学教授。
 このデービット氏も、オックスフォード大で日本学を学んでおられるのである。
 
 この『コロナ後の教育へ』という本は、日本の教育政策を根底から批判したもので別に考えたいものである。

 この本で、苅谷氏は、オックスフォード大学の教育について書いているところがある。

 「……The Oxford Tutorial  という本がある。オックスフォード大学で実際に行われているチュートリアルと呼ばれる教授・学習法についての一種の解説書だ。ここでは、チュートリアルという具体的な教育実践が、学生たちに批判的思考力を付けさせていることを、具体から抽象して論じている。長年にわたって続けてきた教育方法が、どのような成果をあげてきたか。それら現実(現場)の経験〓実績から、抽象度を上げることで、そこで何が行われてきたか、そこにどんな意味があるかが論じられる。」

 チュートリアルとは、どのような教授・学習法なのか?

「ちなみに、チュートリアルとは、教師による徹底した押し付け型の教育だ。読む文献もエッセイの課題も教師が決める。そして毎週十数冊の文献を学生に読ませ、教師が与えた課題に答えるための十数ページのエッセイを書かせる。そのうえで、週1回1時間、教師が学生にエッセイに見られる弱点を指摘し、学生がそれをディフェンスする。学生の側からみれば、チュートリアルの時間を除きほとんどの学習は無言で行われる。大量の文献を読むことも大部のエッセイを書くこともなく、自分の意見を自由に述べるだけの授業とは大局的な学習だ。見た目だけでは、パッシブな学習である。それでも、それが批判的思考力を鍛えるうえで有効なことを教師も学生も知っている。つまり帰納的に理解している。だから、どんな時代が来ようと、それを変える必要はないと判断される(読む文献やエッセイの課題は変わっていくが)。」

 苅谷氏は、オックスフォード大学の学習法が、アクティブ・ラーニングとは対極にある学習法であることを指摘されている。
 
 日本の大学教育では、とてもできることではないと思われる。
 しかし、オックスフォード大学では、こうして学生たちに批判的思考力を身に付けさせている。
 実際に、それを身に付けたデービット氏は、日本の致命的な問題を、その批判的思考法なのだと指摘されている。
どうだろうか?

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つれづれなるままに~高田郁さんの小説を読む~

●東北地方の地震は、規模的には阪神淡路大震災と同じだったという報道である。
 私が住んでいるところでも、震度4であった。
 震度3まではいつものことだが、さすがに震度4になると、その揺れ方が大変である。
 一瞬、直下が来たのではないかと身構える。

 今回の地震は、規模的には大きかったのだが、1人も死者を出さなかったのは、たいしたものである。もちろん、時間が夜の11時7分だったということも幸いした。もし日中に起こっていたら、もっと災害は大きくなったであろう。

 それにしても、3.11を経験した宮城、福島の人たちは、たいしたもの。地震への備えも防備もできている。

●長崎の中学校の山中先生が、フェイスブックに次のように書かれている。

 ★ ★ ★
市内の中学校での研究テーマのほとんどが「学力向上」に関するものです。しかし,現状を見ると学級経営がうまくいっていない学校が多いのではないかと密かに思っています。小さいトラブルが多発している,長期欠席生徒が多い,授業中騒がしい,臨時の学年集会がちょくちょく開かれるなどの原因は学級集団づくりにあると思うのです。これらすべて学級担任の責任ではありません。副担任の責任もあります。学校全体の責任でもあります。授業は公開できますが,学級経営は公開することが難しいです。学級は公開しても,その哲学や技術などは見えません。そこで,全職員で学級経営について学ぶことが大切だと思うのです。校内の研究テーマを学力向上に固執しないで,学級経営に重きを置いたほうが現実的です。学級が安心できる,安定している場所であれば,学力も向上すると考えているのです。現在,研究主任として来年度のテーマを考えていますが,「よりより生徒集団づくりを目指して」などのような学級経営に関するテーマにしようと目論んでいます。
 ★ ★ ★

 ちょっと驚いたのは、中学校で学級経営が大きなテーマになること。
 
 本来ならば、小学校でこの学級経営に正面から向き合わなければならない時代にきているのに、学級経営を中学校で問題にされているのである。

 中学校は、教科ごとに先生が替わっていくために、なかなか学級経営というテーマになりにくいのではないだろうかと考えてきた。
 しかし、それでも担任が学級をつくるわけである。
 その学級経営が問われる。
 ★
 今では学級経営は、ほとんど担任の個人的な思いでやられている。
 学級経営の考え方が、先生によって異なるからである。

 それは、学級経営が「学級における担任の全ての仕事」に関わるということから、その違いが生まれる。

 3,40年前は、学級で授業さえやっておけば学級は成り立っていた。
 1年の中で、大きな学校行事をこなしながら、学年行事を進めて、その合間に授業をしていくという流れで学校はほとんど成り立っていた。

 しかし、この20年の間に、もはや授業だけでは子供たちに対応できない時代になってきたのである。
 学級経営が問われる時代になったのだと考えている。
 ★
 私は、学級経営を次のように考えている。
 ①関係づくり(縦糸・横糸)
 ②学級づくり(仕組みづくり、ルールづくりなど)
 ③学習指導(日常授業、全員参加など)
 ④生活指導(いじめ指導など)
 ⑤連携・協力(危機対応、保護者対応など)
 ⑥環境整備(教室設営、行事対応など)

 3,40年前までは、③だけが強調されていた。
 今では、もう「ごちそう授業」を追究する時代ではなく、「日常授業」をどれだけ豊かにしていくかが問われる時代になっている。そのように主張してきた。
 授業の重みがなくなったわけではなく、向けるべき視点が変わってきたのである。
 
 18年前に最初の本(『困難な時代を生き抜く教師の仕事術』学事出版)を出したときには、②の「学級づくり」の必要性を強調した。それは今でもそうである。
 しかし、今では学級経営全体が問われている。
 とくに、①関係づくりの視点をきちんともたなければ、もはや今どきの子供たちに対応できなくなっている。
 
そうしなければ、学級崩壊が多発し、学校崩壊になっていく時代に対応できない。私はそう考えている。

●『あきない世傳 金と銀 十』(高田郁著 角川春樹事務所)を読んでいる。
 このシリーズを愛読している。
 高田さんの小説は「みおつくし料理帖」から愛読している。

 この十作目もおもしろかった。
 二度読み返している。こんなことはなかなかない。

 高田さんの特徴は、情景描写のうまさである。

 たとえば、書き出しは次のようになる。

 ★ ★ ★
 薄縹(うすはなだ)の空に、仄かな鴇色が朝焼けの名残を留める。
 辺りに麗らかな陽射しが溢れるまで、今少し、刻があった。
 如月、晦日。
 初午に針供養、涅槃会も過ぎて、浅草広小路へと続く表通りには、何処となく長閑な気配が漂う。時折、ちょんちょん、と聞こえる音、あれは花売りの老女が鋏を鳴らす音だった。
 ★ ★ ★

江戸時代の、その情景が浮かび上がってくる。
 うまいなあ、と。

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開墾した農園に子供たち招待~「下りの走り」ということ~

 親しい知り合いの投稿が、読者のコーナーに載った。
 「えっ~~」とびっくり。
 朝日新聞。2021年の1月1日。

 ★ ★ ★
  開墾した農園に子供たち招待

                   小学校非常勤教員 高橋定雄
                   (神奈川 69)

 偶然にも近所で開墾できる土地を借りられることになった。畑と田んぼの候補地計2千平方メートル。元々田んぼだったという湿地は35年間、放置されたまま。原野に近い。
 日当たりが悪いため、大きな梅の木を2本切り倒し、枝を払って整理した。周りの竹林や森林も伐採して日当たりを改善し、湿地帯から田んぼに戻す準備をしている。
 私は秋田県の農家の長男として育ち、52年前に横浜市へ出てきた。小学校教員をしながら、市民菜園を20年間続け、退職後は本格的に農業従事者になりたいと思っていた。
 今年は借りた自分の土地を開墾し、一から農業に従事できる記念の年だ。地域の小学校の父親によるボランティア組織「おやじの会」も仲間に入れたいし、子供たちのサツマイモ畑も作ろう。
 昔ながらの脱穀機や風を起こして籾とゴミなどを分けるもみすりなど、伝統的な器具を使い、いくつかの手を通して稲作りに挑戦しよう。近隣の小学生に農業の出前授業もしたい。そうだ、いっそ「さだお農園」に小学生を招待しようか。夢は膨らむ。

 ★ ★ ★

 「定雄さん」と呼んでいる。
 その定雄さんと知り合いになったのは、横浜教職員走友会でのこと。
 私も40歳から50歳までの10年間を、市民ランナーとして過ごしたのである。1年に1回ずつ10回のフルマラソンを走った。
 定雄さんは、サブスリーランナーであった。
 サブスリーとは、フルマラソンで3時間を切るランナーのことであるが、市民ランナーの2万人に1人ぐらいだと言われている。
 副校長や校長時代もずっと走り続けた。
 朝起きて走り、学校へも走って行くのである。
 校長時代には、学校の子供たちを各地の駅伝大会に連れて行って、活躍をさせている。学校を陸上学校にしている。

 しかし、数年前に急に膝が痛くなり、走れなくなった。膝の難しい病気である。
 走りすぎたのである。
 現役ランナーのときは、月に600キロ、700キロを走っていたのである。ちょっとしたプロのランナーと同じである。

 走れないと悩んでいると思いきや、なんと、こうして「さだお農園」を開墾している。したたかな人である。
 校長を退職後も、初任者指導をしたり、困っている先生の手助けに駆けつけたり、林間学校などの手伝いをしたり、学校の農園の手伝いをしたり、……と大忙しなのである。その合間に、こうして農園を切り開いている。
 ★
 ものごとには、「行き」と「帰り」がある。
 往路と帰路。
 マラソンでも、往路と復路があるのと同じ。
 人生がまさしくそうである。

 私たち走友会も、「上りの走り」と「下りの走り」という言い方をしていた。上りの走りは、記録や距離を目指した走りをすること。
 下りの走りとは、もうそういうことを目指せなくなったときの走りである。

 実際に、定雄さんみたいに走れなくなることもある。
 私は、50歳でぷっつりとレースに出ることを止めた。
 残された60歳までの10年間、教師の仕事に専念したいと思ったからである。学校現場は、荒れてきて学級崩壊が増えていた。これから大変なことになるなあという思いがしたからである。

 この定雄さんの投稿を見て、「なるほどなあ、こういう『下りの走り』があったんだ!」と。
実際に走ることだけが「下りの走り」ではない。

 そう考えると、誰でもが「下りの走り」をすることになる。
 その人の真価は、この「下りの走り」で決まってくる。
 そのためには、「上りの走り」をどのようにやったかにかかってくるのであろう。

 ★
 私は、走友会の会合や練習会にはもう顔を出すことはないが、まだまだ実際に走っている。まだ、ランナーなのである。
 家の中を30分走る(笑)。4:30からのジョギング。
 熊みたいに同じ所をぐるぐる走る。
 ちゃんとしたコースも設定している(笑)。
 私の家は豪邸であるから(?)。
 
 定雄さんの「下りの走り」は、私たちを励ましてくれる。
 何にでも、どこにでも、やろうと思えば、生き方はついてくる。
 考え方次第なのだ。
           

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つれづれなるままに~『教師1年目の教科書』が5版になりました~

●以下のニュースが出てきた。

 小学校教員の競争率、過去最低 19年度採用試験、2.7倍

小学校の教員採用試験の競争率
 都道府県教育委員会などが2019年度に実施した公立小学校の教員採用試験で、競争率の全国平均は2.7倍と過去最低だったことが2日、文部科学省の調査で分かった。バブル景気の影響で民間就職が好調だった1991年度を下回った。2倍を切ったのは、採用試験を合同で行った広島県・広島市を一つと数えて計12自治体となり、前年度より2増えた。

 1倍台の都道府県は、山形、福島、富山、山梨、山口、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎の各県と、北九州市、合同で採用している広島県と広島市の13自治体。

 中学校と高校も、採用倍率の前年度を下回り、それぞれ5.0倍と6.1倍になっている。

 ★
 学校が「ブラック学校」になっている情報は、もう明らかになり、その内容が伝わっているのである。
 仕事量は、世界一。その過酷さは、半端ではない。
 
 働き方改革は期待させたが、このコロナ禍で吹っ飛んでしまった。

 こんなところを学生が希望しないのである。
 それが採用倍率になっている。

 35人学級になったことは明るいニュース。
 5,6年の教科担任制も明るいニュース。
 だが、教科担任制は、実践試行校ではあまりうまく行っていないとも聞いている。

 しかし、この程度で仕事量は変わりはしない。
 文科省もがんばっているが、もっと抜本的に何とかしないと、どんどん教師になる人がいなくなっていく。

 また、非常勤の先生たちの不足も深刻である。
 担任の先生が病気になったり、不足したりした場合、それを補う先生がいないのである。

 こうして学校は、足元から崩れ去っていっている。
採用が極端に少なくなったとき、どうなるのだろうか。
 
 とにかく、早く早く先生たちの過酷な状況が改められる抜本的な改革を提起しなければどうにもならなくなるのではないか。
 
●『教師1年目の教科書』(学陽書房)が5版になる。
 売れている。ありがたいことである。
 口コミで広がっている。
 買っていただいた方、ありがとうございます。
 
 これは、初任者用に出版されたものだが、私は決してそう思っていない。
 これは、3年目までに身に付けておく若い先生のための基礎・基本の本である。
 もちろん、野中が考えている基礎・基本である。
 しかし、こんな発想で出されている本はないのではないだろうか。

 これを身に付けなければ、それ以上に力をつけていくことはむずかしい。
 これがほとんどの先生は我流になってしまっている。
 
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●土曜日は、6:30からの寅さんの映画を見る。
 これは以前にも書いたことだが、毎週この映画を楽しみにしている。

 見始めは、単なるお笑いの、ワンパターンの映画としてしか思っていなかった。それでも、ずっと土曜日ごとに見ていると、そうはいかないことが分かってきた。
 ここには、寅さんを通しての、山田洋次監督の人間に対する思いが込められている。

 甥の満男が小さい頃から大学生にまで成長していく過程で、寅さんと接近する。
 「おじさん、人間は何で生きているの?」など、誰も口にしなくなったこんな原初的な問いかけをするわけである。
 それに寅さんは、うまいこと答えていくわけである。

この映画を見て、「ああっ、1週間が終わったなあ!」という感じになる。

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つれづれなるままに~学級崩壊が増えている~

●高校で現役の英語教師をしている姪が、フェイスブックで次のように書いている。

【共通テスト 英語】
・解いたけどまた今年も満点取れず。受験生の集中力はすごい。
・世で騒がれているほど難化はしなかったがそもそも形式も配点も今までと全然違うのでショックは大きくて当然かと。
・リスニングは聴かなくても一般常識で正解できる問題がたくさん。(北欧のヒュッゲの話なんて想像だけで解ける。)
・そもそもみなさん、文法四択とか発音アクセントが今年からなくなったことを知っていますか。そんなこまかい部分は問わなくなったのです!より、大量の文章をさーっと読める能力が求められている。
・そしてかつて200:50点だったリーディングとリスニングが100:100点になった。
ちなみに共通テストの話題からは離れるけど外大は今年に限って二次試験を150分から90分に短縮する。うーん、それじゃ普通の大学と同じになっちゃうなあ。

 私は、今から国語に挑戦してみることにしよう。

●神戸新聞に、次のような記事が出る。

授業中に徘徊、教師を罵倒…コロナで行事縮小など影響?荒れる子どもら「学級崩壊」
1/22(金) 8:30配信
神戸新聞NEXT
★ ★ ★
「子どもが通う小学校が学年崩壊しています」。冬休み前、神戸市内の母親から神戸新聞報道部に悲痛な電話が寄せられた。児童が授業中に歩き回り、注意されると先生を罵倒する。授業は成立せず、登校できなくなった児童もいる-。新型コロナウイルス感染症による長期休校や、行事の縮小・中止、詰め込み授業が続いた2020年度。児童・生徒への影響を指摘する声も専門家や保護者からは上がっており、“崩壊”の背景や再生の手だてを探った。(斉藤絵実、鈴木久仁子)

 今回、神戸新聞に電話をくれた母親や当該校の校長によると、学級崩壊に陥っているのは、高学年の複数のクラス。

 約1年前から落ち着かない雰囲気だったが、新型コロナによる休校を挟んでも収まらず、担任以外の教員や教頭、保護者までもが学校に入り、歩き回る児童に声を掛けなくてはならない状態になっているという。

 「教師や見守りの保護者も『くそばばぁ』と罵倒されています。うちの子は荒れていませんが、帰宅すると明らかに疲れきっています」と母親は漏らした。
……略……

 ★ ★ ★

 日本全国で広がっている状況であろう。。
 今までだって、学級崩壊は広がっていたのである。
 今は、それに倍加して広がっているはずである。
 
 原因は、今までやっていた行事などの縮小などと新聞は書いているが、そんなことは些細なことである。

 倍加している原因は、さしあたり次のようになる。

 ①先生たちが、コロナの予防に最大の注意を向けざるをえなくて、
  授業は、ほとんどが「おしゃべり授業」に終始しているはず。
 ②今までだって、先生たちの「日常授業」によって学級崩壊を引き起こし
  ていたのである。
  子供たちにとって、授業が「つまんない」「退屈」「あきらめ」「意欲なし」の状態を引き起こしているのである。
  それが、今では更に倍加されているはずである。
  授業を何とかしようとではなくて、コロナをどのように防いでいくかが
  最大の注意点になっているからである。
  先生たちには、ほんとにかわいそうなことである。

  
 更に先生たちにとって、大きなリスクがある。
 それは、マスクをしていること。先生も、子供たちも、全員がマスクをしていること。
 これは、大変なリスクである。
 そのことを先生たちは意識されていないのではないだろうか。

 今学級崩壊が増えていると書いた。
 その原因の大きなものは、「関係づくり」の崩壊になる。
子供たちとの「関係づくり」がうまくいかなくなっているのである。

 「関係づくり」は、ほとんどが<言葉>と<表情>によって成り立っていく。
 言葉は表情を伴って機能していく。
 
 ところが、この表情が、今ではマスクで読み取れなくなっている。
 子供たちが、教師の表情を読み取れない。
 先生も、子供たち一人一人の表情が読み取れない。
 互いに気持ちの交流がうまくできないのである。

 言葉だけになっている。
言葉だけが一人歩きしているのではないか。
 
 最大のリスクになる。

 だから、学級崩壊が倍加していくことになる。

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つれづれなるままに~あけましておめでとうございます。~

●あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。
 このブログも気まぐれです。現場をもうとっくに離れて、このブログに書く内容も目に付いたことだけになっています。
 それでも付き合っていただいている方があり、ほんとに感謝いたしております。
 
 私は、70歳の古希を迎えるときに年賀状を終わりにしました。
 今は、一部の方ともらった年賀状の返信という形で、年賀状を出しています。
 今年は、次のようなものにしました。
 ★ ★ ★
あけましておめでとうございます

今年も賀状をさしあげることを喜んでおります。お元気でお過ごしでしょうか。
 2月頃から本格的に始まったコロナ禍は、もう11ヶ月を過ぎても収まる気配はありません。
これからずっとこういう生活をしなければならないのかという感じにもなってきます。
 私の生活はほとんど変わりません。
 朝起きたら、シャコバサボテンに声かけをし、玄関前で腕振りをしながら、飛んでくる飛行機の追尾をしております<笑>(近くの人から「腕振りおじさん」と言われています)。
 けん玉、発声練習を毎日繰り返し、数独にも挑戦。最近は、掃除、洗濯、食事づくりなどにも挑戦しています。30分だけは、家の中を走ります(高校の友人からノナカの家はそんなに広かったかなと言われました)。
 毎日とにかく忙しい生活です。
 家内からは、「お父さんは充分に変人なんだよ!」と言われて(笑)、やっと自覚しています。
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ふだんを変える。それがいちばん人生を変える。
 このコロナは、このようなことを突きつけたのかもしれません。 
 今年もお元気でお過ごしください。
 ★ ★ ★

●12月は、「勝負の3週間」ということだったが、空振りで、かえって年末にコロナ感染者を増やす状態になっている。
 首都圏を中心に感染爆発が起こっている。
 GOTUトラベル、イートの結果、日本全国にコロナ菌をばらまいたことになる。

 「12月いっぱいに東京で1000人は越える状態が出てくる。」
 「そうなれば、緊急事態宣言を出さざるを得なくなる。」
 このように12月はじめに私は予測していた。素人判断である。

 怖いくらいに予測通りに進んでいる。
次に来る予測は何か?
 いやいや、こんな暗いことを新年早々考えることは止めておきたい。
 
 もうすでに神奈川県は医療崩壊が起こっている。
 横浜では、重症化している患者を受け入れてくれるまでに4,5時間かかるという情報である。

●5日の日、寝る前に、急に喉に違和感が生じ、息苦しくなる。
 何が起こったのかびっくりして、とりあえず水を飲もうと……。
 水を飲んだら、すぐに症状は治まる。
 
 ところが、6日のNHKの「試してガッテン」のテレビを見ていて、心筋梗塞の症状は、さまざまな形で出てくるということ。
 これはいかんなと思い、7日すぐに病院に予約をとり、心電図を取り、診察をしてもらう。

 結果は、「心電図の波形には問題がありません。」ということ。
 ほっとする。
歳をとるということは、このように体のあちこちが痛んでくることである。

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つれづれなるままに~トンネルを避けないで~

●高校サッカー選手権の全国大会への出場は過去一回だけ。それでも今年、昨季のJI王者、横浜F・マリノスへ同時3人の加入が決まった。
 今サッカー関係者の間でこんな言葉がささやかれる。
「プロになりたいなら興国へ行け」と。

 大阪市天王寺区の興国高サッカー部のことである。
 監督は、内野智章さん。
 監督に就任して14年。
 部出身Jリーガーは今年の内定者を含め、すでに20人に達している。
 もちろん、すべてが教え子になる。

 こんな記事が朝日新聞be に出ていた。
 監督は、「純粋にプロを目指す高校があっていい。高校サッカーの全国制覇を最大の目標としていない指導者がおってもいいんじゃないですかね」と。

 それでも270人の部員をまとめている。

 普段の練習はどうなっているのか。
「今年プロに内定した選手は『基礎練習の反復が一番自分のためになった』と言っていました。シュート、ドリブル、パス&コントロールの3つ。これは日本人だからできることで、世界に誇れる強みなんです。海外の子は飽きて続かない。でも日本人はこの練習が成果になったと気付いたら、基礎練習だとしても必ずやり続ける。」と。

 どの分野でも同じなのだ。
 基礎練習をおざなりにしたら、あとはうまくいかないのである。

●プロレスラー木村花さんの問題について、次のようなニュースが飛び込んできた。
★ ★ ★
 フジテレビの番組に出演していた木村花さんが会員制交流サイトで誹謗中傷された後に死去した問題で、警視庁は17日、ツイッターに中傷する内容を投稿したとして侮辱容疑で、大阪府箕面市の職業不詳の20代男性を書類送検した。
★ ★ ★
 
 これほど心痛めたことはなかった。
 花さんの母親が、私の教え子だったという関係で、花さんを知っていたからである。
 先日、その母親から電話があった。
 NPO法人「SNS教育」を立ち上げて、子供たちにSNSの怖さを知らしていきたいという話であった。その理事になってくれないかということ。
 私は荷が重いので、専門の先生に連絡をしようということになった。
 千葉大学のH先生に早速連絡をとった。
 
 H先生に快く引き受けてもらい、NPOの理事までも引き受けてもらったという連絡があった。
これから息の長い活動が始まるわけである。
 「がんばって」という他はなく、なんとも心許ない。
 
●毎日、経営コンサルタントの神田昌典さんから「今日のヒント」を送ってもらう。
 12月24日の「今日のヒント」は、「それでも生きろ」というテーマ。
 人は、辛い、苦しいことはできるだけ避けたいと思っている。
 しかし、避けられない。
 
 でも、そんな辛いことや苦しいことは、決して不幸なことではない。
 日本の偉人である林学博士である北村静六先生のこと。
 私も何冊か本を持っている人である。
 
 この北村先生の本を神田さんが監修されたことがある。
 その監修のなかで、気付いたことがあった、と。
 その北村先生は、辛いことや暗いときにどうやって過ごしたかを綿密に書かれている。
 しかし、人生の後半になって安定しているときのことはほとんど書かれていないことに気付いた、と。
 
 北村先生は、大切なのは、辛い、苦しいときのトンネルを大切に、大切に生きることなのだと、強く主張されているのだ、と。

 人は、幸せなときばかりはない。必ず辛い、苦しい、悲しい時期を過ごすことが必ずやってくる。
 しかし、決してそのことは不幸なことではなく、そのトンネルを避けないで生きることが大事なのである。
 
 きっとそのトンネルの先には、希望の光が見えてくる。
 神田さんは、さだまさしの次の歌をすばらしい曲だと言って紹介している。
 さだまさしは、こんな曲もつくっているのである。

 youtube.com/watch?v=rWpHVCF-rUE

 

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大変なことになっている!~『スマホ脳』の今~

 朝日新聞の投書欄(2020.12.20)に、次のような投稿が載っていた。
 「スマホ忘れた パニックだ!」神奈川県の48歳の女性Kさん。
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 「あっ、スマホ持ってくるの忘れた」。私の心の叫びです。近所の内科に向かう途中でした。待ち時間をどう過ごそう。「昔はスマホなんてなかったんだから、考えごとをしていれば過ごせるはず」と気楽に思い、取りには戻りませんでした。ところが、ただ座って待っているとムズムズしてきました。暇に耐えられません。もうスマホがないなんてムリです。そんな自分にがっかりしました。
 スマホで膨大な情報を受け取ることに慣れてしまい、自身で考え想像力や工夫を育む習慣をすっかり忘れていました。生まれた時からスマホが当たり前にある若い人は、自分の将来を思い描いたり、じっくり向き合ったりする時間をどうやって確保しているのでしょう。
 そんなことを考えていると、やっと診察室からお呼びが。「長かったな」と時計を見るとたったの13分!「このままではいけない」などと思いつつ、この文章をスマホで打ち込む私です。
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 この方は、48歳。そんな人でも、こんなことを言われている。
 もっと若い人は、もはやこんな感覚がなくて、もう普通の感覚になっていることでしょう。
 それにしても、たったの13分をじっと考えごとができないようになっているなんて驚いてしまう。
 それでもこの方は、大切なことを言われている。
「若い人は、自分の将来を思い描いたり、じっくりと向き合ったりする時間をどうやって確保しているのでしょう」と。
 若い人のことより自分のことを心配した方がいいのではないかと思うのだが、まあ余計なこと(笑)。

 スマホに取り憑かれてしまったとき、確実になくなるのが、「自分と向き合ってじっくりと考えること」である。
 もはや、スマホを常用している人たちは、「考えること」ができなくなっているのではないか。とても他人ごととは思えない。
 これは、大変なことではないか。
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 今話題になっている『スマホ脳』を読んだ。
 朝日新聞の宣伝で、この本の紹介をしていた。
 「最新研究が明らかにする恐るべき真実!」と書かれている。
 
 1つでも思い当たったら要注意!
 ①用もないのにスマホを手にしている
 ②気が散りやすくなり集中力が落ちてきた
 ③記憶力が落ちてきた気がする
 ④寝つきが悪く、睡眠不足気味だ
 ⑤SNSを見ても気分が明るくならない
 
 アンデシュ・ハンセンが、最新研究をまとめて紹介している。
 とにかく1つ1つが問題にすべきことだが、一番印象的なのはつぎのことである。
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 2016年に私の著書『一流の頭脳』がスウェーデンで刊行された数週間後、ある学校の校長から「うちの高校で講演をしてもらえませんか」というメールをもらった。講堂で講演をしたのだが、ざっくり言って半数の生徒が途中でスマホを見ていた。自分の講演が聞くに堪えないせいだ、と私はがっかりした。しかし校長はこうとりなした。「全然、まったく逆ですよ。生徒たちはあんなに熱心に聞き入るのを見たのは久しぶりです」「でも、半分くらいの生徒はスマホをいじってたでしょう」「ええ、確かに。だけど、普段教室でどんなふうだか知ってますか?全員がスマホをいじっていて、先生たちは生徒の注意を引くのに非常に苦労しているんです。前に勤めていた小学校では、休み時間に外で遊ぶ子供はいなかった。スマホを手に座っているだけで」
 恐ろしいことである。
 スウェーデンでのことだが、いずれ日本でもこうなるのかと……。
 
 著者のハンセンは、1つの国だけの問題ではなく、人類の未来の問題として、この『スマホ脳』で問いかけている。

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学校は大切な何かを忘れている!

 算数の共同研究を進めている。
 3年目になっている。
 今は、算数学力向上メソッドを全単元DVDにしている(東京書籍だけだが)。

 共同研をやっている先生方は、それぞれに単元の終了後に単元テストをして、その結果を送ってもらえる。
 着々とその研究の結果が積み重なっている。

 たとえば、一人の先生は、今算数専科として5年生のクラスへ入っている。
 「味噌汁・ご飯」授業で授業をされている。

 専科だから算数学力向上メソッドをそのまま実践することはできない。
 それでも試みとしてさまざまに工夫されている。

 9月を過ぎて、低学力児の中から、「ここ分からないので教えてください」という問いかけがなされたという。
 それは良いということで、給食の配膳時間を「分からないところを教える時間」にするということで、毎日駆けつけることにしたという。

 ほんの10分ぐらいの時間になる。
 それでも、分からない子供が駆けつけてくる。
 この積み重ねは大きい。

 「分数のたしざん、ひきざん」という難しい単元で、低学力児は、知識・技能、思考・判断・表現が次のような点数になったという。
<知識・技能><思考・判断・表現>
 A児……65 76
 B児……96 70
 C児……80 80
 D児……68 60
 E児……80 40
 F児……71 60
 G児……33 76
 S児……75 88

 知識・技能(テストの表)では、G児だけが50点を下回っているが、あとの子供たちは何とかがんばっている。

 通分、約分があるので、これは大変なことである。
 日本全国の普通の5年生のクラスが、低学力児でこれだけの結果を果たして出されているのだろうか。
 
 この8人は、最初は50点以下の子供たちだったわけである。

 学校の休校、分散登校などがあって不安定な学習を経てきた今でも、何とかこれだけの状態に仕上げてきている。
 10分だけの給食配膳時間に、分からないところを先生に教えてもらうということで、低学力児はみごとに先生の取り組みに応えているわけである。
 実際に、それが点数となって表れている。

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 長崎の中学校のY先生が、フェイスブックで以下のようにつぶやかれている。
 
「 青空です。
風は冷たいですが,外に出ると心地よいです。空を眺めながら,教育の現状についてふと考えます。
コロナ対策,学力調査の結果,読解力,タブレット活用,アクティブラーニング,働き方改革などで躍起になっている現場。
最近,学校は何か大切なことを忘れているのではないかと思うようになりました。」

 「学校は大切な何かを忘れている」と。
 私なら、それは「目の前の子供たち」への「手ごたえ」だと言い切りたいと思っています。

 先ほどの先生は、みごとにそれに対応しておられるのではないか。
 「やればできるんだな!」「分かるようになってうれしいな!」という子供を専科という立場で育てておられる。 
 
 いわゆる教育の原点に立っておられる。
むずかしいことでも何でもない。
 ここを多くの先生たちは、忙しさに紛れて忘れ去っていこうとされている。

 その先生の算数の結果で、12月末に出した通知票は、Cの子供がいなかったという(算数テストの結果だけで出したと言われる)。
 こういう結果が、表れてくるわけである。

 ちなみに、そのあとの単元「平均」の低学力児の点数は、以下の通りである。

<知識・技能> <思考・判断・表現>
 A児…… 100     80
 B児……  100     100
 C児……  100     100
 D児……  100      78
 E児……  100      90
 F児……  100      80
 G児……  100      90
 S児……   96      80

 学年の意向に合わせて、電卓を使っての計算なので成績は計算間違いが少なかったという分ぐんとあがっている、と。
 学級の平均は、知識・技能98.27 思考・判断・表現91.31になる。
 A児からS児までの8人が、テストをもらって大喜びする姿が目に浮かんでくる。
 「おれっ(わたし)、算数好きになってきたな!」と。
 
 こんな「手ごたえ」が先生たちの中からなくなっていことしている。

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